「なぜひきこもるのか」-芹沢俊介講演会 [学習会]

12月20日 フリースクール

今年も、千間台フリースクール「らるご」の年末学習会に出かけました。       ここは、不登校、ひきこもりの児童、生徒、若者たちの居場所としてなくてはならない運営体だと思っています。                                不登校の子供達に「りんごの木」、20歳以上の若者に「HOTりんご」が居場所としてあります。                               

実は、何を血迷ったのか、日にちを間違えて、17日に行ってしまいまして、本チャンは昨日20日でした。私は、どうしてこんなに間抜けなんでしょう。 忙しいと言いながら時間の使い方がほんと、下手です。

                                                  うちの長女は、今は結婚して北千住に住んでいますが、このフリースクールのスタッフ。久しぶりに彼女に会いたいというのも目的の一つで、「おー、ひさしぶり~」なんて、親子は一言二言交わすだけだけど、これがけっこううれしい。 

 講演の休憩時間に、となりに座った若者(男性)が「自分はHOTりんごをやっているが、S子さん(長女)には、お世話になっている。S子さんのイラストのファンです」なんて、言ってくださる。こちらこそ、お世話になります。(ありゃ~、ちょっと居眠りしちゃったけど、まずかった)

「社会的引きこもり」と「存在的引きこもり」

いつもながらの芹沢俊介氏の、やさしくて、気負いのないお話でしたが、昨日は、導入部分から概念に触れていました。 

「社会的引きこもり」とは、(社会的概念でとらえられているところだと)、25歳までに問題化する。6ヶ月以上引きこもるなどがあげられ、治療の対象として扱われている。しかし、これらは、全て(社会的通念で)否定すべき事態とみなされているのが現状です。

「在る」自己を優先して認めるー存在的ひきこもり

「存在的」引きこもりというのは、状態像だから、変化する。動き出せる。 だから否定するものではない。                                               

「在る」自己が、分母にあって、分子に「する」「できる」自己がある。二重性。  「在る」自己が傷つけられてしまったら、「する」自己は機能しない。

あるべくして「滞在期」

引きこもりに、往路⇒滞在期⇒帰路 がある。滞在期というのが引きこもる時期に当たる。強迫性があってはならない。他からの強迫性があれば、滞在気の自分を許せないで、往路と滞在期を行ったり来たりすることになる。滞在期は、「在る」自己の修復期間なのだ。私が、かかわった「引きこもり」の人は、13歳から32歳の19年間というのがあった。修復できるまで家族は、すべてを認めることだ。本当は何もしなくていい。「在る」自己を信頼してあげることだ。だが、ここで両親など家族が腹をくくれないと、「ひきこもりビジネス」などが入り込む。この現状がある。

家族が、「在る」自己の存在価値を認め、滞在期を認めてあげること。

概念はストンと落ちてきました。                              私が、芹沢俊介氏のお話を要約して、お伝えできればいいのですが、文才のなさでなかなか言葉が見つからない。解説不足でくやしいけど、だけど、私には、昨日の芹沢さんのお話は、十分沁みました。

 私も、「滞在期」を(出力を抑えて)過ごしていけばいいんだと、ヒントの灯が灯りました。


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