医療と介護を結ぶ② [地域発]

11月30日(金)

一人が一人を支える時代

  最初のレクチャーの時、示されたグラフです。わかりにくい写真で恐縮ですが、左上は戦後すぐ65年ほど前の年代別人口構成、平均寿命が50歳代という時代。赤い部分(65歳以上)は上のほうのわずかな部分。戦争で失われた男性(左側)の20~30代が落ち込んでいる一方、子どもの世代が広く裾野を作っている。一番下のぐーんと広い部分が団塊の世代。

その右が、現在。団塊の世代が広くなっているが、65歳から100歳までの赤の部分が大きな部分を占めてきている。

左下のグラフが2030年の推定図。頭でっかちになっている。

右下のグラフは、2050年の推定図。人口減少で、もはや生産人口も激減している。

菜の花1.jpg

菜の花2.jpg

  高齢者の増加とそれに占める認知症の割合

健康生活アセスメント

「多職種協働」の人たちで、お隣さん「幸手団地」の健康生活実態調査をしました。壁一つのお隣でも、立ち入れない現実。生活状況では40%が独居。26%が精神的な悩みを持っている。

くらしの保健室・・よろず相談、講和などを開いた。9月23日から10月29日までに、7回開いたよろず相談には47件、39人11人複数の相談もあった)があった。が、男性の相談は極めて少なかった。

〇1例・・・70歳女性。夫がアルコール中毒のよう。毎日5合飲む。介護申請の仕方がわからなかった。

〇1例・・・心臓弁膜症の妻を看病している76歳。自分も体調悪いが我慢している。先行き不安。

このような不安が実はたくさんある。重症にならないうちに見回り機能が働けばいいのだが、遅れると悪循環になる。民生委員、ケア・マネとの連携が必要。

医療と介護の<深い溝>を超えるため

新しい、200床以下の「地域密着型急性期病院」のモデルを作ろう!

この作業は、中野医師やUケアマネなどを核とし、東埼玉総合病院の支援体制の中、スタートした仕組みです。正確には、東埼玉総合病院が、幸手団地の隣に引っ越した今年5月から始まったといっていいと思う。

まだまだたくさんの「協働」が必要なのだと思います。

報告のあと、それぞれの立場の人が意見の述べた。市内医師会のある方は、「過剰な福祉は生活をダメにする」「過剰な医療もバランスをダメにする」とおっしゃった。大方の医師会はこういうだろう。が、中野医師も、それは重々承知しておられる。

歯科医師会長には、中野医師が「誤えん性肺炎を防ぐのに、歯科医師会の参加はありがたい」というと、「理解しています」と。肺炎球菌ワクチンの必要性もあらためて理解できました。

とにかく、「悪い状態で病院に運ばれてくる」=荷重治療、荷重薬投与、病院を出たり入ったり、の悪循環をさけ、<医療や介護の一歩手前>での対応を徹底する"菜の花プロジェクト”に大いに触発された時間になりました。

「何とかしよう」との思いの人たちは、勤務時間、診療時間が過ぎてからの集会。これからも興味と期待を持って勉強させていただきたいと思いました。

第2回目となる報告は来年1月末あたりで考えているとお話されていました。

なお、蓮田市でも「在宅拠点事業」が動き出しているということです。こちらはどんな内容なんでしょうか。

義父はあくまでポジティブ

東埼玉総合病院を退院して「六花」の介護老人保健施設に移った義父は、そろそろ3週間になろうとしています。病院のベッドの上で33日間過ごしていたので、足が衰えてしまいました。この施設で、少しずつ運動して機能を回復させています。

一日おきに顔を出していますが、日に日に落ち着いて生活できています。おかげさまです。

「今日は、足の運動を少しやった」「今日は1人で立ってみた」とか、体験した軽いリハビリがもっぱらの話題だ。「見込みがあるっていうから、がんばってみようと思うんだ」(えっ、誰が言ってるの?)「2、3週間で元のように歩けると思うんだ」と言っている。おそらく、誰も「見込みがある」なんていってないと思う。けど、これが102歳なりの自分納得術なのだろうから、聞き流している。

手の使い方もぎごちなくなった。しかし、食事は「すべておいしい」のだそうだ。おぼつかない手で、おかゆにおかずを全部混ぜ込んで食べるのが便利(なんだそうだ)。量については「過不足なし」

食事時に面会に行く。みなさん、車椅子でラウンジのテーブルに着く。介護士さんに口に運んでもらう人もけっこういらっしゃる。私はまったく手伝わないけど、こぼしたりしないで食べる。(口の周りに食べ物がくっついている人もいるが)義父はよだれや鼻水さえない。

みんなに薬を飲ませるので、介護士さんたちも忙しい。5、6種類の薬を口をあけて入れてもらっている。ご飯を食べるのが早い義父は、お茶を少し残し、薬が来るのを待っているようだ。

自己コントロールできている。ただし、夜はチと違うようで、筆談で「今は夜の11時ですよ」と、介護士さんが書いたのを見つけると、夜お手を煩わしているのかも。

今回の介護度の区分変更申請で、要介護1から要介護5に区分が変わった。「そうかな?そんなに重くないけど」と不思議に思ったが、介護度が上がったのは102歳という年齢でオプションがついたんでしょ、と思うことにした。何かあると重篤におちいりやすい年齢だ。

おかげで、機能回復している。入所させていただいているのはありがたい。介護度なんていくつでもいい。

本当におかげさまなのですから。


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