<内輪もめ>で、かたづけるな [国]
自民党は、内輪もめをしないほうがいい?
昨日、衆議院議員-河野太郎さんのブログに書いてあった話です。党内の論議を、河野さんは、内輪もめではない。党を正す力だ、といいます。
「議論もさせない自民党執行部は明らかに間違っている。例えば、誰が予算委員会で質問に立つか、誰が自民党を代表してテレビの前で話をするか、予算委員会で政策を議論するか、政治と金の話をするか、予算委員会で審議拒否をするか(?)・・・。
国民の大多数が、そして党内の大多数が間違った方向に進んでいるときに、それを口に出して議論しないのは間違っているし、党の将来を誤らせる。
もし、国民や党内の大多数が(自民党は)正しい方向に進んでいると思っているときに、その方向は間違っていると言っても、そういった声は無視されるだろう。
明らかに間違っている時に、間違っていると言えば、その声は取り上げられる。
だから今、執行部はこれまでの過ちを認め、それを正すべきときに来ている。それをやらなければ声は一層大きくなる。過ちを正さなければ党が誤る。
内輪もめをするなという声は、いつも流れに逆らって何かを守ろうとする声だ。
正すものが正されていないから、党が割れて内輪もめをしているように見える。正しく物事が行われていれば、逆行する声は消え、内輪もめのように見られることもない。」 河野太郎ブログから
どこを指しているかといえば、舛添さんのパフォーマンスだったり、与謝野さんの新党構想だったり、だと思う。自民党は求心力を失っているから、舛添さんはあらたな求心力になろうと、とりあえず露出度を上げているのでしょう。 これも一理ありそう。 河野さんは、「だったら、総裁選に名乗りあげるべきだった」と、正攻法での体質改善を言っているのでしょう。 これまた、必要。
権力の中にいると、気づくのが遅くなるようだ。民主党もしかり。 でも、今朝のTBS「時事放談」では、「もう小沢さんのところに駆け寄り、結束を誓う声は少なくなっている」と、渡部恒三さんが福島訛りで言っていた。
選挙のことが9割を占めている頭の中だからです。党という傘の下にいると、たしかに民意より相当鈍くなっているようです。
2大政党で、お互いチェックしあう体制が必要と、アメリカのような2大政党の国会論を唱える人がいますが、根本的に違うのは、日本人が「集団主義」、というか「体質的にひとりぼっちを嫌う人種」だってことです。個人個人で考え、集団や組織の中でも、あえて小さな流れを作ろうとする人がいれば・・・違ってくるでしょうが、日本も。
教育の段階からディベートなどをやって、、という提案にも首を傾げてしまいます。学校で習っても、家庭で親が<風になびいているだけの人>、<穏便なことだけ選ぶ人>なら、家庭での影響のほうがずっと色濃く出るはずです。
教育に余裕があって、「少数意見にも」「逆行する意見にも」耳を傾ける訓練をしたら良いかもしれない。
※おととい夜、ある会合(飲み会ですけど)で、「加納さんは社民で・・、福島(瑞穂)さんと親しくて・・」と言われましたが、ちょっと違う。私は、人物本意で人と交流したり、ときは応援したりする人間というだけです。別に、大きな組織と距離を置くツモリも無いのですが、人物も知らないのに人気だけで党の支援もできないわけで、そこは自然体なだけです。 党のネームバリューより、腹を割って話が出来る政治家との接点の方が、何十倍も好きだからです。
ですが、どうも他人は「あの人はこうだ!」と型にはめたがるようです。「ちがうよ!」と口角泡を飛ばして反論する気もないし、ニコニコ笑っているだけだから、いつも「非力」です。 (へらへらしてま~す。)
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