もう花見だね [地域発]
3月24日(月)
もう花見だね
午前中は、会報「視点215」を配る。春本番を思わせるホカホカ天気なので、ちょっと知った人に会うと「いい天気ですねー」とつい声が出ます。宮代地区のYさん、「もう花見だよ、こりゃー」というのであわせて「ホント、花見ですよね~」
天気予報だと、明日はさらに気温が上がって、熊谷は24℃とか。桜は加速度を増して開花の準備をするのではなかろうか。
1か月ぶりの宮代地区。かなり変わっている。空き家となっていたところが整地され、あとに建売住宅が建っている。来月になると表札がでて、新しい家族が住んでいたりするのでしょう。
お喋りサロン
お昼を食べて1時から学園台お喋りサロンにお邪魔する。昼食は300円。お茶だけだと150円です。あいかわらずにぎやかな声が聞こえる。
じゃんけんゲーム、わたしはそうとう勝負ごとに弱いらしく、5回とも最初のじゃんけんで負ける。
そのあとは、オカリナにあわせて歌を歌う。「ふるさと」を歌う時、お隣の奥様が涙を拭いている。この歌は、「学童疎開」を思い出す歌なのだそうだ。「もう80に近いのに、いつも思い出すんですよ」と。
私は聞いていて、80歳近いとは見えぬお肌に(お若い!)と感心しながら、学童疎開の東京赤羽から、群馬県の伊香保町に教室ごと疎開した心細さを聞いた。夕方、東京の両親のところに帰りたくて、泣いたという小さな子供たちに思いをはせました。
右隣の「3年間、生ものを食べられなかったんですよ。今も12種類の薬を飲んでいるの」とおっしゃる奥様の話も聞いた。よほど「なんのご病気だったんですか」と聞きたかったけど、遠慮した。「何を食べるのも、まだ恐る恐る」なのだそうです。
「前はなんにも食べられなくて、肌も黒いシミだらけで、やせていたの。40キロ。今は45キロ。それ以上増えないの。先生(お医者)からは、あの時よく死ななかったといわれたのよ」というお話を、私はただ聞いていただけ。
そのうち午後のコーヒーとお団子が出てきた。「コーヒー大丈夫ですか」と聞くと、「ハイ、1日1杯飲めるようになりました。それが楽しみで楽しみで」と嬉しそう。「あとね、生ものもいいって言われたから、この前タコのお刺身を2切れ食べたの。どうにかならないかと心配だったけど、どうもなかったんです」と。私、「そうですか。少しずつですね」とうなずいた。
同じ学園台なのに、離れたところの方だから、初めてお会いしたような気がする。それにしても、大病から生還した方の話はこちらまでうれしい。
人間、あきらめちゃだめなんだと、この頃すごく思います。「生身のからだ」とはよく言ったもので、どんなきっかけでよくなるのかわからない。神秘の力が生身にはあるような気がする。
私事だけど、言っちゃおう。この私も「骨髄」の持病をもっている。10年ほど前はどんどん悪くなって、骨髄移植することも考えていたほど血液の状態(ヘモグロビン値が人の3分の1とか、血小板値が人の3分の1とか)が良くなかった。
だが、なんと、(何をトッチラカッタかったか)、不良品の骨髄がよくなってしまったのであります。数値がどんどん良くなって・・。主治医も「ごくたまにそういうことあります」という。
ラッキーなことにドナーを探さなくても、妹弟ともに適合する骨髄をもっていたので、移植するならもらおうと思っていたのですが、それも使わなくて治っちゃった。
人間、あきらめちゃいかんのです。どこでどうなるかわからないもんです。
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