ぎりぎり間に合った「野党一本化」 [選挙]

7月13日(水)

ぎりぎり間に合った!

東京都知事選挙のことである。気をもんでいましたが、ギリギリのところで、宇都宮市が出馬を断念し、一本化が実現した。それも、夜の8時前。「苦渋の決断」とおっしゃった宇都宮氏を尊敬申し上げる。

思えば、昨日、民主党から出馬要請を受けた元経済産業省課長だった古賀茂明氏が、いったん要請を受けた後、統一しなければ絶対勝機がないとの思いから「鳥越さんを応援する」と、鳥越氏の出馬表明の会場に飛び込んで、不出馬をはっきり示し、握手したのも一本化へのこだわりであった。

宇都宮氏の場合、午後3時のテレビ討論でも並んで「決意」や「政策」を訴えていたのだから、(あるいは)降りるのでは、との思い(この場合期待)はほんの少しあったとしても、時間の経過とともに、しぼんでいった。

宇都宮氏の辞退に敬意を表する

立候補をうわさされていた人は、どの方も立派な経歴や思いをもっていらっしゃる。どの人がいいなんて、とても言える立場にない。

しかし、参議院選挙で自公を中心とする与党が大きく力を持ってしまった流れを、都政という場で少しでも取り戻すとしたら、東京都知事選挙は、いたずらに票を散らしてはならないことは、誰でも思う。

埼玉県の話ではない。でも、調整が上手くいったことで、本当にホッとしました。

自民当の分裂は、何とも言いようがない。巨大組織ゆえ、ついて回るものなのでしょう。

また、明日から、静かに「暑い夏」の選挙を見守らせていただく。


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寝返り記念日 [雑考]

7月8日(金)

寝返り

7月6日でちょうど4か月になる二女のところの子。毎日、我が家に来ているが、この日、あっという間に寝返りをマスター。

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思いがけず、体をひっくり返すことができたはいいが、さて、このあとがわかんない。あおむけに直してもらっても、また寝返りをくりかえす。

宮代町では、ここ数年、あちこちでこういった光景があるのでしょう。赤ちゃん人口増えてるもん。

先日、ある会合で、「宮代町が限界集落になってしまっては・・・」なんて話が出たというが・・。

「限界集落」ってすごい単語ですよ。少なくとも、私はそういう言葉はそぐわないし、行政が簡単に使う言葉ではないと思う。


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猛暑日にエアコン故障 [日常]

7月5日(火)

昨日夕方の集中豪雨に、うだるような暑さと空気の汚れまで持って行ってもらった感のある今朝の涼しさ。心身がよみがえった。

猛暑日にエアコン故障[どんっ(衝撃)]

実は、我が家のエアコンが、一昨日、昨日と猛暑日の中、壊れてしまいました。

今年になって本格的にエアコンをつけたのは一昨日はじめて。気温がどんどん上昇する中、冷房をつけてみた。(なんだか効きが悪いナ。こんなもんだったかな)と、設定温度をとりあえず25度。しかし、暑い。風量を最高にあげても、部屋の中は煩わしいほどの風の音と、なまぬるさが混ざっているだけ。

夕方に4か月の子どもを連れてやってきた二女が「これ、おかしいよ、外の方がまだ涼しいくらい」というのを聞いて、「やっぱり‐!、故障している」と慌てた。テレビではあちらこちらで猛暑日注意をやっている。

もう寿命なのか、このエアコン。どこか不具合が生じたのか。もう遅い時間だから、どこに頼んでも来てはくれないだろう。なおせないなら新品を買ってもいい。でも、量販店では商品の手配、工事の手配などで10日くらいは待たされる。とんでもない。ということで、熱風をかき回している室内で、とりあえず一晩我慢して、明日あさ修理を頼むということにした。

修理に来てくれい人がいない!

ところが、修理に来てくれる業者がいない。シャッター通りになった学園台商店街にも電気屋さんはあった。しかし、数年前に閉店して今は無人。お隣の本田地区にも、店舗は持たないが、家電をかったり修理を頼んだりした人がいました。が、この方も15年ほど前に亡くなり廃業。「あっ、Sさんはどう」とやはり店舗は持たないが販売、工事をやっている(いた)。電話してみた。「おれ、もうやってないんだよ」・・・。

結局、近所の電気屋さん、地域の家電修理屋さんはいなくなっていた。高齢化や、単身世帯など家電が壊れたら即困る世帯が多くなっているというのに、肝心の修理屋さんが身近にいない!!

道仏地区に、「まちの電気屋さん」

二女は、若い世代がどんどん増えている道仏区画整理地内に昨年から住んでいる。「そういえば、うちの近所に家電修理屋さんがいるよ。お正月にごあいさつに来たこと思い出した」という。おー、天の恵み。

早速、歩いて100mもしないところにある電気屋さんへ行ってくれた。奥様が「今日は川越の方に出かけているけど、そっちが済み次第、夕方までには戻ってそちら様に伺います」と手配してくださった。

夕方5時。折から集中豪雨の中、来てくださった電気屋さんは、室内機と室外機の具合を見ながら「原因がわかりました」と。約1時間で直してもらえた。生き返る思いがしました。(ガス漏れでした)

新しい地域には、新しい需要にあわせて、事業者も移住してきているんだな、と頼もしく思い、何より、いざという時「すぐ来てくれる電気屋さん」と知り合いになれた安心感でいっぱいでした。

かつて、わが学園台団地には、県道沿いに200mほどの小さな商店街があり、電気屋さんや本屋さん、喫茶店や手作り風なレストランもあった。しかし、今は本当にさびしくなった。

でも、反対に、これから生活に合わせた新たなまちづくりが始まっていく地域もあるんだな、と熱風地獄の中から救われた私は、しみじみ思った次第です。


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国歌歌えないのは代表じゃない?

7月4日(月)

バングラディッシュの、IS国によるテロは、悲惨すぎて理不尽すぎて、言葉もない。バングラのために全力を注いできた人が過酷な運命にあうなんて・・・。惜しい人材がなくなった。いたたまれない。

リオのオリンピックへの危惧

ブラジルの政情も決してよくない。テロの危険ももちろんあるが、競技場やインフラも、現時点で出来上がっていない。きれいだとおもっていた南米の海がひどく汚れている。物価も高騰している。世界中のアスリート、お客様を受け入れる準備ができているとは、とても思えない。ひどい状況、アクシデントを覚悟でいかなければならないか

国歌を歌えない人は・・

それでもタイムリミットが刻まれてもうすぐだ。昨日3日、リオオリンピック、パラリンピックの壮行会が行われたというニュース。

ここで、はっきり口を開けて国歌を歌わなかった選手たちに、森喜朗・オリンピック組織委員会の会長がまたもや苦言を呈したらしい。「口をもぐもぐさせているだけではダメ。大きな口を開けて。大きな声で」と。「国家をうたえないような選手は日本の代表じゃない」とまで言った。

血のにじむような毎日の練習をこなし、やっとつかんだ代表の座。それだけでもすごい。計り知れないようなプレッシャーとも戦っているでしょう。

そんなすごい人たちに、あいさつで「歌えないような人は代表じゃない」なんて、森さん、何様? 幼稚園の幼児に言って聞かせるような小言、やめてもらいたい。もっと大きなミッションをもっている人たちだ、選手たちは。


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50年前の7月2日

7月2日(土)

ビートルズがやってきた

50年前の7月1日、私は

武道館の「ビートルズ」東京公演の会場にいた。チケットを買えるとも、親が買ってくれるとも思っていなかった私に、偶然「行けなくなったから、買わないか」という(多分)友達がいた(らしい)。

当時、埼玉と東京のコンサート現場は、感覚的には今ほど近くなかった。電車に乗って、それも夜開演の絶叫コンサートに行くなんて許してもらえるわけなかった。でも、相当行きたかった田舎の少女は、思い切って父親に頼んだのだと思う。(記憶が鮮明でない)で、拍子抜けするくらいたやすく、「ゆずってやる」というチケットを手に入れた。

「武道館の周りには、右翼が『ケトウを神聖な武道館から叩き出せ』と街宣している。十分気を付けるように」と念を押された田舎むすめは、場違いな場所に行って、それでも〈あっという間〉の時間を共有していた。

50年前のことを、懐かしく思い出した。


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見せしめ自治体からの脱却・・夕張 [地域発]

7月1日(金)

夕張破綻から10年

夕張市の財政が破たんし、自治体の倒産、いわゆる「財政再建団体」赤字団体として、きびしいスタートを切ってから6月20日で10年になりました。

メロン城だとか、夕張映画祭だとか、大型観光移設だとかで有名だった旧石炭の町夕張市が何で、こんなことになったんだろうと、当時我々は、その教訓を学ぶとともに、経過を知ることになった。実質収入(市税8億円)の市が、353億円の巨額赤字を抱えての倒産です。全国の人々は、「わが町もそうなったらどうしよう」と震え上がりました。

「夕張になるぞ~」

夕張市は〈見せしめのまち〉になった。何かというと住民は「人口が減っている。夕張になるぞ」「税収がない。夕張になるぞ」「合併をしないと、夕張になるぞー」「年寄ばかりになっちゃた。夕張みたいだ」と、いう。

行政は行政で、住民が「もっとサービスを充実させてくれ」「高齢者や子育てにやさしい施策を」と要求すると、「財政が厳しいんですよ。夕張になったら大変ですから」とバリアをはる。

財政を知っている人ならわかる

実は、そう簡単に「夕張になる」わけないのです。自治体財政の仕組みを少し勉強した人なら、夕張がどういうマジックを使って、国などの公金を使い、施設をバンバン作り、議会の予算、決算のチェックを逃れて累積赤字をほったらかしにっしてきたかわかります。

単年度決算、出納整理期間という地方公共団体会計特有の盲点を突き、長期借金をいったん別に置いておき、翌日諸収入などの形で戻す、業界用語で言う「ジャンプ」をくりかえすなど・・。巧妙に予算決算をごまかしてきたことは、役所職員でも、議会でも、よーく勉強すればからくりは知っていたはず。(いや、議会は不勉強だった。ふしあなで、見破れなかったらしいが)

 職員も担当以外は無頓着で気にもしていなかった。所詮は人から集めたお金というわけか・・・。

夕張の近隣自治体は、少なくとも「夕張市のなれの果て」が近いことを知っていた。

その反動で、議会の力をアップすべくお隣の町議会が全国で初めて「議会基本条例」作成に取り組んだのは、逆のいみですが「夕張効果」のひとつでした。

私は、10年前の当時、全国組織の議員勉強会などでよく取り入れられた「夕張の破たん」を研究しに出かけていたから、けっして簡単に、わが宮代町が「夕張になる」なんて思わなかった。また、内容、仕掛けも知らずに、不用意に「夕張になると大変だから」という、職員や議員のしたり顔を、いやだなーと思っていたことを、よく思い出します。(私は、このころ町長戦に敗れて、一番勉強会に出かけていたころでした)

不可能な返済計画

さて、その夕張市ですが、当時の返済計画のすごさといったら・・。353億円の借金を18年間で返す計画を立てました。ある意味、壮大な「実証実験」「人体実験」ともいえる数字でした。

まずやったことは人件費の削減。260人いた職員を100人に減らしました。ということになっていますが、実は、給料体制の厳しさにやめていった職員が後を絶たなかったとみるべきです。給料削減昇給の見通しも立たない、仕事の厳しさは十分想像できる。これで残ると決心することだけでも大変でした。

能なしのレッテルを貼られた議会も18人の議員を9人に減らし、報酬も40パーセントカットしました。

それでも住民の心細さと比べたら、仕方ありません。住民は、何の罪もないのに、住民税などは上げられ、施設は減らされ、施設の使用料は倍に値上げされ、水道料金なども1,7倍にあげられるという負担に耐えられるか・・。

高齢者はほかに行くところもないです。どんなに苦しくてもこの町に残る以外すべのない人も多かった。若い世代は、後ろ髪惹かれる思いはあったにせよ、この町を出ていき、若い世代は30%減りました。

借金返済を優先させたあまり、必要な施策が何もできない町。この10年の夕張市のご苦労は大変なことの連続だったでしょう。

でも、今でもこのご苦労に耐えているのは、どうしてか?

国が応援した旧炭鉱の町

自分のまちに愛想を尽かして出て行った人も多かった。しかし、全国の人が「何かをしてあげたい」と注目したのも夕張だった。東京都は職員を長い間派遣し、手伝った。寒い冬の高齢者の送迎ボランティアもいた。

夕張は大丈夫か!? みんな気にしました。

10年を経た夕張はまだ厳しいけど、「夕張になるぞー」はやめましょう。実質的には借金を返しつつ市民の夢を盛り込んだ計画を立てられるところまで来た夕張市です。

「夕張みたいに、ネバーギブアップで頑張るぞ」といわれてもいいくらいにガンバっているまちです。

埼玉県うまれの夕張市長

現在、夕張市長を務めているのは、埼玉県生まれの35歳。東京都庁の職員でした。08年から夕張市に派遣。10年位は都庁を退職し、11年夕張市長に当選。現在2期目に入りました。。夕罰主導の仕組みができれば、《見せしめ》から卒業できると、、市長にとっても覚悟の年です。


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強制撤去

6月30日(木)

突然、強制撤去

午後、近所の公園の道沿いに10台ほどの車がズラッと駐車した。クール便などに使う荷台が遮断されたトラックが5,6台と、普通の乗用車、ワンボックスカーなど。

近所で、何とかならないかと最近要望が出ていた、貸家における、内外のごみに強制撤去がおこなわれるのだと知った。

実際、この問題では周辺の住民は困っていらした。その貸家屋の内外に積み上げられたゴミ袋の山と腐敗臭、周りに散らかるゴミやおもちゃに。

私は、ご近所の方から相談を受けていた。みなさん、役場には(ゴミの問題を)伝えてあるけど,何も対応してくれないとおっしゃる。

役場の担当課に行ってみた。どうにか対応してほしいと伝えた。が、問題の家庭には、ほかにも事情が山積みしていた。周辺のごみ環境以上にたいへんなご事情があった。

いくつかにわたる、これらの問題に対応するには、役場というところは動きが鈍かった。デリケートな問題でありすぎたのかもしれない。

約1か月近くたつのに、あまり進展が見られなかった。私は、気になりながらも、担当課にせっつくようなこともできないで、祈るような気持ちでいた。ご近所の方々も、同じ気持ちだったのではないかと思う。

ところが、今日、突然強制撤去。当の住人(若い夫婦とお子さん2人)は、数日前にすでに引っ越して無人と化していた。

ゴミの山を遮断された車に積んでいるのは、明らかに業者だった。

ほかの行政らしい人たちもいる。どこの人?

私は、「どういった関係の強制撤去ですか?」と聞いた。なかなか詳しくいって下さらなかったが、地元の議員ということで、少しだけ口を開いてくれたところによると、執行は「裁判所」だということだった。

今回のことでは、貸主(不動産屋)は、どうしてくれるのよ! とご近所では不信感いっぱいの人もいたが、結局、その不動産屋さんが、規則にのっとり、ゴミの除去などをお願いした。聞き入れてもらえないので、裁判所が入り、勧告、指導、強制撤去という運びになったというわけです。

結局、1自治体は、困っている住民の訴えに手をこまねくだけだった。効力を発揮した行政機関は「裁判所」だったわけだ。

突然、解決へと動きだした、今回の問題。

でも、この町から、ほかの町に引っ越したからすべて解決したわけではない。

気になることが、心に重く残った。若い夫婦と小さな2人の子どもたち。これから、どうか、どうか健やかに幸せに暮らしてほしいと、心から祈りました。

プライバシーもあるので、話がぼけてしまってすみません。でも、気がかりが晴れません。

今回のことも、自分の非力をいやというほど感じた次第です。


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被災地の雨 [災害]

6月29日(水)

被災地の大雨が心配

関東地方は,今朝も曇り空。いつ降り出してもおかしくない。しかし、雨の量は、山沿いのダムを満たす量には遠く、まだ水系の県、自治体の水不足の懸念が晴れないらしい。

でも、梅雨らしい、過ごしやすい、予想しやすい雨には違いない。関東には天の恵みだ。

しかし、九州地方はどうでしょう。地震で被害を負った地域には、これでもか、と思うほど次々に危険にさらされる。もう、地盤が緩くなってしまっているのだ。大雨の予報のたびに心配が重なる。梅雨前線、どうか、九州から離れてくれ。

避難した人たちの薬

東日本大震災の時の教訓から、普及した「お薬手帳」の有効性が、今回あらためて確認されているという。

薬を常用している人たちにとって、必要な薬がわからない、手に入らないというのは、命にかかわることです。特に今は複数の医療機関を受診する患者が多く、高齢になればなるほどその傾向にあります。

熊本県では、薬を多く常用していた人が常用薬もお薬手帳も持たないで避難することもありました。「いつもの薬を飲まなくてはならないのに」ただ、白い薬がいくつ、黄色い薬がいくつ、ピンク色の薬が、、と記憶だけ。

ただ、単に薬といっても、その内容や量は個人によって全く違います。ひとりの人には効き目があっても、他の人には血圧を下げてしまう、ふらついてしまうなど、微妙なのが薬です。

「お薬手帳」は、いわば、処方の履歴というより、そのひとの体調と薬との微妙な相性の履歴なのです。

お薬手帳が一般に(急速に)普及して、2,3年くらいですが、今ではなくてなならない個人の体を知っているきわめて高い医療ツールであり、個人情報です。

いつも、携帯しているよう、ご家族が見守ってあげたいです。

守秘義務まもって

ところで、気になることがあります。今や、医療は一つの医療機関、ひとりの先生に頼る時代ではありません。他業種連携、地域連携などで、みんなでみんなの健康を守る、在宅医療に備える時代といってもいいです。歯医者さん、薬剤師、新聞配達、民生委員さん、宅配便、コンビニ,etc etc。みんなで一人の人まもろうという趣旨です。

それはその通りで、大いに賛同するのですが・・。

最近気になることがあります。よく聞く話です。ある調剤薬局のスタッフ、おせっかいや親切はいいのですが、立ち入りすぎるきらいはないか。

どこの病院で出した、どういった内容の処方箋か・・、大事な個人情報が一目でわかるのが調剤薬局のスタッフなんです。どうか、ビジネスに徹してください。余計なおしゃべりはしないでください。

一番に求められるのは、守秘義務のはず。医療や薬に関する個人情報は、トップシークレット中のシークレット。中には絶対に知られたくない人だっています。知人も困っていました。患者に聞かれたこと意外、余計なおしゃべりはしなくていいんではないですか?

親切、思いやりと、余計なおしゃべりは、「紙一重」。十分な配慮があっての上で、できるのが親切。


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風前の灯から [地域発]

6月27日(月)

12基の街路灯は消えず

昨年度、眠れない夜もあったほど悩ましい問題だったわが学園台地域の街路灯。正確には、学園台の街路灯というわけではなく、県道沿いに隆盛期には34軒あった商店街の宣伝灯です。

国も県も、もちろん地元学園台もお金と勢いがあったころ(平成になったばかりの頃)、県の補助などを受けて、設置された素敵な街路灯だった。

それがあっという間に、経営者の高齢化、閉店などのために、全部の点灯が難しくなるのに10年もかからなかった。

シャッターのしまった店の前の街路灯の管理も電気代にもこまるようになったのは,平成12年ころ。すでに「学園台商店街」という組織もなくなっていました。

私がH12年、議員になってすぐ「何とか灯し続けたい」と相談があり、地元学園台自治会も理解、協力が得られるならという条件で、町、有志の会、自治会との間に、H14年支援協定ができ、町のサポート、自治会のサポートをいただきながら有志の会が主体となって灯し続けることになったのです。この時点で、34基の街路灯は26基に減っていました。

第2の危機

その後も閉店がつづき、じり貧的に街路灯の管理は厳しくなっていきます。組織もないのですから、ある日突然、街路灯の灯が消えたり、街路灯そのものが撤去されたりと、景観そのものもめちゃくちゃ。

おととしからまた、「どうしよう」の相談が私のもとに来るようになりました。しかし、状況はもっと悪く,H12年ころ「灯しつづけよう」と先に立って行動した有志たちがこぞって「もう、いいです。うちは後継者もいないし・・」と下を向き、消灯・撤去の方向に心のかじを切り替えていました。

あれやこれやと存続の方法を考えていたH27年度は、何の手立てもないまま過ぎ、みなさんバラバラの行動をとりました。

26基あった(26基の管理者がいた)街路灯は、一気に12基に減ってしまいました。「話し合いましょう」と回覧を出しても集まる人は2,3人。話し合いにもなりませんでした。

自治会の方でも、1年ごとに全とっかえの役員さん。その年その年で、価値観、意見に相当な違いがあります。「学園台にあるからと言って、なんで我々の会費をそんなところに使うのだ。あんな物無くなって真っ暗になろうが、私の生活にいっさい関係ない」とおっしゃる。これは、その通りです。500世帯あろうが、たくさんの人の集合体である自治会の予算に「街の灯り」や「安心の道」、景観がもたらすノスタルジーなど、とてもなじむものではないのはわかっていました。

財政難、後継者難で滞った街路灯の維持管理は、サポートどころか、灯している街路灯に対する助成なので,H27年度は、助成金75000円だったのが、宮代町、自治会ともに48000円に引き下げられました。(泣きっ面に蜂・・)

がたがたになって行く時は、速いもんです。一気に灯、気概ともに消えていきました。時間的にも、心情的にも、かなり入れ込んでいた地元議員の私は、何も貢献できませんで、指をくわえているだけ。非力な議員です。

委員会などでは、「ふるさと納税が1億円も集まる宮代町は、たった数万円で助かる灯にも手をさしぼべられないのか。消してしまうのか」と、文句は言いましたけど、消えてしまった後の、情けない議員の(犬の遠吠え)以外にない。

ところが、「灯しつづけましょう」の案が

ところが、今年4月から動き始めました。今年度の自治会役員会がまず関心を持ってくれました。「ただの宣伝灯ではない。県道沿いのなじんだ灯りであり、防犯灯などよりずっと明るい安全灯だ。真っ暗になったら不便だ。もっと考えてみたい」と。

そのもとになるものは、「電気料の補助としてこれからずっと毎年48000円出しつづけることはできないだろう。ここで少し多く投資してもLED化を進め、後々の負担を減らそう」という事業費の見直しの中での研究だったのですが・・。「あれ、意外と安くできる!」

ここ2,3年は,LED化する街路灯、商店街などに県、町の補助が付き、LED化が一気に進みました。もちろん、組織があり、やる気(後継者アリ)あり、ある程度の貯金があるとところで実施できた、というただし書きが添えられますが・・・。

こういったLED化事業もひと段落した時期というのもあったのでしょうか。組織もない、援助ももらえない、来月の電気代も厳しい、といった学園台街路灯みたいなものにも、「希望の灯」が点灯しだしたのです。業者は、できる限り、機器代、設置費用を安くして見積もってくれました。この「山」を越えれば、あとは、ず~んと安くなった電気代を出していくだけ。なんとか頑張ろう。

まさに、、「風前の灯」が、風に消されようとしていた今年、「希望の灯」が灯ろうとしている❢❢

一昨日、学園台集会所の1室に、街路灯保存会「スズラン会」の代表と私、今年度の自治会長、副会長の4人が集まりました。「何としても、灯しつづけましょう」の意見、そしてその方法が話し合われ、方向性が一致しました。

こんな小さなこと、数万円の捻出にも苦しんだ数年でした。お金に不自由していない人なら「10万円もくれてやったら解決するんじゃないの。おれ、だすよ」というほどチャチな話なのかもしえません。でも、いや、これは何でもできたバブルの頃の遺物であり、(街のにぎわい)を支えたあかりの話なんじゃないですか!

地元同士なのに、不信感を抱き、「死に体の組織に、血と汗の学園台会員の会費を投入する言われも論拠もない」と言わしめた、小さくとも、ある意味大きな「街路灯問題」。やっと出口が見えてきました。


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おもちゃクリニックに新しい住民 [子育て支援]

6月26日(日)

おもちゃクリニックに

毎週第4土曜日は、もう16年ほど続けている「おもちゃクリニック」の活動日。国納保育園の1室を貸していただいて、壊れたおもちゃをなおしている。

この間、おもちゃ事情も変わり、ITを使ったものも多くなった。それにいわゆる(鳴り物)おもちゃも多い。鳴り物とは、メロディーが付いたおもちゃ。三輪車だって、絵本だって、メロディーが組み込まれている。たのしく学びながら遊ぼうという機能がいっぱい。

いろいろな機能がついている割には、作りは非常にチャチで、子どもの乱暴な手で扱ううちに、じきに壊れる。

おもちゃクリニックのキャッチフレーズは、「壊れたおもちゃ治します」だけど、この頃は治らないおもちゃに出あうことも多いのです。内部を開けてみる前に、そもそもおもちゃ自体が、開けて治すようにできていないのだ。[たらーっ(汗)]あけられなぁーい。

壊れたらまた買ってね、式のおもちゃは、腕自慢のボランティア・ドクター泣かせでもあります。

もうそろそろ出番は終わりかな、なんてボランティアさんたちで話すこともある。9時半から12時までオープンしている当「おもちゃクリニック」でありますが、行事が多い時は、患者さん(おもちゃをもってくる人)が一人なんてこともあるし・・。

新しい区画整理地内は、新しい患者さん

ところが、昨日のおもちゃクリニックは、大入り満員。5人のお客様合計8点のおもちゃに、4人のボランティアドクター、3人のボランティアナース(おもちゃの受付とか、部品だしとかやる)は、結構忙しい時間を過ごした。

特に、ほっとしたのが、5人のお客様のうち、2人は、道仏区画整理地内の新しい住人でした。ここ数年、毎年2~300人増えている区画整理地内は、子育て真っ最中の若い世代が」中心です。

「おもちゃクリニックというのがあるって聞いてきたんです。」と。ある若いママは2人のお子さんとおなかにはもう一人。おもちゃは大事に使って3人がみーんな使えるようにと。

また、増えるかな。壊れたおもちゃ。でも、ハイテクおもちゃに、ついて行けるか少々不安なボランティアたちです。


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