「再仕分け」の意味 [国政]

12月17日(金)

「経済気象台」

今朝の朝日新聞の「経済気象台」の記事がわかり易いと思いました。経済欄(11面)に、経済の「天声人語」みたいなコラムがあります。そこに民主党がやっている「事業仕分け」の、第3弾「再仕分け」について書かれているのが面白い。

--民主党政権で、ただ一つ国民的な支持を受けているといってよい事業仕分けの第3弾が終了した。--再事業仕分けが実施されたが、この「再仕分け」こそがこのプロジェクトの限界を示したといえよう。

なぜ、再仕分けが必要だったのか。第1弾、第2弾の事業仕分けで、「廃止」「見直し」「縮減」と格好よく判定し、マスコミの関心を集めても、それがどれだけ実施に移されたかまったく不明であった。まさに再チェックを必要としたわけだ。

裏を返せば、その大半が無視され、「看板付け替え」「先延ばし」などに衣替えし、概算予算に計上されていた。-- 引用

それゆえ、第3弾は、第1、第2の事業仕分けの成果の検証--「再仕分け」をせねばならなくなった。おまけに、第3弾では、民主党から編成した予算をめぐって、仕分け人と(民主党が決めた)政務3役との間で、内ゲバ状態。もはや、事業仕分けも、再仕分けもやる意味がない、とまで書かれていました。

仕分け人の傲慢なる態度はどこから?

また、岡田克敏氏の発信では、

--相手の発言を一方的にさえぎる、質問に対する答え以外のどんな発言も許さない。テレビ中継の映像は、容疑者に対する尋問と見紛うような光景でありました。世はまさに官僚バッシング。テレビの前の国民には仕分け人の態度が大変頼もしく映ることでしょう。(「ざま~みろ」的な快感があったかもしれない)

一方、専門的な知識があるとは思えない人が極めて短時間に判断するのを人民裁判にたとえたり、人気取りのためのショーと見る向きもあります。まぁ、こちらのほうがあたっているように感じます。

仕分け人となった人はもともとあのような攻撃的な方々ではなかったと思います。強い権限を与えられた人間と、力を持たない人間が狭い空間に一緒にいると、次第に理性の歯止めがなくなリ暴走してしまう、ということが「スタンフォード監獄実験」で示されています。

<スタンフォード監獄実験>・・・囚人を、看守と囚人役に分けて、2週間それぞれが「役」になりきる、という実験でした。看守役の囚人はドンドン暴走して、この実験は歯止めが聞かなくなりました。実験は6日目に終了せざるを得なかった、ことで知られています。

「役」へのはまり具合には個人差があったようで、これには本来の人格が影響しているのでしょう。悪しき官僚を成敗するというシナリオは誰が用意したかわかりませんが、にわか仕立ての役は、そう長く持たないものなんでしょう。


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