カッパブックス誕生の頃

3月10日(木)

カッパブックス誕生の頃

「文藝春秋」3月号に掲載されている記事に触発された。「文藝春秋」は、げすな言い方をすれば分厚くて読みごたえがあるから買う、さらに3月号には上半期の芥川賞受賞者2人の小説が載っているからさらにお得だから買った。

そんな低レベルのいいわっけはどうでもいいのですが、516ページに、佐藤優氏(この人の旺盛な執筆量は衰えを知らない)がかいた加藤周一著「読書術」に関する記事が載っているのです。が、小難しいことを言う私ではないので、その中の「カッパブックス」について、転載させていただき、関連記事をちょこっと書きたい。

1954年から2005年にかけてカッパブックスという新書が光文社から刊行されていた。刊行当時、新書といえば、岩波新書に代表される教養分野が中心だった。それに対して、カッパブックスは正面から挑んでいった。

伝説上の妖怪・河童に因んだ名前は≪カッパは、いかなる権威にもへこたれない。非道の圧迫にもへこたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何物にもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾を取り去って、真実を求めてやまない≫と、「カッパブックスの」誕生の言葉に示唆されているが、権威に対する反発だ。

1954年といったら、1960年春岸内閣の安保改正反対運動の前、庶民や学生の反対運動が胎動したころ、地方は戦後の沈滞の中に居たが、東京は騒然としだしていたという。

加藤氏はそんな時代、高校生に向け、難しくなく誰にでも読める「読書術」をかかないかと勧められ、気楽な気持ちで書いたのがカッパ「読書術」だったのだそうだ。それが意外にもベストセラー。

加藤氏は言う。「あらためて読み返してみると、30年前の私の議論の大筋は今でもそのまま通用さするというか、今の私が30年前の私に賛成できる話のように思われた。そこで、今度は教養書の本元・岩波版で「読書術」を出す提案を受け入れた、くだりが、佐藤氏によって紹介されている。

今、普通の人がカッパのように

加藤氏は30年前というが、実はこの時代背景は60年安保の頃からの引きずりであります。東京は新しい時代に向けて動き出しても、新幹線も、テレビの普及も少ない時代、都会と地方の差は、ひと時代違う感があった。

東京で、時代の動きや、軽力に対抗して動き出したのは、情報や新たな息吹にふれた人たちだけだった。白黒テレビから映し出される画像は、外国のニュースのようでもあった。

しかし、今は違う。

「保育園に落ちた。日本死ね」は、全国隅々にまで浸透し、「わが身のこと」としてリアルタイムで広がる。国会の予算委員会では、安倍首相が「そんな誰がかいたのかわからないことにかまっていられない」といい、やじは「出典を示せ」「意味ないよ」と言っている間に、国会の前には、子どもをだっこした母親たちが、雨が降ろうが集まる。そして口々に言う。「保育園に落ちたのは〝私”だ」と訴える。

出典が誰だ、じゃないんだ。「わたしも」「わたしも」みんな働きたくても、預ける場所がないなら「総活躍時代」どころじゃない。「保育園が決まらないなら今月で解雇です」と期限を突きつけられている当事者たちなのだ。

みんなカッパなのだ。カッパになる。いっさいの虚飾を取り去って、丸のままの姿で行動するしかない。「真実を見て!」と。

男女共同参画なんて、机上の空論をやってきた〝選ばれた女性たち”、くそくらえだ。「肩書」大好きな女性たちを〈要員」として起用し、持ち上げてきたのも、実は男性たちだ。

そんな意味のない会合主義を蹴散らす勢いで昨日も厚労大臣に署名を突きつけた、抱っこひもで子供を支えた女性たち、何とか応援したい、タイムリミットの中で、少しは前進するか・・・。祈る思いだ。


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