紙芝居 [日常]

8月16日(土)

紙芝居9本

紙芝居が好評であります。我が家のことです。この夏、3歳10か月の孫が2回目の滞在。暑いので外にも出かけられない。アンパンマンと、機関車トーマスの録画ストックも、それほどモタない。じーっと画面にくぎ付けにしてくれるのはいいのですが・・。

そこで、前回来た時に、図書館で紙芝居を4冊(冊というのが正しいのですか?)借りました。久しぶりの紙芝居だったので、語り手(私)に「もっとゆっくりお話しするんだよ」と、注文がついたのですが。

今回は9冊借りました。図書館の場合、借りる期間が2週間と決まっているだけで何冊でも借りられるのですね。

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「アンパンマンとかいじゅうアンコラ」「アンパンマンとらくがきこぞう」「アンパンマンともぐりん」「アンパンマンとごりらまん」「アンパンマンとつみきのしろ」、「ひよこちゃん」「きょうりゅうぼうやのさかなつり」「コッコおばさんのうれしいおでんわ」「ダンボムシのともだち」

「よんで」「読んで」とリクエストがあったのは、アンパンマンシリーズの5冊が先。休みなしの5冊連続読みに、途中で思わず眠りの世界にはいりそうでした。前回の注文で、今度はゆっくりと、次の場面に移る時、マを持たせたので、このマのときにこっちが睡魔に襲われるのです。

紙芝居・他のパフォーマンスとの違い

紙芝居は「絵」と演じ手の「語り」が主体です。演じ手(一人)と、観客が向き合い、直接交流することをにより盛り上がる。演じ手は観客の反応を見ながら、絵の引き抜き方、声色、せりふまわしなど演じ方を自在に変えることができます。この双方向性と一体感は、テレビなどの一方交通のメディアでは得られないもので、紙芝居の特質であります。

普通の芝居は複数の役者が主体。人形劇は「人形」と演じての語りが主体。絵本の読み聞かせは、「絵」が主体で「語り」は従。なのだそうです。

現在の日本で隆盛を誇るマンガは、紙芝居の語りや動きを「絵」に書き込んだものとみることができる。アニメは絵とセリフが主体であり、紙芝居にかなり近いが、観客は「受け身」に終始する。・・と「紙芝居」を検索すると書いてある。

たしかに、「ダンゴ虫さんがぶつかったのは、石ではありませんでしたー」というと、たった一人の観客は「かたつむりでーす」と、ノってくる。

テレビ大好き人間を自認する私ですが、なるほど、紙芝居の一体感は、テレビにはない。

紙芝居の時代

紙芝居は日本だけの文化なのだそうです。戦前と戦後に1回ずつブームに沸いた。戦前は「戦記もの」「お国のため」ものでした。戦後は商売とくっついた街角紙芝居だったのですが、内容が教育的でないなどの批判に会って自主規制したため、自由奔放な発想を失い、テレビの急速な広がりで、お株を奪われて急速に衰退した、という。

子ども時代の一時期、お寺の広場などに、紙芝居の叔父さんが来た。水あめなんかを買って2本ほど紙芝居を見たような気がする。夏の今頃は「お化け」ものが多く、たいこの「ドッドドドドンドーン」を打つ不気味な音だけで恐怖に落とされた。強烈な紙芝居画面は夜になっても、子どもごころに(怖さ)を残した。

テレビの普及を考えると、そう長い期間、「紙芝居の叔父さん」が来ていたとは思えないのだけど・・よーく覚えている。

それと比べると、なんて平和な絵で、ゆっくりとした時間なのだろう。けっこう悦に入ってる自分なのです。

紙芝居とGHQ

戦後の街頭紙芝居は1946年ごろから人気急上昇し、GHQ占領時代に最盛期を迎える。日本占領を始めたGHQは、当時の日本における紙芝居の子どもに対する影響力に驚くことになった。GHQにとって「予想もしなかった人気メディア」だったのである。戦前からの国策・軍記物紙芝居を取り締まるため、GHQは1945年11月15日、映像部門に紙芝居担当係を置いて、内々にピクトリカル・コードを定め、検問を行った。戦後に活動の自由を得た共産党系組織が左翼思想の浸透に印刷紙芝居を活用しているといって、GHQはこれにも神経をとがらしたそうです。


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