笠原小上空からの写真 [地域発]
8月14日(日)
週刊新潮に掲載された写真
何気なく開いたページに、宮代町笠原小学校の文字。「えっ、みやしろ?」
よく見ると、見慣れた空間。
実は、あの自然、自慢の笠原小学校を上空から写した写真が先週発売の週刊新潮に掲載されています。
改めて見ると、というのも変ですが、やはり変わっている建物だ。公共施設、教育施設の概念を超えている。話題の「星野リゾート」みたいで、「今風」なのです、これが。
築35年を過ぎました。このごろは。、改修費ばかりが話題になって、町民としては自慢したい気分を忘れていた。
記事にはこう紹介されていた。
「リゾートホテル のようだが、校舎である。開校は1981年(昭和56年)。手がけたのは象設計集団。
「学校は街であり家でもある」
中略ー低学年用の教室から階段を下った中庭は、小山があったり、コンクリートの構造物が点在していたリ、そんな心躍る空間を子供たちが素足で走り回る。学校内では児童は靴を履かなくてもいいからだ。つまり、校内にビオトープあり、彫刻あり、・・
う~ん、やっぱり文字では表現できない。ぜひ、この週刊誌をお持ちの方からみせてもらってください。
もう、これからは、このような独創的で、自然を満喫できる≪公的な≫建造物は』はできないだろうなー。
バブルのなせる業とも言えますが、この豊かな空間 を持っている宮代町。ちょっと胸を張りました。
おいでませ [地域発]
8月2日(火)
お土産
郷里が山口県であるYさんからお土産をいただいた。「ありきたりの、『おいでませ』です」と。
おいでませ
・・耳慣れない人もいるでしょう。
たまたま、私は知っている。しかも懐かしい響きに。
福岡県のお隣は山口
かつて、福岡に住んでいたころ、テレビコマーシャルで流れていた。「おいでませ やまぐちへ」。
夏ミカンや、萩の城下町や海の情景と一緒に、「おいでませ」の声がきこえる。
「ういろう」と「ミニ羊羹」を合わせたような、何のへんてつもない小さなお土産
おきゅうと
テレビコマーシャル で、関東地方では絶対に流れないであろう商品に、「おきゅうと」がある。海藻だかこんにゃくだかわからない福岡のソールフードだ。
決しておいしそうに見えない。だけど、納豆のように、スーパーには地域発の「おきゅうと売り場」があった。
行ってみたい場所、あっておきたい人っているもんですね。
見せしめ自治体からの脱却・・夕張 [地域発]
7月1日(金)
夕張破綻から10年
夕張市の財政が破たんし、自治体の倒産、いわゆる「財政再建団体」赤字団体として、きびしいスタートを切ってから6月20日で10年になりました。
メロン城だとか、夕張映画祭だとか、大型観光移設だとかで有名だった旧石炭の町夕張市が何で、こんなことになったんだろうと、当時我々は、その教訓を学ぶとともに、経過を知ることになった。実質収入(市税8億円)の市が、353億円の巨額赤字を抱えての倒産です。全国の人々は、「わが町もそうなったらどうしよう」と震え上がりました。
「夕張になるぞ~」
夕張市は〈見せしめのまち〉になった。何かというと住民は「人口が減っている。夕張になるぞ」「税収がない。夕張になるぞ」「合併をしないと、夕張になるぞー」「年寄ばかりになっちゃた。夕張みたいだ」と、いう。
行政は行政で、住民が「もっとサービスを充実させてくれ」「高齢者や子育てにやさしい施策を」と要求すると、「財政が厳しいんですよ。夕張になったら大変ですから」とバリアをはる。
財政を知っている人ならわかる
実は、そう簡単に「夕張になる」わけないのです。自治体財政の仕組みを少し勉強した人なら、夕張がどういうマジックを使って、国などの公金を使い、施設をバンバン作り、議会の予算、決算のチェックを逃れて累積赤字をほったらかしにっしてきたかわかります。
単年度決算、出納整理期間という地方公共団体会計特有の盲点を突き、長期借金をいったん別に置いておき、翌日諸収入などの形で戻す、業界用語で言う「ジャンプ」をくりかえすなど・・。巧妙に予算決算をごまかしてきたことは、役所職員でも、議会でも、よーく勉強すればからくりは知っていたはず。(いや、議会は不勉強だった。ふしあなで、見破れなかったらしいが)
職員も担当以外は無頓着で気にもしていなかった。所詮は人から集めたお金というわけか・・・。
夕張の近隣自治体は、少なくとも「夕張市のなれの果て」が近いことを知っていた。
その反動で、議会の力をアップすべくお隣の町議会が全国で初めて「議会基本条例」作成に取り組んだのは、逆のいみですが「夕張効果」のひとつでした。
私は、10年前の当時、全国組織の議員勉強会などでよく取り入れられた「夕張の破たん」を研究しに出かけていたから、けっして簡単に、わが宮代町が「夕張になる」なんて思わなかった。また、内容、仕掛けも知らずに、不用意に「夕張になると大変だから」という、職員や議員のしたり顔を、いやだなーと思っていたことを、よく思い出します。(私は、このころ町長戦に敗れて、一番勉強会に出かけていたころでした)
不可能な返済計画
さて、その夕張市ですが、当時の返済計画のすごさといったら・・。353億円の借金を18年間で返す計画を立てました。ある意味、壮大な「実証実験」「人体実験」ともいえる数字でした。
まずやったことは人件費の削減。260人いた職員を100人に減らしました。ということになっていますが、実は、給料体制の厳しさにやめていった職員が後を絶たなかったとみるべきです。給料削減昇給の見通しも立たない、仕事の厳しさは十分想像できる。これで残ると決心することだけでも大変でした。
能なしのレッテルを貼られた議会も18人の議員を9人に減らし、報酬も40パーセントカットしました。
それでも住民の心細さと比べたら、仕方ありません。住民は、何の罪もないのに、住民税などは上げられ、施設は減らされ、施設の使用料は倍に値上げされ、水道料金なども1,7倍にあげられるという負担に耐えられるか・・。
高齢者はほかに行くところもないです。どんなに苦しくてもこの町に残る以外すべのない人も多かった。若い世代は、後ろ髪惹かれる思いはあったにせよ、この町を出ていき、若い世代は30%減りました。
借金返済を優先させたあまり、必要な施策が何もできない町。この10年の夕張市のご苦労は大変なことの連続だったでしょう。
でも、今でもこのご苦労に耐えているのは、どうしてか?
全国が応援した旧炭鉱の町
自分のまちに愛想を尽かして出て行った人も多かった。しかし、全国の人が「何かをしてあげたい」と注目したのも夕張だった。東京都は職員を長い間派遣し、手伝った。寒い冬の高齢者の送迎ボランティアもいた。
夕張は大丈夫か!? みんな気にしました。
10年を経た夕張はまだ厳しいけど、「夕張になるぞー」はやめましょう。実質的には借金を返しつつ市民の夢を盛り込んだ計画を立てられるところまで来た夕張市です。
「夕張みたいに、ネバーギブアップで頑張るぞ」といわれてもいいくらいにガンバっているまちです。
埼玉県うまれの夕張市長
現在、夕張市長を務めているのは、埼玉県生まれの35歳。東京都庁の職員でした。08年から夕張市に派遣。10年位は都庁を退職し、11年夕張市長に当選。現在2期目に入りました。。夕罰主導の仕組みができれば、《見せしめ》から卒業できると、、市長にとっても覚悟の年です。
風前の灯から [地域発]
6月27日(月)
12基の街路灯は消えず
昨年度、眠れない夜もあったほど悩ましい問題だったわが学園台地域の街路灯。正確には、学園台の街路灯というわけではなく、県道沿いに隆盛期には34軒あった商店街の宣伝灯です。
国も県も、もちろん地元学園台もお金と勢いがあったころ(平成になったばかりの頃)、県の補助などを受けて、設置された素敵な街路灯だった。
それがあっという間に、経営者の高齢化、閉店などのために、全部の点灯が難しくなるのに10年もかからなかった。
シャッターのしまった店の前の街路灯の管理も電気代にもこまるようになったのは,平成12年ころ。すでに「学園台商店街」という組織もなくなっていました。
私がH12年、議員になってすぐ「何とか灯し続けたい」と相談があり、地元学園台自治会も理解、協力が得られるならという条件で、町、有志の会、自治会との間に、H14年支援協定ができ、町のサポート、自治会のサポートをいただきながら有志の会が主体となって灯し続けることになったのです。この時点で、34基の街路灯は26基に減っていました。
第2の危機
その後も閉店がつづき、じり貧的に街路灯の管理は厳しくなっていきます。組織もないのですから、ある日突然、街路灯の灯が消えたり、街路灯そのものが撤去されたりと、景観そのものもめちゃくちゃ。
おととしからまた、「どうしよう」の相談が私のもとに来るようになりました。しかし、状況はもっと悪く,H12年ころ「灯しつづけよう」と先に立って行動した有志たちがこぞって「もう、いいです。うちは後継者もいないし・・」と下を向き、消灯・撤去の方向に心のかじを切り替えていました。
あれやこれやと存続の方法を考えていたH27年度は、何の手立てもないまま過ぎ、みなさんバラバラの行動をとりました。
26基あった(26基の管理者がいた)街路灯は、一気に12基に減ってしまいました。「話し合いましょう」と回覧を出しても集まる人は2,3人。話し合いにもなりませんでした。
自治会の方でも、1年ごとに全とっかえの役員さん。その年その年で、価値観、意見に相当な違いがあります。「学園台にあるからと言って、なんで我々の会費をそんなところに使うのだ。あんな物無くなって真っ暗になろうが、私の生活にいっさい関係ない」とおっしゃる。これは、その通りです。500世帯あろうが、たくさんの人の集合体である自治会の予算に「街の灯り」や「安心の道」、景観がもたらすノスタルジーなど、とてもなじむものではないのはわかっていました。
財政難、後継者難で滞った街路灯の維持管理は、サポートどころか、灯している街路灯に対する助成なので,H27年度は、助成金75000円だったのが、宮代町、自治会ともに48000円に引き下げられました。(泣きっ面に蜂・・)
がたがたになって行く時は、速いもんです。一気に灯、気概ともに消えていきました。時間的にも、心情的にも、かなり入れ込んでいた地元議員の私は、何も貢献できませんで、指をくわえているだけ。非力な議員です。
委員会などでは、「ふるさと納税が1億円も集まる宮代町は、たった数万円で助かる灯にも手をさしぼべられないのか。消してしまうのか」と、文句は言いましたけど、消えてしまった後の、情けない議員の(犬の遠吠え)以外にない。
ところが、「灯しつづけましょう」の案が
ところが、今年4月から動き始めました。今年度の自治会役員会がまず関心を持ってくれました。「ただの宣伝灯ではない。県道沿いのなじんだ灯りであり、防犯灯などよりずっと明るい安全灯だ。真っ暗になったら不便だ。もっと考えてみたい」と。
そのもとになるものは、「電気料の補助としてこれからずっと毎年48000円出しつづけることはできないだろう。ここで少し多く投資してもLED化を進め、後々の負担を減らそう」という事業費の見直しの中での研究だったのですが・・。「あれ、意外と安くできる!」
ここ2,3年は,LED化する街路灯、商店街などに県、町の補助が付き、LED化が一気に進みました。もちろん、組織があり、やる気(後継者アリ)あり、ある程度の貯金があるとところで実施できた、というただし書きが添えられますが・・・。
こういったLED化事業もひと段落した時期というのもあったのでしょうか。組織もない、援助ももらえない、来月の電気代も厳しい、といった学園台街路灯みたいなものにも、「希望の灯」が点灯しだしたのです。業者は、できる限り、機器代、設置費用を安くして見積もってくれました。この「山」を越えれば、あとは、ず~んと安くなった電気代を出していくだけ。なんとか頑張ろう。
まさに、、「風前の灯」が、風に消されようとしていた今年、「希望の灯」が灯ろうとしている❢❢
一昨日、学園台集会所の1室に、街路灯保存会「スズラン会」の代表と私、今年度の自治会長、副会長の4人が集まりました。「何としても、灯しつづけましょう」の意見、そしてその方法が話し合われ、方向性が一致しました。
こんな小さなこと、数万円の捻出にも苦しんだ数年でした。お金に不自由していない人なら「10万円もくれてやったら解決するんじゃないの。おれ、だすよ」というほどチャチな話なのかもしえません。でも、いや、これは何でもできたバブルの頃の遺物であり、(街のにぎわい)を支えたあかりの話なんじゃないですか!
地元同士なのに、不信感を抱き、「死に体の組織に、血と汗の学園台会員の会費を投入する言われも論拠もない」と言わしめた、小さくとも、ある意味大きな「街路灯問題」。やっと出口が見えてきました。
加須ージャンボこいのぼり [地域発]
5月3日(火)
巨大! 100mの鯉のぼり
6年ぶり。加須の日本一(!)鯉のぼりを見に出かけました。
前回見物したのは2010年だから、6年ぶりになる。再び、あの巨大な鯉のぼりに圧倒されました。
場所は加須市でも北のはずれ、利根川の河川敷です。
このでっかい鯉のぼりが風に泳ぐには、程よい風に乗る必要がある。
3~5mがいいのだとか。それ以下だとクレーンがいくらひっぱりあげてもだらんと下がったままだし、それ以上に風が強くなると、大きな口(直径10mか16mだったか)が吸い込んだ風の力で、布が裂けてしまう。実際、2代目のジャンボこいのぼり(110mもあった)は、口から裂けた。
今日の風は、まさにそよ風。多分3~5m。予定通り午前11時30分、巨体を持ち上げた❢
以下、ご覧下さい、その雄姿を。
参考までに。ジャンボ鯉の下に、メダカのような細い線が見えますか? これは普通の鯉のぼり(の特大サイズ)です。いかにジャンボこいのぼりが大きいかわかっていただけるかと思います。↓
土手の上も、なだらかな坂も、河川敷も、人でいっぱい。このイベントのために、市の職員、消防、警察、地域のボランティアなど、たくさんの、たくさんの力が集まっている。
同時開催で、クラシック・カーの展示も。マニアなら喉から手が出るようなすごい車、懐かしい車が集まってきていた。
おすすめします。加須のジャンボこいのぼり。でも、シート、ゴザなど敷物は、絶対忘れないで。
ふるさと納税のすごい額 [地域発]
3月23日(水)
35億円入ってきた都城市
小さな町村なら、年間予算と聞いても驚かない35億円という額。でも、これは、宮崎県都城市が2015年に集めたふるさと納税の金額だというから驚いた。今朝の東京新聞社説の記事です。
ふるさと納税のポータルサイト「ふるさとチョイス」によると、2015年、ふるさと納税が最も多かったのは、宮崎県都城市の35億2700万円。これは、1014年度のトップ、、長崎県平戸市の2.8倍になったというから、《特典競争》の過熱ぶりがわかります。
2015年の2位は静岡県焼津市の34億9200万円と、わずかの差で続く。
体のいい寄付あつめだ
ふるさと納税上位ゲット自治体は、いずれも、「グルメ」余裕生活者の食指を動かした結果です。察するに、普通に生活したうえで、さらに余裕の部分でこういった特典ゲームに参加する人たちが増えているということでしょうから。
都城市は、特産の宮崎牛と焼酎、焼津市はマグロを中心とした500種類以上の品ぞろえカタログに、人気が集まったというのです。
2015年から控除限度額が2倍となり、国のもくろくどおり? 各自治体の競争をあおることになっている。
以前にもお伝えしたが、500万円の寄付で350万円の新車、1000万円の寄付で750万円相当の「土地」なども登場するとなると、「なんだ、こりゃー」という感情は当然生まれます。
新聞「社説」も言っているように、ここまでくるとふるさとへの恩返し、がんばっている自治体を応援する、といった本来の目的から大きく逸脱してくる。
自治体によっては、他の自治体に納税する人が多ければ損をするだけ。反対に納税が多ければ、破格の「雑入」が増えてウハウハ。
国は勝手に旗を振って、自治体間のぶんどり合戦をあおっているだけではないか。
従職員が奮闘
ここまで集まってくると、返礼品、特産品の工夫も並大抵ではない。当然、専従職員を置いたり、特化した担当課まで設置する例も出てきた。そりゃー、数十億円という収入が見込めるなら、ひとりや2人、イヤ5人の専門プロジェクトチームをつくったって、(このペースが続くとすれば)誰も文句は言わない。
海の幸、山の幸が豊富にあるところはいいなぁ、心の底から思います。
宮代町も納税がたくさん
2015年度の宮代町も、予算として計上された数字と比べたら、本当にたくさんの寄付納税を集めた。宮代町を気に入ってくださった人が多かったというわけです。
小さいながらも努力しているまち、貴重な自然を残しているまち、として他自治体、県外自治体から評価されているのはうれしい限りです。
だけど、ふるさとを離れたネイティブ宮代人が、(せめて寄付で)と、思ってふるさとに寄せる思いはこの中でどのくらいだろう。
道仏などに移入してくる新住民は多くなった。しかし、宮代町で育った子供たちがどのくらい町に残っているのだろうか。他のまちからどのくらい、ふるさとにふるさと納税しているのだろう。
祝辞で伝えた
私は、今日、笠原小学校の卒業式にお招きをいただき、出かけた。肌寒い気温の中でも、はだしで式に臨んだ、凛々しき卒業生たち。
祝辞を申し上げる役を仰せつかった私は、「あなたたちは、たくさんの人たちから愛されて育ちました」「ふるさとはいつでも待っています」「町の人は、きっとこう言いたい。この町を頼んだよ、と」を、文章に盛り込んだ。
それにしても、卒業式は感動する。私は〝あの歌”が特に好きです。題名はわからないんですけど、白い光の中に・・勇気を翼に込めて、希望の風に乗り~、というフレーズの〝あのうた”
いつ聴いても、心に迫る。ずっと幸せでいてください、「生」を謳歌してください、と思いながら、自分のつぶやきに自分で涙した。
那須塩原市長、退職金20円 [地域発]
1月22日(金)
公約で、「退職金ゼロ」
21日に退任した栃木県那須塩原市長の阿久津氏に支払われる退職金は、20円だという。
阿久津憲二前市長は、4年前の市長選の時、「給料3割カット」「退職金ゼロ」を公約にして当選を果たしました。給料の何割カットというのは、今や多くの首長が実践しています。これは条例で期間を決めて本給からカットされるもので、条例の効力期間が切れれば元に戻る。
一方、退職金は、面倒な手続きが必要で、多くの首長は口では何とか削減したいといいながらもやる気はない。広域で作る退職金組合の中で、別の規約などがあり、なかなか実現させにくいというのはあるが、「退職金ゼロ」すなわち、退職金は要りません、とは言った人はいなかったし、実現例もなかった。
それを、激戦の中の公約とはいえ、言及して当選したのだから後には引けないでしょう。
公務員や民間会社員が一生(38年間、42年間など)務めてもらえる退職金2000万円ほどがたった4年の任期が終わるたびに支払われるのだから、トップというのは一度やったらやめられない、おいしいお仕事らしい
しかし、実際、支払われた退職金が、条例に基づく計算から20円となると、落選したショックに加え、ダブルの痛手ではないかと、気になります。自分で決めた特例条例がない場合は、正規の計算式で1935万3600円がもらえたのに。
4年前に争ってやぶれた君島氏が今度は当選したのですが、君島市長は退職金については「今後検討してい行きたい」とだけ答えているという。(こりゃー、やらないな)
高すぎる特別職の退職金
退職金組合の財源が焦げ付いて≪火の車≫状態だったことは、7,8年前ころからずっと、取り上げて「視点」などでお知らせしてきました。※私への取材で、読売新聞1面で「たいしょくきんもんだい」が取り上げられたことがありました。
税金から負担金として各市町村が納める退職金基金は、昭和50年代にどんどん増やした職員の退職時期を迎え、まったく基金が足りなくなった。
退職金のための積立が始まった昭和36年当時は本給の6%の積立だったものが、退職対象者の増で全くなくなった。そこで、負担金割合を増やし、一番厳しい平成20年ごろは,本給に対して1000分の215、を税金から負担しなければならなくなった。つまり、負担金という項目で隠れていても、住民は退職金のためにさらに本給の21%以上を負担したのです。(今はやや下がって20%を切るようになったとか)
それでも、長年勤めた職員さん、決められた算定式で支払われるのは決められた権利。文句の言いようはない。
しかしです。特別職は別格。
こんな≪火の車≫状態の退職手当組合の運営にのなか、特別職に4年い一度支払われる破格の退職金にメスが入る様子はない。
(なったが勝ち)の特別職。おまけにこういう立場の人は、交際費も公費から用意されるわけで、税金でお付き合い、選挙運動をやっているようなものなのだ。
選挙のためとはいえ、退職金ゼロを掲げ、特例条例まで策定した、那須塩原前市長の切り込みは、ある程度評価する。しかし、後に続くものがあるとは思えない。
、4年任期の特別職(首長、副首長、教育長)が、一生モノの一般職員の退職金とあまり変わらない金額という、この割合は、もう見直した方がいいのでは。
生きたオオグソクムシを返礼 [地域発]
1月12日(火)
焼津市の「ふるさと納税」
ふるさと納税の返礼品の品数の多さでは日本一と言われる静岡県焼津市。マグロ、サバ、蟹などの水揚げ港を持ち、ウナギの産地もすぐ近く。さらにはお茶の産地も周辺にいっぱい。牛肉の産地も。
こういった自前の特産品につられて、「ぜひ、焼津市に納税し、お得な返礼品をもらおう」という人は、後を絶たない。何をもらってもおいしそうです。
生きたままクール便で
その焼津市は、過去に「オオグソクムシ」を使ったせんべいを企画・販売するなど、オオグソクムシを大いに活用。グソクラスタの間では、有名な聖地なんだそうです。
おいしいのか、食べたことないのでわかりません。が、食べてヨシ、飼育してヨシ、何だそうです。
駿河湾で行われる漁で確保した中から2匹を、生きたままクール便で届けます。注文が入ってから漁を行うため、発送まで3週間ほどかかる場合もあるそうです。でも、マニアにはたまらない返礼品になりそう(?)
「ふるさと納税」として、焼津市に1万円以上寄付した人が条件です。
宮代町のキジ
ところで、宮代町では、駅から数キロのところで野生のキジにあえます。これは感激ものですが、会おうと思ってすぐ会えるものではないのが難点。
ずっと見かけないでいたのですが、先日、西原団地前の町道を悠々と横切っているオスのキジを見かけました。建築許可申請が県内自治体でも多いといわれるこの頃の宮代町。年中、工事の音が聞こえている環境では、いよいよ雉もどこかに住まいを移してしまうのか、、と思っていたところですからうれしかったです。
キジは、納税の返礼品として差し上げるほど生息していません。駅から10分で貴重な里山風景が広がる宮代町ならではの貴重な居住動物です。
農作物に被害
でも、出あえてうれしい人もいれば、「何とかしてほしい」と、困り切っている人もいます。
数日前、ある農家で立ち話。「困っちゃったよ。雉にゃー、まいった。収穫前の葉っぱを食べられるし、あいつらは西瓜まで食べちゃうんだ。猟友会の人に頼んで、ある程度減らしてもらうように頼んだんだけど。加納さんにも頼むよ。何とかしてくれ」と。
私は、「いい方法がないか考えてみます」と言いましたが、まったくいい方法が浮かびません。雉と言ったら桃太郎の登場するおとぎ話の世界。ほんわかしたいい話なんですが・・。猟友会に頼んで駆除してもらう、なんてとてもとても・・・。
難しいものです。物事には、「絶対反対」と『絶対賛成」が往々にして存在する。どっちの言い分もわかる。悩ましい。
確かに、人家の庭先で見かけたり、町道を横切ったりするということは、畑の農作物が被害を受けているということなんでしょうネ。
宮城県とインドネシアの小学生 [地域発]
12月20日(日)
河北新報の記事からです。
宮城県宮戸小の児童がインドネシアとテレビ電話
本年度で閉校する東松島市宮戸小学校(児童数18人)の児童が、17日、2004年のスマトラ沖地震の津波で大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州の小学生とテレビ電話で交流したそうです。
2つの国の児童は、異なる文化を持つ同世代との会話を通じ、考えや疑問をしっかり伝えることの大切さと楽しさを学んだに違いない。
ドリアンはどこに生えているの?
宮戸小からは3,4年生を除く13人が参加。アチェ州、ランビラ小からは4~6年生10人が参加。
宮戸小は地元名産のノリやおいしい給食を紹介したそうだ。ランビラ小学生から「宮戸島で一番きれいな場所はどこ?」と質問され、「大高森の頂上から見える景色!」と答えた。
宮戸小の児童が「ドリアンはどこでどのように生えているの?」と尋ねたら、「山に生えている木の上で実がなり、熟すと実が落ちてくる」と答えたという。(へーぇ、そうなんだ。熟して落ちてきた実だったのね。そのあともっと熟すのか、あの匂い。)
国際交流はNPO法人「地球対話ラボ」の東日本大震災復興支援事業の一環だそうです。宮戸小としての実施は最後となった。
宮戸島にある宮戸小学校なんでしょう。全国には毎年、たくさんの小中学校が統廃合などで廃校になっています。先日の学習会で聞いたことですが、今1年間に400校が統廃合という道をたどっているそうです。
どこの学校に通うようになっても、誇るべきふるさととして「大高森からの風景」のことは胸を張っておはなしてほしいと思います。
10円自販機に思う [地域発]
12月7日(月)
10円自販機がおもしろい
大阪市福島区に、10円を投入すると飲料が出てくる「10円自販機」があり、購入者が絶えないそうです。1日2回商品を入れるも、間にあわず、次々(売り切れ)の赤ランプがともる。
何が出てくるかはお楽しみだそうです。というのも、この自販機を設置した社長、賞味期限まじかになってつぶされる運命の飲料を(もったいない精神で)安く買い取り、10円自販を実現している。
賞味期限ぎりぎりだって、大丈夫。なにしろ回転がいい。入れればその日のうちに売れてしまう。
缶ジュースや缶コーヒーの、扱いが悪くて凹んだもの、ペットボトルの期限ギリギリは、多分相当安い。回収してツブしてしまうのもお金がいる。益がないどころか、もったいなくて製造側としてはつらいもんです。
そこに目を付けたのが大阪人らしい。40回もボタンを押してまとめ買いする人も多いという。何が出てくるかはわからない。「あっ、それほしい。何番押したら出たん?」と、まるで宝くじ気分なのも楽しいのでしょう。
ここはパワースポット
10円自販機があるところが「パワースポット」になっているというのも大阪らしい。「にぎわい」はパワーになるもの。
売り切れボタン点灯続出では、遠くから来た人に悪いと、売値の何倍もする商品を入れることもあるという。ここが「ミソ」なんだと思う。
「地域に貢献」を最優先に、次に「廃棄物にしてしまう無駄コスト」を考えた場合、儲け度外視は当たり前。きっと、どこかで廻りまわって、この経営者には(いいもの)が舞い込んでくるでしょう。
大阪に住んだ5年間は、ずけずけと「それ、ナンボしたん?」とまず値段から聞いてくる近所の奥さんたちにしり込みした。できれば気取っていたい東京人としては「聞いてくるのはソコじゃないでしょ」といいたい。
しかし、大阪らしい話題があると、ほほーっと記事に目が行ってしまうのは、ほほえましい話題に弱い「寄る年波」のせいか。