ブログ市長(阿久根市長)のその後の日常 [地域発]

疲れていない市長

ブログ市長の竹原さんは、まだまだ孤軍奮闘の様相を呈していますが、ひるむことなく、しっかりと問題点を挙げ、激務をこなしているようです。

フロックではない

最初、これだけの摩擦を起こしながら戦っている市長って、どんな人だろう。世の中にたまにいる「変わり者か」と思ったこともあり、全国的に自治体を覆っている閉塞感から出現したフロック(偶然起こったこと)かと思ったことも。でも、はっきり違うと思いました。最近、ブログ市長は、我々がバイブルと思っているような人物(前佐賀市長・木下氏)と会合を持ち、ネットワークが(本人が意図するわけでも無いでしょうが)広がっていますし、共感者が増えているようです。

フロックの意味

「フロック」をWikipediaで検索すると、<偶然(ぐうぜん)>と出る。偶然とは必然性の欠如を意味し、事前には予期しえない、あるいは起こらないことがありえた出来事のこと、とある。「たまたま」と同義。対語は、必然。

しかし、対語に必然があるのを考えると、多様な意味あいを持つのでしょう。あらゆる事象が必然的に生起しているはずだとする「決定論」とのかかわりで問題となり、延長線上で「必然」に近づきます。

私などが、こんなややこしいことを言うと「バカか、おまえ」と言われそうですが、バカな私でも「彼はフロックではない」、「言動をもっと見てみたい」と、思うのです。

それにしても孤立感の中にいるのはしんどい

昨日のブログを見ても、職員、議会に挑戦状を突きつけているような文章です。

ー市議会の一般質問で「規則を守れ」、「順法精神」とかを唱える議員が多いと書いてある。それについて以下の文章があります。

ブログから--「市長給与削減について報酬審議会を開かなかったことが気に入らないらしい。彼らの本心が、とにかくなんでも反対しておきたいことから、理屈探しをした結果、その道具として報酬審議会を発見したのだった。規則を道具として利用する態度は間違ってはいない。問題は、その理由、本音、規則を利用する目的の部分だ。給与削減に抵抗したい議員たちの本音(行動)は、言葉にするのもはばかられる。見え透いているのに本人達が気づいていない」---

--「私達は、子供に説明できない、道理の通らない社会に生きている。作っているのは主権者である市民のはずだが、市民同士の勢力、利益争いに明け暮れている。戦う市民の両方が利用されているように見える」---「志を失っているにもかかわらず、権力を持つ組織は、社会への信頼を破壊する。」--

孤独に勝つ強さ

何がうらやましいって、孤独に打ち勝っている強さがうらやましい。    一番の敵は、「孤独」だと思っています。                      孤軍奮闘のしんどさに、つい人と話したくなったり、弱音を吐きたくなったり、団体・組織に頼りたくなったりするモンです。               マイノリティー(少数派)の中で、問題提起するとき一番の敵は「孤独感」です。自分に打ち勝たなくてはなりません。

私は、こういうとき「顔を上げなさい」、「笑いなさい」、「徹底的に孤独の中にいなさい」と自分自身に声を掛けます。組織の中の、あるいは世間の中の相手は、私と関わりたくないので、顔を背けたりします。     「それは覚悟の上」とスルーするしかないのです。           

だけど、意志を通すというのはしんどい。私などは、ほとんど負けそうになりながら、時間の経過を待つのに、竹原さんの強さはどうだ。。       特に組織の中の安全圏にいる人の心理は、ロボットのように手ごわい。 公務員、議員の中で「孤独」を楽しめるか、竹原さん。

武器は、<さらけ出すこと>

この人は、失うものを恐れていない。                      この前の学習会のとき、会場からの質問                                     「抵抗勢力がすごいと、どうやってしのぐのですか」              これに「徹底的な情報公開しか自分を守れないと思います。情報を出来る限り提出し続けることだけです」と。


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