「子どもを2人以上産むこと」といった校長 [教育]

3月16日(水)

「子供を2人以上産むことに価値がある」

ある校長が、生徒への朝礼講話の中で(校長はシリーズで話しているといっている)、「女性は子どもを2人以上産むことが大切だ」と話した。

この話題がかなり沸騰している中、大方は「なんてこと言うのだ」という意見が占めるでしょう。

が、いろいろな意見、感情の中には「当たり前のことを言っているだけ」「産む数が足りないからこうなったんじゃないか」と思っている人もいるに違いない。

だけど、社会的な話題にするのは違う。言いたければ、家族の話の中や、気心の知れた隣人とでも立ち話でやってくれ。産む、産まないは女性の個人的な事情であり、治療している人から見れば弱者攻撃と受け取れるひどい問題だ。

何でも自分の言葉で指導できると思うのは間違い

校長という、学校の中でトップに君臨している人こそ、いろんな人に配慮しながらいなければならない。ほとんどの教育者、校長先生は、本当に心から尊敬できる素晴らしい方たちだ。そういう人に何人もあっている。

ひとはいろいろな立場の中で生き、どう努力してもどうしようもないものを抱えている。そういった環境も含めて、それでも子どもたちには、できるだけ平等に公平に教育を受ける権利、幸せに生きる権利を保障してあげようと思っている教育者がたくさんいる。

しかし、たまに、この高飛車な発言をした校長のように(勘違い)した人がいるのも残念ながら事実だ。

この校長、「朝礼講話の中でシリーズでやっていることだ。一部分だけ切り取ってマスコミやネットで取り上げられても困る」「少子化という社会問題に問題提起をした」という。

そういった校長個人の「やり方」を、割り引いても、やっぱりこれはいけないと思います。

柔らかい、感受性のするどい児童や生徒たちに、《言って聞かせよう》とする朝礼講話で、取り上げることの意味をもっと考えるべきだ。

でも、多分、ムリ。この校長、こういうキャラで、これまで来ちゃったんだから。こういうキャラの人が、人に慕われ、時には教育者という立場から保護者などからおだてられ、昇進試験には難なく合格して登りつめてきた人です。

校長という立場の方には、わたしゃ、立場も弱いし、理論武装はできても迫力で負ける。だから、相手にしませんが・・。

救いなのは、この自治体の教育委員会が、きちんと機能していたことです。「これから人格が出来上がる」児童、生徒に話す言葉として適切でないと判断した。

ホッとした。


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子どもの貧困、全国で増加 [子育て支援]

3月14日(月)

生活保護基準以下で暮らす世帯

山形大の戸室健作准教授の「子どもの貧困率」に関する記事が、今朝の東京新聞に載っています。調査では、生活保護基準以下で暮らす世帯を「貧困状態」と定義している。(私は、これに〈社会から孤立している状態〉を加えているけど)

戸室淳教授は、1992年から2012まで5年ごとに数字を割り出した。

2012年の貧困率は、37.5%の沖縄県が突出していますが、大阪21.8%、鹿児島20.6%、福岡19.9%が続いて高い。

埼玉県は20年前の4倍

別の見方をしてみます。沖縄県は1992年時で、28.7%→2012年37,5%です。鹿児島県は、14.5%→20.6%です。これに比べて、大阪1992年時は、8.0%→21.8%、東京4.4%→10.3%と、拡大の度合いが大きいです。

埼玉県は、1992年時、3.3%→2012年には12.2%と、4倍近くなっているのが特徴です。

関東圏や関西圏の大都市部の周辺で貧困率が大幅に広がっている!

労働環境の悪化がある、と戸室氏は言う。「貧困率の高い地域はワーキングプアの割合が高い。賃金の低さと子供を取り巻く環境の悪さ、地域別に、真剣に取り組む事態がある。


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定住促進 [議会]

3月13日(日)

定住促進

人口が減る時代に入った。そんな中、どこの自治体でも「わが町だけは人口が減らないように」「いや、増やせないものか」、新しくすみついた人たちがずっと住み続けてくれるようにと、「定住促進」策に頭を悩ます。

しかし、人口は減る。地に足を突けて考えなければなるまい。

今、県は(全国の都道府県の多くが)新たな開発を抑制しています。(わずかに県南の数市を除いて)、既存の住宅地、市街化区域の中に空き家が多くなった住宅団地、シャッター通りになった商店街を手直しするよう、方向性を出している。

そりゃー、わかります。駅前を開発して、とか、作り手のいなくなった農地に企業を誘致して、という時代じゃない。

希望はあいかわらず出てはいますが、膨大なお金と時間がかかる開発には、自治体にお金がなさすぎる。、埼玉県で言ったらさいたま市や、その周辺の市くらいしか、新たな人口増は望めない人口が増えていないのではないか・・。

たしかに、市街化区域も虫食い状態に空き家が目立つ。

私が住む団地もできて40年もたつと、一気に高齢化が進み、空き家が多くなった。10軒に1軒、いやもっと多い割合で空き家が目立つこういった空き家」問題が解決の方向を見いだせないのに、新たな開発を後押しできません、というのもわかります。

出来れば同世代と・・・

しかしです。じゃー、何でもいいから空き家が埋まればいいかというと・・そうでもない。既存の宅団地の方たちの、本当の気持ちはというと、できれば同世代が住んでくれればいいな、と思っていると聞きました。ぜいたくは言えないが、(できれば)というのは、本当にわかる気がします。

生産世代も

一方で、考えなくてはならないのは、生産世代を増やすことの重要性。こういう世代は世代で、やっぱり同世代が周りにいる環境の方が、話が合う、というもの。

ある程度のすみわけ、みたいなものは必要なのかもしれません。もっともっと研究してみたい。


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カッパブックス誕生の頃

3月10日(木)

カッパブックス誕生の頃

「文藝春秋」3月号に掲載されている記事に触発された。「文藝春秋」は、げすな言い方をすれば分厚くて読みごたえがあるから買う、さらに3月号には上半期の芥川賞受賞者2人の小説が載っているからさらにお得だから買った。

そんな低レベルのいいわっけはどうでもいいのですが、516ページに、佐藤優氏(この人の旺盛な執筆量は衰えを知らない)がかいた加藤周一著「読書術」に関する記事が載っているのです。が、小難しいことを言う私ではないので、その中の「カッパブックス」について、転載させていただき、関連記事をちょこっと書きたい。

1954年から2005年にかけてカッパブックスという新書が光文社から刊行されていた。刊行当時、新書といえば、岩波新書に代表される教養分野が中心だった。それに対して、カッパブックスは正面から挑んでいった。

伝説上の妖怪・河童に因んだ名前は≪カッパは、いかなる権威にもへこたれない。非道の圧迫にもへこたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何物にもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾を取り去って、真実を求めてやまない≫と、「カッパブックスの」誕生の言葉に示唆されているが、権威に対する反発だ。

1954年といったら、1960年春岸内閣の安保改正反対運動の前、庶民や学生の反対運動が胎動したころ、地方は戦後の沈滞の中に居たが、東京は騒然としだしていたという。

加藤氏はそんな時代、高校生に向け、難しくなく誰にでも読める「読書術」をかかないかと勧められ、気楽な気持ちで書いたのがカッパ「読書術」だったのだそうだ。それが意外にもベストセラー。

加藤氏は言う。「あらためて読み返してみると、30年前の私の議論の大筋は今でもそのまま通用さするというか、今の私が30年前の私に賛成できる話のように思われた。そこで、今度は教養書の本元・岩波版で「読書術」を出す提案を受け入れた、くだりが、佐藤氏によって紹介されている。

今、普通の人がカッパのように

加藤氏は30年前というが、実はこの時代背景は60年安保の頃からの引きずりであります。東京は新しい時代に向けて動き出しても、新幹線も、テレビの普及も少ない時代、都会と地方の差は、ひと時代違う感があった。

東京で、時代の動きや、軽力に対抗して動き出したのは、情報や新たな息吹にふれた人たちだけだった。白黒テレビから映し出される画像は、外国のニュースのようでもあった。

しかし、今は違う。

「保育園に落ちた。日本死ね」は、全国隅々にまで浸透し、「わが身のこと」としてリアルタイムで広がる。国会の予算委員会では、安倍首相が「そんな誰がかいたのかわからないことにかまっていられない」といい、やじは「出典を示せ」「意味ないよ」と言っている間に、国会の前には、子どもをだっこした母親たちが、雨が降ろうが集まる。そして口々に言う。「保育園に落ちたのは〝私”だ」と訴える。

出典が誰だ、じゃないんだ。「わたしも」「わたしも」みんな働きたくても、預ける場所がないなら「総活躍時代」どころじゃない。「保育園が決まらないなら今月で解雇です」と期限を突きつけられている当事者たちなのだ。

みんなカッパなのだ。カッパになる。いっさいの虚飾を取り去って、丸のままの姿で行動するしかない。「真実を見て!」と。

男女共同参画なんて、机上の空論をやってきた〝選ばれた女性たち”、くそくらえだ。「肩書」大好きな女性たちを〈要員」として起用し、持ち上げてきたのも、実は男性たちだ。

そんな意味のない会合主義を蹴散らす勢いで昨日も厚労大臣に署名を突きつけた、抱っこひもで子供を支えた女性たち、何とか応援したい、タイムリミットの中で、少しは前進するか・・・。祈る思いだ。


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電車の中の「ようこそみやしろへ」 [政策]

3月9日(水)

あった!車内広告「ようこそみやしろへ」

昨日、車内(東武スカイツリーライン)の中で、見つけました。優先席の横に「ようこそ宮代町へ」。画面は笠原小学校。花水木がいっぱいに咲いている後ろにあの独特の校舎の風景。宮代町が2種類用意したという広告の第2弾がこれです。

1弾目の広告、子どもたちが木にぶら下がって遊んでいる風景も、けっこう目を引きました。北千住~せんげん台まで毎日乗車している長女が見つけ、「今日、見たよ、けっこういい」とメールをくれた。

それから2,3日後、私も発見。電車の連結部分の近くに掲示してあった。(うん、宮代らしい絵だ。これを見て興味ををもってくれる人がいたらいいな)と、にんまり。

長女は、今回のも「いい」という。自分が通った笠原小の絵だからか・・。

いろんな人が何気なくでもいい、見てくれたらいいな。子育てしてみたい雰囲気がただよう広告だもの。


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名古屋市議会議員報酬1454万円へ [議会]

3月7日(月)

名古屋市議会で8日強行採決で

名古屋市議会がまた、もめているという。2012年(だったか?)、名古屋市は河村たかし市長の提案によって、議員報酬を60歳サラリーマンの平均給料なみの800万円(月給約50万円)に引き下げるべきだとの議案が可決し、それでやってきた。もちろん、この時、市長給料も800万円に条例で決まった。税金から出る給料、市民感情から行ったら納得できるものだったと思う。

もちろん、800万円といっても、期末手当、政務調査費月額50万円などをつけると年間収入は1400万円は超えるようだ。

当時の日本全国の政令指定都市議会議員や県議会議員のランキングを見ると、一番高いのが東京都議会で、下給103万円、次に名古屋市議会99万円、3番目が愛知県議会97万円、次に神奈川県議会・・・と月給90万円台がずらーーーッと並んでいた。もちろん、言うまでもなく下給が高ければ、期末手当もそれに準にて高く、課税とは関係ないから表に出てこない政務調査費も高くもらっている。

有言実行で有名な河村たかし市長の、「自分もやるから議員諸君も下げろ」の報酬削減案は、市民感情を考え、しぶしぶ議会を通った。(と見ます)

しかし、4年間我慢した、もう限界だ、企業が集まり税収が豊かで、名古屋や愛知県からあつまった国税は全国にふりまかれているではないか。そんな名古屋市議会で(いつまで800万円という低報酬に甘んじているのだ)と、出るべきにして出た改正案なんでしょう。

8日3党合同で・強行採決

今度の改正案は、自民、民主、公明の3党ががっちり組んで出している。ふつうなら委員会でしっかり審議して、まずそこで意見交換、討論、採決を経て本会議に出てくるものを、なんせ、圧倒的な数の自民・民主・公明連合体だから、委員会を省いていきなり8日の本会議!!!

4年前の間隔で、60代の平均収入と同じ年収800万円(内実は、いろいろ加味されもっと多い)は、今はどうか? 多分減っている。それでも、、期限付きの減収は、もう限界、改正案必至となったのかな。

全国の議員月給のランキングをもう一度下のほうから見ると、1469番目に東京都青ヶ島村の10万円というのがある。大都市市議会としての格やメンツがあるとする代議員先生によると、「そんな小さな村の議会なんて、金の使い道もないだろう」ということになりそうだが、議会で審議、研修、研究の上、決めるという自治体採光の議決機関だとの位置づけは大きい小さい関係ないはず。

ほかの大きな市議会を見れば、年収ん千万の市議たちがぞろぞろいるのに、この何年間、どんだけ損したか・・。市議会議員ってのは、掛(かかり)もかかるんだ、そういうことでしょうね、言い分は。

河村たかし市長の「1丁目1番地」もこうなったら説得力もなくなってしまうのか。ネットで見ていたら、ある大学のある人がこんな見解を出していた。(わたしはあきれたが、みな様はどうでしょうか)↓

安ければいいというものではない

名古屋市の市長給与や市議報酬の年800万円は、他の政令指定都市のものと比べて相当低いものです。具体的に、どのくらいの給与・報酬が妥当なのか、考えてみましょう。

ーー中略ーー確かに低い報酬で市民のために奉仕する市長像や議員像は魅力があります。しかし、現実は必ずしもそうした市長や市議がいいとは言えないのです。

よく「しがらみのない選挙」をキャッチフレーズに「清らか」で企業や団体に依存しない選挙をした政治家が、贈賄容疑で捕まることがあります。選挙にはお金がか刈り、借金が残った場合には、企業や団体に依存しなければ大いに困ります。結局、やりくりがつかず贈賄に走ることになるのです。

給与・報酬が下がれば、結局、選挙で使ってできた借財や生活費に事欠き、不正をしてしまうことにつながるケースがあります。--

選挙にお金がかからないというのは、今の日本では建前の世界化、特別なケース?です。市長選で1000万円かかるのなら4年で割って1年間250万円を返す必要がありますン。市議選で400万円かかるなら1年間で100万円返済分が必要です。

当選して4年間しか保証がありません。きわめて不安定な職業です。このことにも100万円程度の上乗せをしてもいいでしょう。

 この学者は何を言っているのか・・・。私は到底容認できませんが、こういう学者も、いていくれる必要があるのですね。この学者は、つまり、800万円を1650万にする議案は、妥当な線だといっているのですが、理解できませんので、これ以上書けません。


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出産という大仕事

3月6日(日)

結局、帝王切開になった

昨日から入院していた二女は、けさ8時半に病院に行くと、すでに分娩室に入っていた。陣痛が5分おきになったところで、10時30分、無痛(本当は和らげる和痛)分娩の処置。第1日曜日の今日は午前中診療。

ところが、である。痛さを和らげる麻酔を入れると、陣痛が遠のくのだ。折れ線グラフの山が小さく、間遠になる。それに、赤ちゃんは体を回転させながら出口に進んでくるのだが、回転が上手くできないという。だからお産が進まないと。

いくら待ってもダメだ。12時半ごろ、お医者から説明。「これじゃ、お産にならない。午前中の診療時間も終了した(?)。麻酔を入れるのをストップして、陣痛を促進する」

 和痛分娩の方をストップして、陣痛に堪えても、赤ちゃんの回転はあいかわらずうまくいかない。

また、お医者から説明。「このまま、回転が上手くいかないと、子どもも母親も疲れてしまってあぶない。帝王切開にすることも考える。判断は午後4時」と。

まったくお産が進まないので、4時10分、「帝王切開に切り替えます。今から準備をして5時30分くらいになります。それまでは痛みを和らげる薬をいれますから痛みは和らぎます」と説明アリ。

お疲れさん

うまいもんで、午後5時28分、産声が聞こえた。二女のご亭主に「よかったねー」と声をかけた。推定体重3900gといわれていたが、実際の体重は3420g。ちょっと大きいくらいだった。

終わってみれば、産院には本当にお世話になった。2人の看護婦さんが、ずっと励まし続けてくれているのは、廊下にいる私にも聞こえていた。

病室に帰ってきた二女に「お疲れさん」と声をかけて、早々に産院を出た。この季節にしては暖かい夕方だった。「ひと山ひと山クリアしていけばいい」と、のんびりペダルをこいで、老猫の待つ家に。

妹にメールを入れると「無痛分娩が全く無駄になった帝王切開だったけど、、安心安全でよかった」と返信。

第1日曜日はイベントがある長女の方は、相変わらず夫が仕事のため、今日は5歳の息子同伴で出勤したようだ。二女が出産したころは、おとなしく仕事に付き合った息子のために映画館で「ドラえもん」観賞だったらしい。(お前、いとこができたよ、お兄ちゃんだ)


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予定日を10日過ぎても

3月5日(土)

出産予定日

二女が初めての出産を迎えるが、2月24日の予定日を10日も過ぎている。誰が見ても大きすぎるおなかに「巨大児が生まれるぞ」と脅かす人もいるが、本人は気にもせず食欲旺盛であります。

私、長女、二女それぞれ仕事を持ち、何かあると半人前になってしまうのを、お互い補い合って3人分の仕事をかろうじてこなしてきた。

選挙では2人に世話になった。特に二女は10か月の体で何でもこなした。運転手からウグイスまで。だから、こちらとしては、少しは役に立ちたいと思っているのですが。

先ほど、(一応)入院したとメールが入った。「明日あたりかな」という。

無痛分娩

痛みに人一倍弱い私は、「できれば無痛分娩をやっている産婦人科で」と探したが、当時それほど、それをやってくれる産婦人科医院がなかった。

それどころか、「お産の痛みに耐えられない女が母親になれるか❢」とか「生まれる子供に支障がでる」という意見がまん延していた。結局、しょうがないから普通分娩だった。

「女ならお産の痛みに耐えろ」とか、さらにひどいのは「腹は借り腹。産んでくれりゃーいい」。こんなの女性蔑視だ。虐待だ。痛みだけでなく、お産は命を懸けた作業だと思う。何が起こるかわからない。

無痛って言ったって、まったく痛みがなくなるわけではない。押し寄せる陣痛のピークのところで背中からうすい麻酔を入れ、和らげるやり方です。陣痛に合わせていきんだりするリズムは当然必要です。だけど、それだけでも母体はらくで、そのあとのダメージも少ない、といわれる。

「母になるため」無理に苦痛を選ぶ必要はない、と思う。(特別料金で、少し料金は高くなるという。)

か細くて、風を引くと中耳炎になってしまう長女は、乱暴に中耳に穴をあける医者に、恐怖からよく脳貧血を起こした。こういう人間も、できれば無痛分娩で産めれば、と軟弱な母は思っていたが、結局この虚弱体質の長女も、通った産婦人科がやっていなくて、普通分娩になった。

ダメ親の私は二女にも言った「できれば無痛分娩をさがそう」と。二女も「あればそうしたい」ということになり、探したら、杉戸町の産婦人科医院で、やっているという。(今はけっこう多くなっている)

さて、明日はどういう段取りになるか。


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ブログお休み、すみません [日常]

3月4日(金)

今日もパソコンに向かえない・・・。すみません、そう思いながらだらっとしてサボりました。

2月29日の選挙後初の議会。議会のポジション取り。議長、副議長のポスト取りは前日までにきまっていた。まぁ、そんなものだとわかっていても、人事議会の、この日はいつも後味悪い。

私個人で言えば、どこでもよかった。2つの委員会のうち、どちらでも悪くない。「総務文教常任委員会」を選んだ。

ただ、久喜宮代衛生組合議会の議員にはなりたかった。4年前、どうしてもなれなかったイヤな思い出があるので、早くからアピールしておいた。

ところが、である。この議席、すんなり取れた。すんなり取れたどころではない。今回、私のほか、積極的に希望する人がいない、という現象を生んだ。

(ああ、そうかー)と思い当たった。2022年には一部事務組合を解散する運命にある久喜宮代衛生組合議会などに、みなさん、もはや議席を得る意義など見いだせないのだ。

広域消防、広域斎場などの一部事務組合が決まり、久喜宮代衛生組合議会議員は、希望した私のほか、同じ会派!の小河原議員、金子議員、それに新人の丸山議員、野原議員が就任した。

4年前は、あんなに希望してなれなかった久喜宮代衛生組合議会議員、あんまり簡単に就任できたので、拍子抜け。おまけに、「議長は、加納さんがやればいいよ」と、これまた続投の打診。議長も快諾した。

議長は、単なる進行役と、私の中では意識している。スムーズに運ぶようしっかりやろうと思う。

また、議長の身で質問通告

しかし、今だから質問しておきたいところもあります。今日、議長でありながら組合議会に一般質問を通告した。(そのために副議長がいるんでしょう、とばかりに)

2年前にも一般質問した。私の質問の時だけ議長席を降り、副議長に進行してもらった。異例中の異例の作業なのに、ご配慮いただいた衛生議会に感謝しています。

それなのに、また、副議長にご登壇願い、質問する私。事務局は内心(やれやれ)と思っておいででしょうね。すみません。

パソコンに向かいます

旅行以外にこんなにブログを休んだことはなかった。議会で忙しく、疲れたからですが、それだけでなく気力がなえていました。

でも、もう大丈夫。昨日宮代町議会一般質問。めずらしく一人目で質問を済ませた。今日は、衛生組合議会への一般質問通告締め切りに、すべりこませました。

ぶつ切り気味の文章ですが、今日のところはおゆるし下さい。明日からしっかり、面白いことをブログでお知らせします。


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