手段選ばぬ原発建設 [原発]

5月9日(金)

会報216号の配布は、1週間で予定数の半分を終えた。研修・学習をはさみながらだから、まァ、順調といえる。今朝、宮代台のXさんから電話いただく。いつも読んでから必ず電話を下さる。90歳を超えているのに、その律義さに恐縮する。

秘密裏に用地を買収

南海日日新聞の(振り返り記事)が東京新聞に掲載されていた。

1969年、愛媛県伊方町では、当時の町長が町議会で原発誘致を発表した。

ところが、これに先立ち、町は四国電力と業務委託契約を結び、職員や町議を動員して関係地主と用地買収の交渉をしていた。誘致発表の、この段階で地主123人中110人と仮調印していたという。

なぜ、秘密裏の買収が必要だったのか。四国電力の社長室広報が1970年発行した「四国に原子のともしびを」を見ると、切羽詰まったあげくの計画だった。

当時、四国電力は社運をかけた事業であり、伊方町は、建設予定地として最後の拠点であった。期限付きで、フランスとウラン燃料の購入計画を結んでおり、国際信義の上からもこれを変更できない、つまりギリギリのところだった。

1975年の「国際経済」月刊誌の6月号に掲載された四国電力社長のインタビュー記事では、地主たちには原発用地と知らせないで買収しようとしたことを認めている。「あれくらい危険を冒さないと買えない。知ると必ず反対運動が起きてくる。あの方法でよかった」と。

実際、事実を知った地主たちの中で、契約に納得できない16人の地主が契約を破棄した。四国電力は契約有効の訴訟を起こした。訴訟で争った地主たちは「顔を立ててくれ、これは仮契約だから、ねっ、といわれて判を押した。原発用地だとは知らなかった」といっている。手段を選ばず、金と権力にモノを言わせたやり方だ。

裁判に負けたけど

結果として、契約破棄地主は訴訟で負けることになった。しかし、その訴えが事実であったことは四国電力社長が告白した通りであった。

町、大地主、顔役などが秘密裏に大きく動く。町を真っ二つにしてしまうと、後々までしこりが残る。地権者同志、疑心暗鬼になり、信頼関係は薄らぐ。それを避けるために秘密裏に動くしかない・・。

上関原発の例

しこりが残って、半世紀以上経つも原発建設にいたっていない、瀬戸内海を挟んで向かい合う「上関」町(原発予定地)の住民運動の例もある。

想像するだけですが、原発立地自治体の中には、住民が知らないうちに大方のことが決まっていったということもあったのではないでしょうか。

しかし、無理のあるやり方しかできない事業は、事業そのものがもう無理なのです。歴史がそれを証明するには、長い年月が必要かもしれないが・・・。


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