心にしみた映画・ライブラリーシアター [日常]

12月12日(金)

久しぶりのライブラリーシアター

毎月第2金曜日に、宮代町立図書館で開催される「ライブラリーシアター」。近所で手軽に観られるのだから、もっと行きたいと思っていても、用事が重なりままならない。結局、今年は2回行っただけだった。この映画会のよさは古き美しい名画を上映することかな。

5分前に小ホールに入る。20人ほどがすでに着席していた。もちろん、この時間(午後2時~4時)に来られる人ということで中高年がほとんどです。上映開始までに35人ほどが席に着いた。

「ヒマラヤ杉に降る雪」

心にしみるセリフがあり、(ああ、いい映画だ)と思える映画でした。

実は、あらすじに少しついて行けなかった。実は、最初(疲れていたので)少し寝てしまった。

それなのに、心にしみるとはなんだ、とお思いでしょうが、多少あらすじがわからなくても、それはものすごく小さいことだと思えるぐらい、全体に流れるものの品位が高い、っていうのか・・。

1999年のアメリカ映画。映画の中の時代は、第2次世界大戦前後。アメリカに移り住んだ日系人社会の人間が、真夜中に起きた漁船での死亡事故の殺人犯(結局、事故死だった)にされてしまう裁判ものの映画です。

あらすじがわかりにくいのは、今は記者になった青年と、被告の妻になった日系移民の女性の過去の心の通い合いの風景と、現在の裁判の進み具合が交互に出てくるから、かもしれない。だから私など、最後まであらすじがボンヤリとしかつかめなかった。

だけど、これは裁判が訴える、上質な「心」であり、日本人とアメリカ人の本質的な思考の違いがあるも、問われているのは人間だという映画だから、心に響いていくるものは損なわれないのだと思いました。

日本の青年は「沈黙」し、自己弁護しない。アメリカ人の陪審員には理解できない。だけど、日系青年を弁護する老弁護士には、自らの潔癖を主張することが「平等」「正義」をないがしろにしてしまう、という青年の無言の訴えがだんだんわかってくる。

裁判の中で、語られる言葉に、いくつもの人間としての≪上等≫≪上質≫を考えるきっかけがありました。

弁護士「時々、すべての人間が裁かれることがあるのです。人間の(良心)と(品位)が裁かれるのです。そしてあなた方のような普通の人々が人類の成績表を出さねばならないときがある」

人間として持つ「良心」「品位」。政治や経済、日常のもろもろのこと、これらを考えるのに、人間としての「良心」「品位」、ここに立ち返ることを迫られることが、人生の中に時々ある・・・。

人間として、何が上等か、心に刻める映画でした。私のつたない表現では限界がありますが、何がなくても人間はプライドを持って生きていける、とも思えました。とにかく、みてない人は、一度見てみることをおすすめします。


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