「心のノート」の予算は見直しされるのか [事業仕分け]

行政刷新会議・事業仕分け

一昨日は、文科省の事業仕分けが行われました。仕分け人・取りまとめ役VS説明人(官僚)のやり取りが、連日メディアで、放映されています。が、今後の流れ(行政刷新会議⇒財務⇒予算案)の中でどういう形になっていくか、その方が気がかりです。

枝野(民主党)まとめ役が、言うように「3兆円の削減が目的ではなく、事業の(中身の)洗い出しが目的」なのですから。

H20年11月「心のノート」事業には、すでに廃止の声が出ていた。

昨年、「構想日本」と、当時の政権党の自民党若手議員pjの「無駄撲滅チーム」で行った、事業仕分けの記録があります。ここで、「心のノート」事業は、仕分けされた結果、4億円の21年度予算に関して、「廃止」が望ましいとの見解が出ていました。しかし、この見解はまったく生かされず、そのまま事業化され、「心のノート」は、全国の小中学校に配布されました。

宮代町でも、「素晴らしい教材」(当時の担当・予算委員会での弁)として使用されています。これについては特に申し上げることはありません。国費で教材が送られてきた以上、それぞれの自治体の方針として使う、使わないは、ご判断に任せるからです。                                                     ※議会の委員会審議のとき、「心のノート」の存在を知っている議員がいなかった。

しかし、賛否を含み、いろいろな意見、見解があり、(メディアが取り上げなかっただけで)「見直し」の判定がすでにあったことだけをお知らせしたい。            わたしは、1年以上前の当時の政権党と民間シンクタンク「構想日本」でも、この判定が下されていたけど、続行(まったく意に介されなかった)されていた実態だけを伝えたいと思います。

道徳教育の総合的推進事業・・仕分け人の指摘 H20年11月の記録から

〇「心のノート」は、使用義務がないものだ。国費を使って配布するのは無駄。1割以上が使ってないとの調査結果がある。(実態はもっと使ってないのでは) 今のままでは不要。                                              〇国費を投入しての事業に、成果の「ものさし」がない。研究校の実績は数行程度の報告が送られるだけ。                                           〇成果のものさし、評価の基準、他の副読本との関連を考える必要がある。    〇道徳教育はすでに6年が経過し、15億円以上投入されているが、効果面の検証をしておらず、公費の意識が欠落しているのではないか。                                    〇少なくとも、現状のやり方では、効果があるとは考えにくいので不要。道徳教育は、地域、自治体、各学校で取り組んだほうがはるかに効果的。                  〇実践研究は何を目指しているのか目標が不明確。これまでの成果を検証して次のステップに進むべき。    当時、こういったコメントがありました。

「心のノート」教師用虎の巻?

 実際、何をどう進めればいいのかわからない現場もあり、そういう教師、学校向けに「教師向け説明書」「活用事例集」も出ています。著者は文科省委員会のメンバーだから、趣旨からそれることはない。                          心のノートは、小学校低・中・高学年、中学校用の4種類がありますので、」それぞれに<取り組み事例>が紹介されています。本屋さんに売っています。最初、500円とか、460円とかの参考書も、だんだん充実してきて、このごろではページ数も増えているようです。 (how to ものがでている、、誘導じゃないか?)                                      ちなみに、「心のノート」は国費で無料配布ですが、市販もされています。

小学校1・2年生用 360円 3・4年生用 370円 5・6年生用 380円      中学生用 430円

「心のノート」は、パステル調の紙面で、柔らかな絵がステキです。使っても使わなくてもいいですよ、といいながら無料で配布しています(関与であり、無駄)。                 とても良いこと、もっともなことが書いてあります。                    「どこから読んでもよく、正解もない」と言っていますが、「望ましいこと・・」を示されているような気に、普通はなります。

この「心のノート」には、著作名も発行元もありません。「文科省」とかいてあるだけです。「この印籠が目に入らぬか!」というような威圧感があります。

教育ジャーナリストの青木悦さんは「この教科書を書いた人がわからないところが気味悪い」と言っていますが、人によってはちょっと受け入れがたいです。

文科省は、「教育環境の整備」をやるところであり、直接関与してはいけないと、私は法解釈しています。しかし、国費を使って副読本を現場に配布。 越権行為といえなくもない。                                                 何とない不安、無駄、、、こういったものを感じる人はいると思います。

私が生徒だったら、ノートには出来るだけいいことを書こうかと思ってしまいます。反対に心の中は、息苦しさを感じ、「心の中まで支配されてたまるか」と思いながらニコニコ笑っていいことを書いてしまう...(そういう子供っていますよ)。

子供時代の私のように、危うい子供はいつだっています。「ダサいよ」とか「学校くさい」「かったるい」と、この副読本のことを口にする中学生がいるといいます。  しかし、そういった漠然とした不安感を口に出せないでいる子がいないとも限りません。こういった子を解放してあげる手立てが全然ありません。

今、良いところも、悪いところも含めて「これが私です。どうぞご覧ください」と開き直れるのが必要だと私は思うんですが、「心のノート」は、もうちょっと模範的。   「良いところ」「改めたいところ」は誰にでもある。「自分のいいところを磨こう。」「十分でないところは改善する努力をしよう」...という表現。

芹沢さんの言葉

不登校・引きこもりの研究者、支援者の芹沢俊介氏は  こう言っている。

「『心のノート』は子供達に安心を与えない。いつも、心を点検・監視する装置である。  それと、もう1点わかることがある。                        それは、この冊子が陰影も屈折も乏しい人たちの手になったものだと言うことだ。 正義や善をする時はかくれてしろ、と、むかし聖書が教えてくれた。恥ずかしいということがどういうことか、(我々は)これで知った。                         だから、もし私が、子供の心に何かを贈りたいと思うなら、「心のノート」などではなく、自分の「恥の体験」にするだろう。--」

※引きこもりの子供達の集まりどころ「某フリースクール」のスタッフである、うちの長女は、こよなく芹沢氏を信頼している。

篠崎 修 さん(中学校教諭)の言葉

子供達が求めているのは、こんなものさしではなく、丸ごと自分を受け入れてくれる大人の存在ではないでしょうか。「よい子」の行き着く先が心配です。

国民の声に敏感になってください

私を含めたマイノリティの小さな???が、やっと事業仕分けで表面化した。     国民の声に敏感になって欲しい。                                  以上の声があることを吟味し、文科省は、こんどこそスルー(無視)することなく、22年度予算化に当たっては、丁寧に配慮すること。いいえ、予算化を見送ることが妥当ではないでしょうか。第一、その成果(果実)を示してないうちに、次々に公費を投入したことの検証がすんでいない。


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