久しぶりの顔・日工大教授として [学習会]

11月16日(日)

第5回「低炭素のまちづくりフォーラムin埼玉」

昨日(11/15)、日工大で開催された「低炭素のまちづくりフォーラム」に出かけました。第一部「基調講演」は、学友会館で。約150人ほどが入っていた。

今回の基調講演の講師は、成田健一先生。H11年頃、宮代町で「環境基本計画」を策定する際、同じ策定委員会メンバーだった先生。シャイでざっくばらんな成田先生の話ってどんなの? 建築環境、風空間がご専門という。久しぶりに講演を聞こうと思って出かけました。

題目は「涼しさを感じるまちづくり」~passive urban design

私などが、下手な感想をお伝えすることもなんですので、省略します。気温は下げようにも下げられない。要するに体感温度をどうするか。そのための風の流れ。五感+心で認識する体感ということで、静けさなどももちろん、人類共有の財産とし取り入れていく、と、、ざっくりとまとめると、そんな感じだった。が、その最後のほうで、6年後の東京オリンピックのことに触れておられた。そのくだりを↓

「いわゆるオリンピックレガシーといわれるものを考える。オリンピックの遺産、その先のまちづくりを意識する必要がある。1964年のオリンピックの遺産は、歴然としたインフラ首都高、新幹線などの整備だった。これからオリンピックにために造るものが、その先のレガシーでなければならない。」「だけど、50年前のオリンピックは10月10日から開催された。2020年の東京オリンピックは真夏の開催(7月24日~8月9日)だ。あの東京の真夏の炎天下を走る競技者、それより沿道で観戦する人々、何より高齢者の状況は厳しいに違いない」 この言葉が、にわかに現実味を帯びて、去来した。そうだ、いいことばかりではなさそうだ。

分科会

見学ツアーの時間は、家に帰り、近場への会報ポスティングに専念。1時半からの分科会に再び構内にもどり合流。私は第3分科会「ごみ問題・市民が主役の発生抑制と食品リサイクル」を選んだ。

これは、HDMシステムを導入して、かなり大きい規模の生ごみ処理に成功している久喜宮代衛生組合の話や、発生抑制に取り組んでいる市民グループ、食べ物をたい肥化して小さな循環を作っている市民グループの話が中心だった。

久喜宮代衛生組合のHDMシステムは、行政が責任を持つ一般廃棄物の中の厨芥類の処理は、かなりすぐれた方法だと思っているので、とてもいい発表になると思っていた。ところが、DVDの操作ができないということで、急きょ、参加した職員の説明だけとなった。

急なことで職員さんには気の毒なことになったが、正直、説明がうまくなかった(すいません)。この優れた仕組み、どのくらいの家庭が参加しているのか、たい肥化はどのくらいできるのか、といった質問にもポイントをとらえて説明できなかったのは、残念。

久喜宮代衛生組合では、次世代炉の計画が、これから進む。優れた仕組みのHDMのゴミ処理が、いずれ不要になるのは、いかにも惜しい。こういう状況下では、HDMの説明に、事務局そのものが、積極的になれないのか、(私はそう気を回した)

久しぶりの雨宮教授

一番言いたかったのは、このこと。

第3分科会の担当は、日工大の「ものづくり環境学科」。担当教授の雨宮教授は、これまで「廃棄物学会」で活躍してきた佐藤先生の後任らしい。佐藤元教授は、われわれと20年来「アースディ in 久喜宮代」で活動してきた人だから、久喜宮代衛生組合の歴史や取り組みは、くまなく知り尽くしている人だった。その後任という役割でもあるから、日が浅い雨宮教授はまだ「久喜宮代」についても情報、認識も浅いようだ。聴いていてそれがよくわかる。

 ご近所なんだし、これからいろいろ教えてもらわなければならないこともあるだろう、お近づきになっておこうと、さっそく、佐藤先生にケータイで連絡を取る。「雨宮先生を紹介してください」。先生「いいですよ、紹介します。今後いろいろ双方で役に立つと思います」と。「でも、雨宮先生、まだ当該地のごみ処理について知らないことが多いみたい」と私が言うと「そりゃーそうですよ。これからです」と佐藤先生。

「ところで、雨宮先生、元『東芝』の技術者ですよ」と佐藤先生。「H10年ごろだったか、次世代焼却炉の研究部会やっていたころ、東芝も呼んだでしょ。あの時来た社員ですよ」と。

あー!❢ そうですかー![わーい(嬉しい顔)][ひらめき] そういえば❢ どうも見たことある顔だな、と、今日ずーっと思っていた。どこでだったかわからないが、過去に会ったことがある・・と。

もう15、6年も前になる。「久喜宮代衛生組合」の新設炉建設検討委員会が精力的に活動していた。

あの時、川崎重工だとか、三菱だとか、東芝だとか、タクマだとか、ドイツ/PKAなど、当時、焼却炉の受注でしのぎを削っていた10社ほどの焼却炉メーカーを招いて、ヒアリングをやったことがある。久喜宮代衛生組合の焼却炉建設部会でのことだった。あの時、自社の次世代炉のプレゼンにやってきた「東芝」技術者だった。

ひょんなところでひょんな人に会うもんだ。努力を重ねるも、建設用地が決まらないまま、焼却炉建設は15年以上の凍結を余儀なくされた「久喜宮代衛生組合」。老朽がさらに進んだ1号炉、2号炉はまだ現役で稼働している。

一方、15年後に再会した『東芝』の次世代炉の最前線技術者は、あいかわらずスマートで、日工大のものづくり環境学科の教授という役割で現れた。時の流れが吹っ飛んだ。


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