社協や日赤 [地域活動]
4月14日(月)
班長会
学園台自治会活動で、今年度は班長の番が回ってきました。ここに住んで2回目の班長、(役員は1回・副会長)です。昨日、最初の班長会があり、班長の仕事、会費の集め方などの説明がありました。
2回目ですから、もちろん役割はだいたいわかります。しかし、年2回の自治会費+寄付の集金は、報告書をつけて納付までの作業にわずかながら緊張を伴います。(自治会費は義務ですが、社協の会費も、日赤の社資も個人の有志ですから寄付の部類に入ります)
1回目の班長の時には、何も考えませんでしたが、2回目で、しかも議会選出の社協評議委員を経験した身として「ん?」と思う事柄はあります。
社協への報告内容
社協の会員入会費(500円、1000円、5000円)は、毎年5月に集金します。社協そのものが行政ではなく民間団体という位置づけであることを考えると、寄付する・しないは自由です。しかし、多くは自治会費・町内会費に上乗せして集金されます。
集金する人にとっては、いちいち集金に行った玄関先で「どうします?」と聞いて「やります」といわれてから領収書を書くのでは面倒が多すぎます。
そこで、領収書(割り印を領収書と会計簿に押印してある)をあらかじめ用意するのですが、昨日これに質問が出ました。
Q「うちは寄付しませんといわれて、いらなくなった領収書までなぜ社協にかえすのですか?」A「はい、そういわれていますのでそうしてください」
つまり、あらかじめ用意していった領収書、いらなくなったその場で処分してもいいのではないか、と質問している。質問は当然といえば当然だ。寄付しなかった人の氏名まで社協にわたってしまう。そこまでの報告がなぜ必要か、と聞いているわけです。
自治会の役員は、そのように引き継いでいるのだから、答えは間違っていない。だけど、多くの班長さんは、この質問であらためて「なぜ?」と思ったに違いない。
社協への報告は、集まったお金だけ(もちろん、500円会委員は何名、1000円会員は何名とかの明細書アリ)でいいのではないか。
一括寄付はダメか
また、ある人が質問しました。
Q「個人個人が出すというのではなく、自治会の意志として、一括5万円とか、10万円とか寄付してはどうか。自治会費と一緒に半強制的に集金すると、(滋賀県の裁判のように)訴えられることもありますよ」 A「自治会が今年度作った専門委員会で今後検討していきます」
この質問は、班長さんの集金の煩わしさ、自治会員の寄付のことわりにくさを思っての質問だ。自治会費の年間活動費として、日赤に5万、社協へ10万など決めてしまえばそれぞれの負担が軽減される、ということなんでしょう。
福祉という大義名分
おりしも、3月12日朝日新聞「私の視点」で、この問題を取り上げていました。昨日の自治会資料にも参考としてこの記事の切り抜きがつけられていました。
ーー記事からーー「今年も、社会福祉協議会や日本赤十字社からの社資募集、要するに「寄付のお願い」への対応を迫られる自治会。前年通りの自治会費とともに一定額の社協会費や日赤社資が、その集金の煩雑さや負担を軽減するために、自治会費に上乗せして一括集金されることになるだろう。
(略)市民団体の調査でも同様な傾向だった。22自治会のうち①自治会費徴収時に社協・日赤各500円ずつ領収書と引き換えに集金する。9団体 ②自治会費に各500円を上乗せして徴収する(個人への領収書なし)。4団体 ③各世帯500円には満たないが、寄付金として自治会会計から一定額を拠出する。8団体 ④集金袋を班内に回し金額も寄付自体も自由とする。1団体 =という結果だった。
わが自治会は①でありますが、ことわるには勇気がいり、反強制的であります。②③は強制あるいは義務化している。④はもはや会員制度が破たんしている。
社協の会費も日赤の社資も、本来は市民や団体からの寄付であって、自由意思に基づくものでなければならない。「寄付は自由」という当たり前のことがなぜか実現できていない。
いわば強制に近い集金の仕組みを自治体も容認し、さらに便宜を図りさえもしている。
この実態に警鐘を鳴らしたのは、滋賀県甲賀市の希望ヶ丘自治会の住人5人だった。募金や寄付金を自治会費に上乗せし、一括集金をするという自治会決議を無効として自治会役員をうったえた裁判であった。
「事実上の強制をもってなされる寄付についての決議は、会員の思想、信条の自由を侵害するものであって、公序良俗に反し無効というべき」との最高裁での確定が出た。
にもかかわらず、全国社協や日赤の自治会を通じた集金実態は従来とあまり変わらず、自治会が決めた方法であれば事実上問題はないとしている。
この実態にメスが入らないのは、社協や日赤が「福祉」という大義名分を掲げているからだろう。健全なボランティア精神、寄付文化が根ずくために、少しの勇気を出して、自治会の一律、上乗せ一括集金に異議を唱え、「寄付は自由です」といってみてもいいのではないか。--記事引用――
まったく、昨日の班長会は、そこのところが如実に出たといっていい。悩ましいところだ。
自由意思や集金袋を回覧で回すなどということになったら(日本の場合)団体としての「こころ」は崩壊してしまう。
かといって、「出すのが当たり前」というのは変だ。
※おととい、(グッドタイミングに)ある高齢者・生活弱者支援団体の集金がピンポ~ン。「〇〇です。会費の集金に来ました!」
私はこの団体の賛助会員になっている。(今年も当然出してもらえるんでしょ。だっていいことやっているんだから)といわんばかりのお気軽さに、毎年(もうやめようかなー)と思うのであります。でも、そう思いながらも「まっ いいか」と、年会費と引き換えにもらう「賛助会員証」を財布にしまう。
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