再びミツバチの話 [歳時記]
ミツバチに受難の時代
昨年、(いつだったか)ミツバチが消えた原因についてブログに書きました。ミツバチには受難の時代です。ミツバチの多様な役割を認め、減少の一途をたどることに心を痛めている、久田浩司氏(結いデザインネットワーク代表)が、人間の幸福感に代えて語っています。
例えば、かつての主要な蜜源の栽培面積は昭和30年代に比べて、レンゲで28.8%、菜の花にいたっては3.4%にまで激減しているといいます。人間の暮らしの変化がミツバチを追い詰めています。
一方で、昨年お知らせしたように、農作物の受粉に影響が出るほどミツバチが不足していると大騒ぎにもなっています。
ミツバチが花粉の交配に役立っていることも伝わっていないのが現状。このごろは〈刺す〉という理由で悪者あつかいであります。「蜂は、みんな一緒、悪者ダヨ。だけど、ハチ蜜は大好き」などと、現代は、自然のルールなど関心なし。
「ミツバチが暮らしにくいのは環境のせいです。その環境を作ったのは人間。だから環境問題と捉えてほしい」と、玉川大学ミツバチ環境センターの中村先生は言う。
ミツバチを真ん中に置くことで、いろんなものが見えてくる。ミツバチがいて、ミツバチを介して植物が受粉し、実をつけ、(鳥がついばみ、運び)種を落とし、命がつながっていく。人間もその恩恵の中にいる。「生物多様性が豊かになるということは、生き物同士の関係が多いということ」と中村先生。
「花は人のためだけにあるわけではない」(好きな花を花屋で買えばいいじゃん、じゃーないのですよ) 自然の恵みの循環を知った上で、花を愛で、花を贈ったりしたら、もっとやさしい気持ちになれそう。ミツバチで気づかされることは多いと思います。
幸いとは「咲きはひ」
幸福(さいわい)は、昔は「さきはひ」と書き、「さき」は、花が咲きひろがり、咲き続けることだという(国文学者-西澤進先生)。いにしえの人々は、暮らしの中で、きわめて具体的に人生や暮らしを捉えていたのでしょう。そのセンスをいかに後世に伝えるか。
NPO「ミツバチ百花」の人たちは、ミツバチ問題にはちみつから入った人もいます。農作物から入った人もいます。野鳥問題から入った人も。そしてこわれていく自然循環から関心を広めた人もいます。どんな関心からでも、それぞれの分担から組み合わせて一つの社会を考えていくのがいいと思いました。
蜂の箱が8つもあった幼少時代
私の子どものころ、それも小学校に入る前ころ、私の家の庭にはミツバチの箱が8つくらいありました。春先にはぶんぶんミツバチが飛んできて、あの羽音が子ども心に不気味だった。縁側で遊んでいると肩先に留まったりしました。ムキになって手で振り払おうとすると、手のひらを刺されました。(驚かせなければミツバチがめったに人を刺しません)
どんどん腫れていく手のひらを見て泣いていると、いつもはもらえないようなデラックスなおやつをもらえました。病気の時しか食べられなかった「桃缶」みたいに。
でも、いつも本物のはちみつがいっぱいありました。近所の子供が怪我をしたり、口内炎が出来たりすると、差し上げて喜ばれました。「はしか」の治りかけの人も「ください」といっていらっしゃいました。効いたかどうかはわかりませんが、、。
本家はもっとでっかい家だったのですが、そちらの親戚にはもっと蜂の箱があった記憶があります。養蜂というのではないけど、万能薬みたいなものだったと思います。「半分ハチさんのために取っておいて、半分使うんだよ」と、親戚のじいちゃんは言っていました。
あの頃は、ミツバチが十分暮らせる花もいっぱいあったわけです。そういえば学校帰りの畑は、一面菜の花でまっ黄色だった。そのあとの田んぼはしばしの間レンゲ畑。田畑は休ませない農業環境と、人手があったのでしょう。もう手に入らない風景です。
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