70年代は人口抑制

12月4日(金)

合計特殊出生率4.54だった時代

合計特殊出生率とは一人の女性が一生に産む子供の平均数。

私は団塊の世代の最後にくっついているが、1947年から1949年のベビーブームの頃、出生率は4,54。一組の夫婦が4,5人の子どもを持つ時代だった。

戦争で減った若い世代、労働世代の減少といった世相には、小難しい論理などいらなかったのでしょう。ただ、ただ素朴に民族の危機を感じた、というのは間違ってないと思う。それは人間本来の自衛本能だ。

人口減少の歯車が回り出したのは、1970年代。12月3日付けの東京新聞「老いるショック」の中の記事にある。

人口を抑制しだしたのだ。75年には、出生率が1.91と、2人を割り込んだけど当時は増え続ける人口の抑制がテーマだったから気にもならない。おりしも中国では「産児制限」「一人っ子政策」へ移行していくところだった。

1965年の「ひのえうま」の年は1.58と落ち込んだ。気性の激しい女が生まれたら大変だよ、との迷信から世の中は極端な反応をしたわけで、当時は「これが当然だよね」ってな顔で話されていた。

ほかにも、世界が「石油ショック」から資源の枯渇を危惧し、これ以上人間が増え、限られた資源を使い急ぎすると大変なことになる、という風潮が広まっていた。高度成長に石油エネルギーの獲得は、命を削るテーマだった。

74年の政府の人口問題審議会は「静止人口を目指して」が標題。家族計画の必要性を訴えていたわけです。

それでも、発展途上国は、民族の発展成長の中にあった。貧困がさらに食糧事情を厳しくし、裕福な国は札束で頬を叩いて買って行った。しわ寄せは貧しい発展途上国に影響を与えたが、人口は増えていった。感染症、エイズ、貧困などの無教育という問題はあったが、生きていく上の自然の摂理にかなっていた。老いを支える世代のバランスは保っていく当たり前のセオリーの中にあった。

新聞は「オイルショック」の頃,エネルギーの枯渇ばかりを考え、「老いるショック」を考えなかった、と言いたげな、絶妙なタイトル。

笑ってばかりいられない。日本人は、扇情的な言葉に煽られると、本当にもろい。

かつてのエネルギーの枯渇問題も、今の高齢化社会の問題も、心の底に今の生活を維持したい、とか、今後の自分の生活のためにどこを頼ったらいいか、と言った潜在的な「あなたまかせ」の姿勢から来ていないだろうか。

政府にしたって、身近では市町村行政にしたって、≪あの時のあの政策は(実は間違っていました。ごめんなさい≫とは絶対言わない。もちろん,言ってみたところで仕方ない。生きている時間をなるべく自分らしく生きることに、力と想像力を働かせた方がよさそうです。全て自己責任において。

昨日、ある人とそんな話をした。「75を過ぎて、テレビを観て、適当に運動で来て、機嫌よく暮らせたらそれで十分。隣の芝生が青く茂っている、なんて思わないでいいのさ」と。こういう人は、笑顔が多い。


nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。