安心して堂々と生きていける世の中に [怒り]

7月27日(水)

国中が怒りを

昨日、神奈川県相模原市の障がい者施設 で起きた、自分勝手な犯人による理不尽でひどい殺人には、2日目の今日も国中の人たちが怒りを覚えている。いや、怒りを覚えているが、怒りのやり場になさにどうしようもない気持ちになっているのでしょう。

誰のせいでもなく、負った重い(複数の)知能障がいや身体障がい 者の方々。「いないほうがいい」なんて思った人がいるだろうか。どの人も大切な存在だ。

それを精神障害の疑いのある、元施設の従業員が 命を奪ってしまった。

精神障害の疑いがあった、と書いたが、今年2月末、この犯人が衆議院議長公館に手紙を持ち込んだ時も、勤務先での「障がい者はいらない」という発言からも、危険を感じ取り、緊急の措置が必要だったことが明らか。

相模原市は、施設を解雇された直後にこの容疑者を精神疾患として「措置入院」させた。それがどうして2週間後、2人の医師の診断で、世の中に放ってしまった のだろう。そして、元の勤務先である「障碍者施設」には、そのことがどうして市から知らされなかったのだろう。また、親と一緒に暮らすという言葉を信じ、その後の足取りを追わなかったのだろう。

我々が考えても、いくつもの「どうして?」が浮かんでくる。行政機関や福祉行政の連携の薄さが浮かんできて、いまさらながら、つらくて仕方ない。どうして防げなかったの?!

障がい者連絡会の会長さんの、障がいを持っても必死で生きてい行く人たちへ向けた言葉に心を打たれた。

「みんな大切な存在です。安心して堂々と生きていきましょう」 その通りです。

 安心して堂々と生きていっていただくために、私たちは、国は、地域は何をできるのでしょう。


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「保育園落ちた」は、便所のらくがき [怒り]

3月17日(木)

「保育園落ちた!」は便所のらくがき

「保育園落ちた。日本死ね」は、便所のらくがきのようなものだ。そんなくだらないものを取り上げるマスコミを屑だといわんばかりの議員がいた。

東京都杉並区議(40歳)が、「保育園落ちた日本死ね!」のブログについて、地震のブログで「便所のらくがきのようなもの」と切り捨てた。

この区議の13日付けの「震災犠牲者に恥じない日本を」と題するブログの中で、「保育園落ちた」投稿者を、くだらない不心得者とし、そんなくだらない不心得者をおだてるマスコミを「便所のらくがきに振り回される愚か者」という。「そんなに日本が嫌なら出ていけ!」ともいっている。

人の話は(あほらしくて)聞けない!?

議員という立場の人は、たとえ、その人の信条、政治的使命がどうあろうとも、持論と合わなかったり、むかつく言葉や「フレーズ」があったとしても、言葉の中の真意をおもんばかり、マイノリティーの訴えに耳を傾けるべきだ。不心得者とか愚か者とかをぶつけるのはまずい。どこまで上から目線なんだ。

この人は、議員になったおごりから、「そんなくだらないことを言うより、日本のためにやることがあるだろう」との、思いをおさえきれなくなっちゃったのですね。

この人は、現在2期目。保守系バリバリの区議らしい。例の竹島問題なども関心大というから、日本思いの国粋主義者なんでしょう。

しかし、ひとはいろいろな表現で、窮状を訴えてよい。訴える方法を持たない、訴えてもダメという人もいるのだ。「これしかない」というやりかたしか持たない、社会の中の弱者が、どう表現したっていいではないか。

「保育園落ちた。わたしどうするんだよ、働けないじゃないか」に、深くて厳しい現実を、あらためて考えた(私のような)人間もいる。

少なくとも、生活者には、「竹島問題」より切実に伝わってきた。

議員、何様? かんちがいしていることにも気が付いてくれない人種?


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国立市マンション訴訟に高裁まさかの判決 [怒り]

1月8日(金)

政策に損害賠償など聞いたことがない

昨年末、東京高裁で出た判決に驚き、疑義、義憤を感じています。これは、東京国立市の元市長だった上原公子(ひろこ)さんがマンション建設をめぐって、受けて立ってきた裁判です。

上原さんは、私が所属する「自治体議員政策情報センター」のセンター長で、全国の市民派議員をひっぱってきた人です。その政治活動の中で、1999年から2007年まで国立市長を務めました。

上原さんは、公約で国立市の財産ともいえる道路の美観保護を訴え、当選後も政策で自らの信念を貫いてきた。当選した年に、国立市では高層マンション建設計画が浮上。同時期、「高さ制限の地区計画条例」が制定された。

01年、建設業者が「営業妨害」として損害賠償を求めて市を提訴。02年、東京地裁は4億円の支払いを市に命じ、市が敗訴。05年、控訴審でも市が敗訴。しかし、賠償金は2500万円に減額。

07年、上原さんが退任。新市長に関口氏。上告棄却。控訴審判決確定。

09年、今度は市が上原氏に賠償金相当額を請求するよう、住民が提訴。

10年、住民側が勝訴。

11年、市長選で関口氏が落選。佐藤氏が当選。佐藤氏は公約通り住民訴訟の控訴を取り下げ、市が上原氏を提訴。

13年、市議会は、上原氏への請求放棄を議決した。

14年、東京地裁が、市の請求を棄却。

ここまでの流れで、ほっとしていた。しかし、

高裁が逆転判決

2015年、市議会は上原氏への求償権を求める決議。(つまり、請求を復活させるため)

同年、控訴審で東京高裁が上原氏に3100万円と遅延損害金の支払いを命ずる。

以上が、これまでの国立マンション訴訟の経緯です。

1審判決では、「政治理念に基づき行われた行動で、上原氏が私的に利益を得たものではないん」と認定し、国立市の請求を棄却したものが、なぜ、東京高裁で正反対の「不法行為」となり、当時の市長に責任を押し付ける判決になったのか。

とにかく、昨年暮れの東京高裁判決にびっくりした。

それに問題提起しているのが、今日の東京新聞「こちら特報部」の特集だった。当然の問題提起だ。

こんなのに個人が損害賠償するというとんでもない判決が出るのなら、新国立競技場の建設計画の白紙撤回、最初当選したデザインの撤回、無駄に使った税金などはナント解釈すればいいのだろう。

国立駅からまっすぐのびる美しい道路にあこがれて国立に住みたいという人はたくさんいる。その当時の市長の公約であり、政策であったものに、首長でなくなった元市長が、損害賠償するという、おかしな判決ではないか。

我々の仲間、全国市民派の旗頭、上原さんは既に上告している。まだまだ、続く。

判決には、しばしば〈時代〉の勢いや、権力なども介入する。司法の場が〈大局〉を見失うこともあるのでしょうか。


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人権知らぬ人物に政治家の資格なし [怒り]

10月11日(日)

本田宏医師がツイッターで

済生会病院(おとなり久喜市南栗橋にあるの)本田先生がツィートした怒りに同感しました。

≪怒りの拡散≫「人権知らぬ人物に政治家の資格なし、その人物をえらぶ国民に民主主義求める資格なし!」。同感して拡散します。

人権知らぬ政治家たちとは、「少子化問題に関する」発言をした以下の政治家たち

①「産んで国家に貢献を」・・・菅官房長官(2015年発言)

②「閉経して子どもの産めない女が生きているのは無駄で罪」・・・石原元東京都知事(2001年発言)

③「子どもを一人もつくらない女性が自由を謳歌し、楽しんで、年取って、税金で面倒みなさいというのはおかしい」…森喜朗氏(2003年発言)

④「産む機械、装置の数は決まっているから、あとはひとり頭で頑張ってもらうしかない」・・・柳澤伯夫氏(2007年発言)

⑤「まず自分が産まないとだめだぞ」・・・大西英男氏(2014年発言)

何でこういう発言が飛び出すのでしょう。決めつけては悪いのですが、保守系で国家主義的な男性に多い発言です。まるで女性は「国家のために、文句もいわず、産んで育てよ」といっていた戦前戦中の抑圧社会に戻ったような言葉です。

 権力の中に居る政治家が、このような〝言ってはならない発言”をしてしまう根底に、(普段からそう思っている)(普段からそういう会話が成り立つ位置にいる)(そういう話がウケる場所が多い)というのがあると思う。

で、つい、ウケをねらって、(いつものように当然ウケると思って)はめを外してしまう、ということなんでしょう。こういう世界では、「いや、大臣、それは違います!」という人がいない縦社会だから、傲慢な人はますます傲慢になる。

私にも経験がある。議員になって2年目くらいのこと。長崎の方で中3の少年が幼児の局部を切ってビルから突き落とした事件が話題になった。当時,町会議員のひとりが「母親が悪い。市内引き回しの上、さらし首にしたらいいんだ、そんな女は」といった。私は(この中学生の心の闇を治療しなければだめだ。母親のせいではない)と思ったが、黙っていた。

私が議員になってやはり2,3年の頃。上記の人と同じ会派の議員の発言「あの人は、産まず女(うまずめ、差別用語である)だからサー。ふつうのもの食ってんか」と。周りの人は笑った。こういう話がウケるのである。ウケるということは、どこかで少し同感しているのか…。

心の底から人権を考えられない人は、政治をやるべきでない。また、政治家の(とり巻き)をやるべきでない。

恵みの

朝から雨。こりゃー町民体育祭はできないな。ほっとしました。今日のために準備してきた方々、大活躍しようと楽しみにしてきた方には、本当にごめんなさい。ですが、私は、本当にほっとしたのが正直なところです。ひと休みできます。

「なめかた、行きましょう」

さくや、友人から電話をいただいた。「ブログ見ました。わたしも行方市に行きたいと思っていたところですよ。次回の25日、車で行きましょう」と。ありがたい!! 

 友人、同情してくださったのだ。片道3時間以上かかる、行ったことの無い自治体。委員会だから、おそらく2,3時間で終わるであろう会合に、往復7時間もかけていきたい私の≪無駄、ムリ≫ぶりに。

「行きましょう! 行こう。私がガソリン代出すからネ」と、さっそく決まった。


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