どこが事務局?新教育委員会制度 [議会]

11月30日(月)

一般質問1日目。私の質問は明日なので、ひたすら拝聴している。その中で気になったこと。

新教育委員会制度

H27年4月からスタートした新教育委員会制度について。

宮代町のスタートは、教育長の任期の関係から、実際にはH28・4月からスタートする。今はその前哨段階。I議員の質問から、オタオタぶりが明らかになった。

「綜合会議」を主催するなど首長の権限が一段と強くなった新教育委員会制度。私は事務局はどこがになうのか、と昨年6月議会で質問していた。答弁では、当時の総務政策課だということでした。

今は機構改革で、総務課と企画財政課に分かれている。新教育委員会(つまり町長部局でやること)を所管するのは企画財政課。事務局をになっていくことになります。

ところが、今日の一般質問では、質問に具体的に応えられるほど、あらたな事務局が仕事の内容を把握していなかった。それが随所に表れて、質問に「あれ、どこが答弁するの?」「こっち?」「そっちでしょ」という場面がたびたび。そのたびに「暫時休憩」することになった。

 思えば、企画財政も大変だ。シンクタンクに近い部署ではありますが、およそ教育部局とは遠い。町長は教育の中立を守るとは言っているが、はてさて始まってみるとどうなるか。

また、チェック機能を期待したい教育委員会メンバーに、これまで以上に「ホウ・レン・ソウ」つまり相談、連絡、報告が行われるかどうかもしっかりとみていかなければならない。

宮代町土地利用計画

中心市街地に横たわる閉店通り、空き家問題。これらが放置された現況で、あらたに市街化調整区域の開発はままならぬ、という(県の意向)は道理でわかります。

でも、あまり縛りをかけちゃうとそれでなくとも狭い宮代町で、人口増、定住促進の受け皿はどこにするの? 

そういう質問は、どこにでもある。今後都市マスタープランの中でとか、第4次総合振興計画の中で、というのは簡単ですが、具体的な絵が描けないのは事実。

かつて、宮代町は、バブルの終わりごろ(H7年から9年ごろ)、こういった上意計画を作成する前に、宮代町の土地をどういう風に活用するかグランドデザインを描くのが先ではないかと、「土地利用計画」を先行させた経緯があります。

私は、この頃住民として、この「土地利用計画」の策定委員会にかかわったことがあるのですが、はて、さて、この頃の事情を知っている職員さんも少なくなっているような感じ、がする。

とりあえず。宮代町の「土地利用計画」を洗い直してみたらどうだろう。ざっくりとでもいい。

あれから20年近く過ぎている。どんな街にしたいのか。グランドデザインの無い、総合計画や都市マス、も何となく(手ごたえ)(あるべき姿)の無いものになりそう。


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国納祭り [歳時記]

11月28日(日)

国納のふれあい広場

朝9時から始まった「国納ふれあい広場」に初めて行ってみました。今年で3回目だといいますが、知らなかった。

高齢化した地域は、町民運動会のプログラムにも参加できないものが多くなってきた。このままではどんどんさびしくなっちゃう。そんな悩みのところはけっこうあるはず。

そこで考えたのが、地域でもできる「歳末のふれあいイベント」。

みんなが、とにかく家から出てきてわいわいやろうよ。飲んだり食べたり遊んだり・・・。主催はどこかと言えば、なんと「国納自治防災組織」。

どこの自治会、区長会でも何とか町の補助金頼みで自主防災組織ができている。活動できる組織と言ったらこれしかない。いいじゃない! 防災組織が年末イベントの受け皿やったって。

3回目の今日も、集まった! およそ50人はいましたよ、イヤっ、もっとかな。細い町道では新鮮野菜やバザーの食器が並ぶ。その横には男衆が腕まくりをしてお餅つき。出来立てのお餅は「辛み餅」と「あん餅」に。

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12月になると、須賀島地域で恒例の年末餅つき。これも年末の歳時記になった。これも、いくぞ。あん餅を買うぞ!

高齢化が進み、遠くのイベントに参加するのもしんどくなった地域は、自前の「歳末イベント」を「夏のお祭り」の代わりに考えだした。

知り合いがいた。「加納さん、来てくれたんですか」「好いでしょ、うちの広場」「違うよ、マルシェでしょ」なんて、みんな和気あいあい、自慢げに声をかけてくださる。将棋3段のKさん、今日は長椅子の前に陣取り、みんなのお相手をしている。

集会所の前では、包丁研ぎ。本当はこれが目当てだった。小中学校時代の同級生S君がボランティアで研ぐというので、(安物だけど)包丁持参で出かけた。

小さな集落だけど、みんなの力で

国納は全部合わせても200軒あるか無いかの集落。みんなが得意なことを受け持って、青空の下、立派なマルシェが出来上がっていた。

もう運動会のリレーチームはできなくても、自域でなら、こんな楽しいふれあい広場ができるんだ。

地域は地域で、何とかにぎわいをつくろうと努力しているんだなー。切れ味のよくなった包丁を眺め、なんかしみじみいい気持ちに浸れた。


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こまった踏切 [日常]

11月28日(土)

東武動物公園駅から久喜方面に2つ目の踏切。ここは伊勢崎線と日光線に分かれるところで2つの踏切が並ぶ。その一方の、久喜方面に行く電車が通る148号踏切に苦情が絶えない。

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ごらんのように、踏切を通過した車は、どうしても民地の上を通過しなければならない。レンガやコンクリートはがたがたになっている。さらに徒歩の人はどこを通っていいか、わからない。

下の写真は踏切を出た車からの視界。すれちがいできるほどの幅がないので、片側の車は待つ。待って対向車とすれ違っても、どうしても民地の上の煉瓦様のものを踏んでしまう。

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この家は、以前はカラオケスナックを営んでいらしたようですが、今はやっていない様子。通る人は「何とかならないのか」と思って、その中の何人もが、議員である私に訴えておられますが、町(担当課)に伝えても、「民地ですからね。どうしようもないんです」というばかり。

せめて「対応策を」と、何回もお願いしました結果、下のような立て看板を、町は立てました。

果たしてどれだけの人が事情を察して譲り合ってくれるのか・・・。

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私は、今日も「あれ、なんとかならないの」「町は、(町道のように)車が進入してしまう部分だけでも、買収する気はないの?」などと言われた。

まぁ、らんぼうなことをいうとですね、接触事故がおこったり、民地から「オレの敷地を通るな!」など、文句が出れば何らかの動きがあるかもしれませんね。そうでなければ、なるべくそっとしておきたい、というところが行政というものでしょうか。


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年賀状・家族写真など [歳時記]

11月26日(木)

今日から12月議会

今日から12月定例議会です。初日の今日は議案上程説明。一般質問は11月30日、12月1日、12月2日の3日間。休会があって最終日12月9日に上程された議案の質疑、討論、採決。今回は、日数的にはかなりシンプル。だけど、指定管理者の指定5件など、議会としては重要な案件です。ぜひ、傍聴においでください。

年賀状の季節

マイナンバーが届いた、いや、まだだ、などの話題が道端で聞かれます。私の家にもピンク色の不在配達の紙が入っていました。が、個人的にいろいろ忙しく、再配の連絡していません。

この「番号通知」の配達が12月にずれ込むところもある中、年賀状の季節にも突入。今日の東京新聞では「年賀状温故知新」なる記事が面白い。

家族写真は親しい人だけに

家族写真は、今や若い世代に蔓延している(言い過ぎかな)。ほとんどだれでもパソコン技術があれば、プロ顔負けの年賀状もできる時代です。

キジは質問形式で家族写真はどうか、と聞いている。

質問 家族写真を載せた年賀状は失礼か。 答え 親しくない相手には、幸せの押し売り、失礼な(軽さ)と思われかねないので出さない方がよろしい。親しい相手には喜ばれる。人には昔から、洋の東西を問わず、写真で家族の近況や幸福を伝えたい思いがある。

そうでしょうね。他意なく、ただただ今しあわせです、と幸福感満載の年賀をつくるわけですから、もらう方も単純に(幸せのおすそ分け)をいただけばよいのです。でも、身内や親しい人と、お世話になっている人,上司などとは分けて作成してもいいと思います。私なども親族、親戚の写真入りは、毎年取っておいて、1年前のと比べ成長を喜んだりしますが、親しくもない人から届くのは、それほどの興味もないです。

おともだち感覚の軽いのもあまりうれしくありません。(一応、大人なんでしょ?)って言いたくなります。

手書きのお年賀は、どんなにヘタ(すいません)な字でも、心を感じますね。

賀詞の選び方

東京新聞には賀詞の選び方にも触れています。賀詞のほかにも近況を一言添えると親しみや丁寧さが伝わり効果的だとも。

目上や上位者には「賀正」「賀春」「頌春(しょうしゅん)」は避け、「謹賀新年」「恭賀新年」を用いる。

質問 喪中欠礼状はいつまでに出せばよいか 答え 相手が年賀状を書く前に、11月中に届けたい。もらったら1月15日以降、寒中お見舞いとして、お悔やみの言葉を添えて出す。

なるほど、直筆で、しかも美しい言葉で始まるお年賀をいただくと身が引き締まる思いです。少しだけでも真似したい気持ちです。

 私は、だいぶ前から(年末に書く)年賀状を出さないことにしました。元旦からいただいた年賀状にお返事を書くような作業はします。

 相手が先輩だったり上位者だったりすると、いただいてから書くのは大変失礼なのは承知ですが、年末のドタバタ期間にやっつけ仕事のように書くのは気分が乗らない、ということでお許しください。

もっとずっと前は書きました。書きまくりました。夫の分もです。

「謹賀新年」や「恭賀新年」を先にダーッと、どんどん書いて、あとから「微力ながら一生懸命頑張る所存です。ご指導お願い申し上げます」なんて夫の分も。(そう考えているかどうかもわからないですが)、ひとの分も(それも、みんな同じフレーズを)書いている「やっつけ仕事」でした。

 考えてみたら、年末のやっつけ仕事だったころも、家族写真やお友達も上司も区別なく軽い言葉で飾る年賀状の(今)も、そんなに変わらないような・・・。

 今年も大晦日まで、そんな気になりそうもない。元旦になって、やっと新年モード。ニューイヤー駅伝を見ながら、心あらため書く年賀状のために、少しだけ≪年賀はがき≫を買っておきますか。


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大人になってからの夢

11月25日(水)

睡眠中に、(テレビを観て居眠りしているときでも)よく夢を見ますが、大人になってからは楽しい夢を見て目覚めるってことがないように思います。これってみんながそうでしょうか。たいてい、つらい夢か怖い夢を見て、時には声が出て、(ああ、夢だったか)と安心します。

子どもの頃は、楽しい夢もあったと思います。だって、ほらっ、小さい赤ちゃんは、寝ていてよく笑っています。あれはストーリーはないかもしれないけど、少なくともつらい夢ではないですよね。

大きくなるにつれ、悩みや気になることが増えて、それが睡眠中もどこかで作用して夢の中に出てくるのじゃないかな。いや、大人になるほど、年を取るほど睡眠が浅くなって、結果、まどろむように夢と現実の間を行ったりきしちゃうのかも。

成長するためにはしょうがないのかもしれません。

昨晩NHKの「クローズアップ現代」で放映した貧困,DVから逃れた女性たち、大変な状況の中、「助けて」と言えなかった女性たちは、もう夢を見て夢の中で苦しむこともないような境遇なのでしょうか。社会や公共の施設には「助けてください」と言える人や場所があるとは思えないのでしょうか。自分の経験や体験のなかで。

 先日、中野サンプラザで実施された「貧困」「足立区の総合的な取り組み」もそうでした。昨日の「クローズアップ現在」の中でも同じ、貧困は単なる貧しさとは違う、ということがテーマだったような気がします。

自殺未遂をして病院に運ばれた若い女性は、小さいとき両親に虐待をうけ、無視されて育った人でした。「なにがつらい?」の質問に、「さびしいのと・・」と、まず最初の言葉が孤独だった。足立区の取り組みでも、単に貧しいのは貧困と言わない。孤独であること、自分の子どもの頃と連鎖していること、というのが「貧困」の深刻さをあらわしている。

「孤独」ほど絶望的なものはない。ひとりじゃないんですよ、のメッセージはどんなに多くても無駄なものはない。


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自治体四苦八苦・ふるさと納税 [まちづくり]

11月24日(水)

太田市のふるさと納税

太田市にふるさと納税してくれたらスバル車を返礼します。このキャッチフレーズは全国的に目を引きましたが、約3か月で断念となった。

群馬県太田市は、ふるさと納税で多額の寄付をした人へのお礼として、市内に工場のある富士重工業の車を返礼品として検討していました。確か、6月の初めだったと思います。

市地域総務課は、500万円以上の寄付をしてくれた納付者を対象に、350万円相当のスバル車を送る考えでしたが、富士重工業に提供の見送りが伝えられたということで断念したわけです。

太田市の返礼品は、地ビールを筆頭に、上州牛、米などが人気でしたが、これをそろえるのは大変で、ビールを除いては付近の自治体でそろえるという事もあったようです。そこで、冷蔵庫や発電機などと言った家電も取り入れ、その「目玉」が自区内工場が生産する車だったのです。

しかし、スバルにいはスバルの営業上の理念やコンセプトもありましょう。

今度は友好都市の産物

昨日のニュースで出てきた名物市長・清水さんは「返礼品として友好都市の農産物を太田市限定でな送ります」と言っていた。

太田市の市民が太田市以外の自治体にふるさと納税する額は約2800万円、他の自治体から太田市に寄付する額より多いということで、そうなると氏にメリットがない。そこで、いろいろな策を考えているということでしょう。

ふるさと納税で他の自治体住民からの寄付を獲得する策を公表しながらも、清水市長は〈ふるさと納税〉という国の柵に苦言を呈していました。自治体間で税を取り合っているこの政策は、結局国全体の税収を減らしている、と。

そうはいっても、ふるさと納税で予想以上の税収を得ている町や村を見ると、「うちもやらなきゃ」とあわてて職員を鼓舞している自治体がいくつもある。

ふるさと納税というアピール力の強い施策に国は満足し、自治体は国に踊らされ、四苦八苦しているようです。

宮代町はさらに税収をのばす

税収と言っても町民税などではない。ふるさと納税のことです。

宮代町がH27年度獲得するであろう「ふるさと納税」は、ん千万円(今は詳しく言わない方がいいでしょうね)。このたび、12月議会補正で、返礼品のための増額補正が組まれました。

つまり、宮代町民が思っている以上に町外には「宮代町っていいな」と思っているファンがいるってことでしょうか。ありがたいです。

駅から10分も歩けば、里山風景が残り、トラスト雑木林がそよぎ、休耕田のブッシュ(手が入ってないということですが[もうやだ~(悲しい顔)])には、いまどきキジの夫婦が顔をのぞかせる、これは1年や2年で出来る政策でも風景でもない。

保全の努力をしてきたからで、今から他の自治体が真似しようったってできるもんじゃないでしょう。

しかし、コンパクトシティというのは、実は苦しい経営を余儀なくされる。〝がんばっている″まちを応援するふるさと納税の本旨からいっても、これからも、全国のみやしろファンみ見捨てられないように頑張るしかない。

弱小のまちだけど、ぎりぎりで守るべき財産(自然)を守っている。宮代町をどうかよろしく。


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笠原まつり [教育]

11月21日(土)

穏やかな学校まつり

今日は、町内4小学校で、学校まつり。私は近くの笠原小学校で開かれた笠原まつりをのぞいてみました。全校の子どもたち、その保護者、地域の住民、もちろん先生も。みんなで作って楽しむお祭りです。

11月に開催されるもんだから、時々は初冬を思わせる寒い日になったりするが、このところ実にあったかく、今年は穏やかな「笠原まつり」になりました。

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各教室で展示したり、子どもたちがつくったゲームを楽しんだり、なにしろ「いらっしゃーい」の呼び込みも子供たちは工夫に余念がない。

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いつもの「お餅つきの場所」では、お父さんたちが杵を持ち上げて力強くお餅をつく。お母さんたちは蒸したもち米を運んだり、とにぎやかな空間です。

いつも思うんですが、小学生たちのお父さんて若いんですね。トレパンや短パン姿が頼もしい。

宮代町は、ここのところ「不審者」が出たとかで、小学校の登下校に緊張が走っていた。先生たちもスクールガードのボランティアの方々も、気が抜けなかったと思いますが、今日は心から楽しんでいました。


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公立保育園民営化について [子育て支援]

11月20日(金)

昨日の「消滅可能性都市」のことです。繰り返しになりますが、これは2010年前後のデータ。そのデータの中で、出産可能の20~39歳の女性が5割以上流出し、特殊出生率が下がる、そのため人口が減る、自治体をはじき出したわけで、若い世代の流入が多くなっている宮代町において、2015年の数値を当てはめればそういった≪可能性≫は当然低くなるということです。

しかし、どういっても流動的で、いかなる変化をもたらすかを、パソコン相手に悲観したってしょうがない。V字復活している人口が、来年から鈍るってことも無きにしも非ず、まさに町の行方は、子育て政策の磨き方にあるともいえます。

まずは、待機児童対策

0歳~2歳といった乳幼児の保育需要にどうこたえていくかが、宮代町の喫緊の課題です。げんざい、すでに既存5ヵ所の保育所では満杯。そ

れぞれのところで、少しずつ受け入れキャパを増やし、来年4月時点の需要にこたえていくといったところでしょうか。しかし、抜本的な解決とは言えません。

私が、町に提案している子育て支援策は2つ。一つは現在ある私立幼稚園を保育園と幼稚園の機能を備えた「認定こども園」に移行させるよう、(民間経営者、団体)に働きかけること。もう一つは、現状の町立保育園を民営化させ、余裕のできた費用とエネルギーを全体をフォローアップできる体制づくりにそそぐこと、です。

「認定こども園への移行」というのは、現状定員の3割割と言った幼稚園の定員割れの状態を「認定こども園」の仕組みにすることで緩和、経営安定に変えられるというプラス、町にとっても満杯の保育所の対策になるというもの。町は、新たな予算がないことから、この仕組みを制度面から支える、ということです。

 もう一つ、町立保育園の民営化というのは、「町立」だと町の予算を投入しなければならないのですが、民営には、県費、国費からの支援が入る、という仕組みになるからです。

もちろん、コスト面ばかりで考えたわけではありません。仕組みを変えることのメリットはたくさんあります。町民の理解を得ること、より以上の行政による助言、支援策も充実させてというのは申し上げるまでもありません。

根強い、「公立」への信頼度

名古屋市では2007年、公立保育園のひとつを民営に託しました。名古屋市は、「公立」を民間に委託する直前の1年間、保育の継続性を維持するため、移管先の民間から保育士を受け入れて学んでもらっています。また、移管後も、保育の継続性を保つため、民間保育園の園長は,市に掛け合い、移管後1年間は公立の保育士に派遣の形で残ってもらったそうです。その保育士が年長クラスを担任し、保護者を取り持ったり、アドバイスしたり、開園時間も延長したりと充実させていったというのです。

しかし、それでも、公立への信頼度というのは、根強くあるのだそうです。はじめは保護者の中から苦情の嵐。実際「どうしても公立でなければいやだ」と転園していった子供もいたという。

「民間移管はゼロからのスタートじゃなく、マイナスからのスタート」だと感じた,と民間園長は言います。これを(これまでよりむしろいい)と、プラスに変えていくのに時間はかかるでしょう。

どんな方策を考えるにしろ、いずれは人口の減る社会、子どもの数も減ってくる。今ある施設、体制を、思い切った発想(も含めて)で、充実させていかなければならない。つまり、パイを変えずに中身を変える、事が一番必要な発想なのだから。


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人口ビジョン [行政]

11月19日(木)

2040年の宮代町人口

どの市町村も将来の人口ビジョンを作成するようにと、国は、交付金をおろし業務を急がせています。宮代町も、まだ決定ではありませんが、このほど人口ビジョンの(初版)が議員に示されました。

日本創生会議の「消滅可能性都市」では、1800弱ある全国の自治体の中で、半分の896自治体が消滅の危機にあるとの見解が示され、さまざまな形で取りざたされているのはご承知の通りです。

消滅の可能性?

希望するもしないも(希望するわけないじゃないか!)、宮代町はこの消滅可能性都市896市町村の中にカウントされ、様々な立場の人が,センセーショナルに、さまざまな煽り方をしているわけで、私などは、(これってマイナスの効果しかないんじゃないの)と憤慨している。

この前も、家に草取りに来てくれた人が「宮代町はなくなってしまうんですか」と深刻な顔をしておっしゃる。「人口は大都市に集まってしまって、周辺のほとんどの市町村は人口の減る時代を迎えるんですよ。だからと言って消えません」と言っても、一度植えつけられた恐怖感はなかなかぬぐえないらしい。法人格を持っている自治体は消滅したり、はしないんです。

先日の「JIAM」の人口減少時代のトップマネジメント」研究会では、1日目の講演で「地方消滅」の立役者?=元岩手県知事、元総務大臣の増田寛也氏の登場だった。言いも悪いもあの「本屋大賞」まで獲得した増田氏の本「消滅可能性都市」は地方に影響を与えすぎた、と言おうと、緊張して講義室の席に座ったものだったが・・・。

いずれにせよ、日本は人口減少時代に入っていく。

2040年には22604人~29353人

みやしろまちは人口ビジョンで、4つのケースで人口の推計をあらわしている。第1のケースは、増田寛也氏があらわした「日本創生会議」の推計を当てはめるケースで、これが一番少なく、22604人、ケース4は住民基本台帳ベースでの独自設定で表した数字29353人、となっています。

≪日本創生会議≫の人口推計のもとになっているのが社人研調べのもので、2010年国勢調査などがデータベース。すなわち、出産可能な20~39歳女性の流出などで当該女性が5割以上減少するといったデータがもとになっている。

2010年、2011年ころというのは、宮代町の人口が右肩下がりに急降下していうる時期で、この数字を当てはめると、コンピュータは、当然ながら2040年かなり減少の数字をはじきだす。

あくまで、希望的な観測も入るとことわってでありますが、宮代町は、2013年を底値として、区画整理事業の進捗や町内のミニ開発で新築家屋を中心に若い世代が流入してきているので、じりじりと人口の数字が上がってきている。今年行われた国勢調査の数字を当てはめると途端に数字は変化するでしょう。

この上がり方の比率を、もとに2040年の人口をはじき出すと、当然数字は違ってくるわけで、要するにコンピュータがはじき出す人口推計は、かなり流動的な数字、時代背景に支配されているといえるのであります。

ネガティブな考えしかしないなら、それは限りなく暗い宮代町の将来像であり、私などはとうてい受け入れがたい。

しかし、そうはいっても、日本全体がそうであるように、宮代町人口ビジョンは,2010年・・・65歳以上を支える現役世代は2.6人であるが、2040年には1.3人で支えるという数字を示し、現実の厳しさを映し出している。

今、しておくことは、子育て世代をしっかりサポートする施策を充実させておくことではないか。きめ細かい教育、保育体制へは、待機児童対策、保育料の支援策など。

「日本一の子育ての町」なんてキャッチフレーズは、今やどこでも使っている。先日参加した「JIAM」の研修で、交換した名刺には「世界に通用する子育てのまち」「世界に飛び出す・・」などの文字が躍る。女性が政策を決める立場に多い自治体ほど、このフレーズが積極的な気がした。何はともあれ、ピーアールにも工夫が必要であることは確か。


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全庁的に「子どもの貧困対策」に取り組む [学習会]

11月18日(水)

足立区は「子供の貧困対策元年」

貧困は、親・子・孫と世代が変わっても、その状態から脱することができない「負の連鎖」が深い問題となっている。足立区では、担当課だけでなく全庁的な取り組みをスタートさせています。

昨日、中野サンプラザで行われた「東京自治研究センター」の月例フォーラムは、「子供と若者を支える地域社会」と題し、足立区の〈子供の貧困対策担当部長〉秋生氏をお招きし,全庁を挙げての取り組みを伺い、刺激を受けました。足立区は2015年を「子供の貧困対策元年」と位置付け、「貧困の連鎖」の解消と防止に取り組んでいます。

10月5日には子供の貧困対策に係る5か年の実施計画(81事業、予算約418億円)を発表しています。

秋生部長は言います。「貧困という言葉は(内容的に)厳しい。貧困と貧乏は違う。単に経済的に苦しいのは貧乏だが、貧困は見た目からではわからないぎりぎりを生きている部分もある。」

連鎖というのは、自分が育ってきた中で欠けていた部分を、そのままつづけること。フォローしないと、自分の経験と同じ子育てをするしかない。

〇すべての子どもが家庭環境や経済状況に左右されることなく、自分の能力・可能性をのばし、夢に調査園できるように基礎的・基本的な学力の定着に向けた取り組みを進めるとともに、地域文化に親しむ体験活動や異世代交流を通して学びに意欲向上を目指す。〇すべての子どもが安心して教育を受けられるよう相談体制の充実や関係機関との連携で支援を強化し就学援助等、奨学金による高校進学支援なども整える。●保護者が不在の家庭の子度が放課後安心して過ごせるよう場所を確保し、多様な子供の居場所づくりを推進する。〇社会人、職業人への円滑な移行のために高校のキャリア教育を促進させる、また、高校の中途退学を防止するために情報交換等を行い、中途退学者が無業者やフリーターなどにならず、自立した生活を送れる、学びなおしや就労支援を行う。など様々な柱立てを用意している。

上記のような柱はほかにもたくさんあって、全庁の部局や課を横串で刺してつなげる。まさに妊産婦支援から高校卒業まで途切れの無い支援で、ささえる。

見放さない

たとえばひとり親が働きながら子どもを育てるのは大変。世間には(自己責任論)が多く、(勝手にそうなった)という見方もあり、親はなかなか相談しにくい。子どもや親が何でも気軽に話せる場所があれば、福祉担当にまでつながる。実際はネットを見る時間、情報をたぐり寄せる時間もなく、情報にアクセスすることができない世帯が多い。

母親のひとり親世帯はより顕著だ。1日に3つの仕事をこなして何とか食べられる収入を得る母親もいる。子どもとの時間なんて多分ほとんどないでしょう。

足立区は、東京23区でも貧困世帯に多さでは1,2を争う。住民に最も身近な地方自治体として、子どもの貧困の「予防する、連鎖を断つ」に力を入れる。

そのためには早期の対策の方が有効だ。そしてよりハイリスクのところから取り組む。学校を子どもの貧困対策のプラットホームとして、貧困に陥るリスクの高い家庭への重点的支援をしていく。

孤立しているという問題

貧困は、経済的な問題だけじゃなく、「孤立している」という問題もある。周りに誰もいない、というのも貧困の連鎖から抜けられない要素のひとつ。孤独感と児童虐待の関係もある。

女性区長の決断

足立区は女性の区長だ。「私は子育て支援はやらない。子ども支援をやる」という言葉に、世の中の財産である子どものためにダイレクトに響く無駄のない支援を推進していこうという気持ちがあふれる。

よく自治体は、まず計画を立てて、実施に向けて検討して・・などという。だけど、足立区の場合、計画と実施は同時進行だ。そしてダメだったら計画年の途中でもやめる、のだという。生活や地域と密着している女性ならではの「やる気」の女性区長の本懐を見た。

久しぶりに、元気をもらった学習会となった。


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