宿題代行 [教育]

8月29日(土)

夏休み残、2日

長いと思っていた40日間の夏休みも残すところ2日。ここ数日涼しい日が続いて、やり残した宿題を片づけるのにはもってこいの気候ではないでしょうか。

はるか昔のことになりますが、子どもの頃、面倒なことは後回しにする悪い癖があった私は、毎年夏休み最後の1日、悪戦苦闘することになっていました。

そんな私に、大人たちは「またか」と呆れてはいましたが、手伝ってくれるなんてそぶりもなかった。

宿題代行業

ところが、今は、この時期「宿題代行業」なるビジネスがあるそうな。有料で、読書感想文から図画工作、ドリルなど何でもやってくれるのだそうです。

新聞記事によると、読書感想文は原稿用紙1枚当たり2500円、ポスターやイラストは1枚1万8000円[目]、工作は1つ7000円から。これはある宿題代行業者がインターネット上に提示している価格表だそうです。いいお値段ではないか。もちろん、小学校、中学校、高校と上がっていくにしたがって料金も高くなるわけでしょう。

どうやるかというと、利用者はホームページから申し込み、計算ドリルや課題図書などを送る。業者は、計算の答案や、読書感想文の草案を作成して送り返す。子どもはそれを見ながら(自分の字で)書き写す、というのだ。(けっこう大変な作業です)

絵画などは、子どもらしく描いてくれるのだそうです。業者は7月だけで50件の依頼があり、相当忙しいらしい。

依頼は勉強が嫌いな子からばかりではない。中学校受験に備えて夏休みがかきいれ時の子どもは、宿題の方は業者に任せて、自分は受験勉強に専念するために業者を使うのだそうだ。

この業者は、「宿題は自分でやるべきもの」という。だけど「夏休みの宿題は毎年同じ内容で、質としては低い。そんな宿題は無意味。代行に任せてもらっていい」とも言っている。

あきれてしまう。子どものうちから、お金があれば何でも解決できる、なんてことを知って、タカをくくっていること自体、恐ろしい。

が、夏休みの宿題はそのほかにも、色々な人の手が入ることもある。親が手伝って、どう見ても親の作品、と先生が思うようなものもでてくる。

はるか昔、私は自分の宿題もできていないのに、妹の図画(たいてい写生)を、得意になって仕上げていた。


nice!(1)  コメント(0) 

フリースクールの扱いも変わってきた [教育]

308月5日(水)

財政的に厳しい

午後、フリースクールのスタッフをやっている長女から電話。「夕方6時からのNHKニュース録画しておいて」

何でも、不登校のことで、長女のフリースクールが取材を受けたとのこと。明日明後日と長女はフリースクールの子どもたちを連れて夏季合宿に行く。そのため2日間は、孫を預かる。今夜から我が家に来る予定の親子は、夕方相当忙しい。なので、録画しておいてくれというわけなんです。

もう少しで忘れそうになったけど、何とかセーフ。6時3分、録画をセットした途端、ほんの数分間だけフリースクールの現場が映った。

少しずつ変わってきたフリースクールを取り巻く現状

義務教育と違うフリースクールの存在を、これまで文科省は視野に入れていなかったし、必要とも思っていなかった。しかし、昨今は、多様な学びの場を認め、不登校対策にその必要性も認めるようになってきた。現在全国では4200人ほどがフリースクールで過ごしている。(それでも不登校児の3%とか)

長女のいるフリースクールの取材では、保護者の発言が主軸だった。「フリースクールは、すべて自費なのでお金がかかる。一人3万円以上かかるが、本人が居心地良くいられるためには必要な出費だと思う」というようなことを、そのお母さんは言っておられた。

私も知人である保護者の方から、「毎日行くにはお金がかかる。今は週1くらい行っている」と聞いたことがあった。(そうなんだ・・。)

私の長女などは、あまり多くない給料で働いているが、それでも民間施設というのは運営が厳しい。通う子どもたちにも安くない費用を課しているのが現状なのでしょう。

文科省は、こういった子どもの(安らぎの居場所と言ったらいいのか)、新たな教育の場にやっと目を向け、もっと支援をする方向だ、という。(やっとだ)

そして、フリースクールなどに出席した日数は、学校に出席した日数としてカウントしてもらえる、のだという。しかし、こういったことを知っている人は44%ほどしかいないという。(埼玉県では、ほぼ100%、カウントしていると聞く)

長い人生だ。学校に行けない年月があったっていい。生き急ぐ必要など少しもないのだ。


nice!(1)  コメント(0) 

「能」観賞 [教育]

20150622135559.jpg

6月22日(月)

笠原小で「能」

今日の午後2時から、笠原小学校の体育館で「能樂」観賞会がありました。

 優れた舞台芸術にふれることができる機会で、これは、埼玉県内9校の小中学校で実施されるということです。めったにない機会に、私も恩恵にあずかろうと楽しみにしていました。

講演の実施に当たっては、子どもたちに事前に「能樂」に関するワークショップを行い、観賞指導を行ってきたということでした。

主宰は文化庁、講演団体は「こう風会」日本各地で優れた伝統文化の講演とワークショップを通しての初心者向けの講座を実施する活動をしているのだといいます。

今日の笠原小のあと、明日は福島県郡山市の小学校に移動する予定とか。

さて、出し物は

狂言・柿山伏

おなかが空いた山伏が、柿の木に登って柿を食べてしまう。そこへ畑主が現れ山伏を困らせる、という物語で、能の言い回しの荘厳さの中にも、滑稽なしぐさに、笑い声が漏れていました。

能・羽衣

謡いの人たちが、しずしずと並び、太鼓、鼓、笙の人もすべて黒紋付、袴。うだるような体育館の中。

漁師役の白龍が漁を終えて浜辺にやってくる場面です。マイクを使わないのに、圧倒するすばらしい謡い。白龍は、浜の松に美しく、透き通った衣がかかっているのを見つけます。美しいので家の宝にしようとすると、そこへ、天女が現れます。

天女は(能面をかぶっています)「それは天女である私の持ち物。羽衣がなくては天に帰れない」と、とても悲しむ。白龍は「名高い天女の舞を見せてくれれば、返す」という。天女は、羽衣を身にまとって謡い、舞います。妖艶な世界に酔いました。

高くやぐらを組んだ「能舞台」ではなかった。体育館に末の背景を飾り、床にはじゅうたんを敷いたうえでの実演でした。が、朗々と響く謡い、雅な音楽に、別世界を味わうことができた5、6年生たちは、本当にいい体験をしたと思う。

それより、本物を田舎の学校の体育館で味わうことができた我々大人も、大変貴重な体験でした。

※老猫は、昨日夕方、とうとう死んでしまいました。朝、動物病院に連れて行く時、もう連れて行く意味もないほど危ない状態だったけど、何もできない身では連れて行くしかなかった。「危なくなったらすぐ連絡する」ということでおいてきました。

ゆうがた 6時に見た姿は息も絶え絶え。弱弱しい呼吸をしたり、荒く呼吸をしたりしていたが、起き上がる力もなくぐったりと首を横たえているだけだった。「危ない状態だけど、連れて帰りますか」という獣医に「連れて帰ります。私がみます」と、連れ帰ったのが6時半。

6時40分くらいに、苦しげに顔をゆがませ、焦げ茶色の液体をいっぱい吐いた。本当にいっぱい。

そのあと呼吸が止まった。家に帰ってくるのを待って死んだみたいだ。私は、今夜ずっと最後まで付き合おうと一人で決めていたけど、思いがけず早く来てしまった。21年間、家族だった猫。(うちの子)でよかったでしょ。最後はがんばったね、ミケちゃん

6月14日から8日間、弱った体に点滴、検査。「何をしてあげればいいんだろう」と思いながらどんどん弱っていくのをみているだけだった。私も苦しかったけど、区切りがついた感じだ。

今朝5時、庭に埋めてあげて、こんもりした土の上に線香をあげた。誰にも頼らずに、ねことわたしが、頑張ったのだと思う。

家には、15歳になる白猫が1匹残った。これだって高齢だ。どんな状態になっても付き合います。生きるもののすごさといとおしさは、人間だって動物だって同じだ。

すみません、動物が嫌いな人はこの間のことを「何をくだらないことやってんだ」と思っていたかもしれませんね。


nice!(1)  コメント(0) 

田んぼの学校 [教育]

5月21日(木)

田んぼの学校

午前10時、須賀中学校で開かれている教育委員会月例会を傍聴に家を出る。途中須賀下の県道わきで、大勢の子どもたちが田植えをやっている最中。「ああ、田んぼの学校か・・」

20150521101433.jpg

田植え2015052110154.jpg

4年生かな。NPO「水と緑のネットワーク」の方たちや、担任の先生も一緒に田んぼの中です。地下足袋のようなものを履いていたけど、あれは何?

「ずっと水の中で疲れない?」って聞いたら、「つかれないよー」と声をそろえてこたえていました。

地元の小学生は、こうやって体験できるけど、都心からバスでやってきていた子供たちは、今年はどうなるのか。


nice!(1)  コメント(0) 

小学校ベランダ柵 [教育]

3月14日(土)

さびが気になる?

町内視察。エアコン設置後の教室環境を見に、百間小学校1年生の教室へ。室外機を見た後、1年生の2クラスに「お邪魔します」

1つの教室では、何かのテストが始まっていました。みんなが黒板に向かって答案用紙に臨むのでなく、四方八方、ななめ、思い思いに机を動かしています。先生いわく「こうすることで、お互いのテスト用紙をのぞくことができないんです」なるほど、本当にそうだ。昔のように一律に黒板のほうを向く必要もないわけです、テストのときは。

あまり長くいると迷惑なので、エアコンの聞いた教室を出て、日の当たるベランダ下へ。2階ベランダを見上げている議員たちが「あれっ、ベランダの柵、大丈夫?」

さび.jpg

写メの写りはよくないですが、ベランダ手すりが、かなりさびている。議員の一人は「つなぎ目から錆、腐食してくるよ」と。大丈夫かな。

昨年は、百間中学校のベランダ下部がはがれおちた。どの学校も老朽化が進んでいるようです。全体に診断したほうがいいと思いました。


nice!(0)  コメント(0) 

大人にならざるを得ないとき [教育]

1月20日(火)

自分以外を守るとき

17日、阪神淡路大震災から20年。「あの時」を想起させる番組がたくさんあった。同じく災害を受けた東日本大震災の被災地の人たちも「あの時」を語った。

石巻市(だったと思うけど)の女子高生が言った言葉が深く心に残りました。「津波が急速に近づいてくる中、中学生だった自分が近所の小学生を連れて逃げた。自分ががんばらないと小さい小学生は津波にのまれてしまうと思った。必死の作業を続け、その時急速に大人になることが要求された」

この少女は、自然の脅威にさらされるなか、自分より弱いものを背負うこと、一瞬の甘えも許されない状況で耐えることを知ることで、否応なく大人にならざるを得なかったと思うとイタイタしい。

対照的に、20歳の若者を見てみよう。成人式を迎えたのだから、確かに実年齢は20歳だろう。カメラに向かってピースをしている希望にあふれた、初々しい若者はどこかあどけない。(急速に大人になることを)要求されていない身の上だからか…。

どちらがいいとか、悪いとか言っているのではありません。希望にあふれた青春時代はあったほうがいい。悩むことの訓練はした方がいい。どちらも、弱者にやさしい大人になるために必要なこと、くらいしか言えない。

「道徳」を人工的につくる

話はそれますが、1月17日の新聞に、「道徳を教えるということ」という紙面があった。そこで作家の石井光太氏の記事があった。

「昔なら戦争で人を殺したお年寄りがいたり、被差別部落の問題が今より顕著だったりして、くらしの中で道徳を考えることができた。現在、その機会が減った以上、教科化によって人工的にでもきっかけを用意することは必要だと思います。

ただ、いじめはよくないとか、誰が考えても当たり前な話をするだけなら時間の無駄です。そんなこと誰だって(いじめる側だって)わかっている。

道徳教育の重要さは、答えの出ない問題を考え続けるところにある。-中略ー 社会に出れば、善悪の判断がつかない問題であふれています。それでも自分でどちらか選択しなきゃいけない。選ばなければ前に進めないわけだから。本当に正しいのか悩み続け、何度も間違えて、後悔して、また進む。そのために必要な勇気と気力を身に付ける訓練が、道徳の授業だと思う」

評価することの意味

同じ紙面に、教育評論家の尾木直樹氏の記事が。

「道徳教育の強化ということで教科にすることが決まりましたが反対です。教科にすると評価が入ってくる。評価されるとわかると子どもの行動も逆に制約を受けるんです。教師に縛りをかけ、こどもたちも縛ることになる。

子どもに規範を与えていくことが重要なのは確かです。でも、問題は何をやらなければならないか分かっていても、実際にはできない子がいることなんです。判断力から行動力にうつせるかどうかが問われている。その段差を埋めるカギになるのは自己肯定感です。自分を肯定できない子は他人を認める感性が育ちにくいからです。

そういう子をどう育てるかシチズンシップの教育が大事だと考えています。道徳教育というと過去の偉人に学べとかいう。教育勅語だっていいところがある。でもそれって過去を向いた教育なんです。これからの市民社会をどう形成するかが大事です」

どちらの記事がいいとか言ってない。どちらの考えも十分わかる。

いえることは、屈折して、悩みを乗り越えられない、それでいて(いいかっこしい)のうすっぺらな14歳の私だったころ、道徳でいい評価をもらえるコツくらいは知っていたんじゃないだろうか、と思ってしまうことです。


nice!(1)  コメント(0) 

教育の中立性 [教育]

12月6日(土)

教育委員会の新制度

来年4月から導入される教育委員会の新制度は、首長の関与が強くなります。安倍政権の思い入れ強い政策ですが、懸念する人も多い。

そんな中、千葉県野田市の根本崇市長は、首長の関与をおさえる方向性を示しました。

新制度では、教育大綱づくりの場として新設される「総合教育会議」も首長が招集するなど、政治的な要素が強まり、政治が教育行政を主導する性格が強まる。

しかし、根本市長は、首長が変わるたびに教育目標や施策が変わる可能性がある点を指摘し、「教育行政の政治的中立性、安定性を確保する仕組みが必要だ」と説明したという。新制度で、国は、総合教育会議の事務局を原則として首長部局に置くとしていますが、根本市長は教育委員会に置く考えも示しました。

文科省も問題ないと

 首長自らが、新制度の危うさを指摘したということは大きな意義があると思います。

市長は、「野田市の仕組みは、法的に問題ないと思う。同じような取り組みをする自治体が出てくることを期待している」とはなしています。また、文部科学省も「法律内で自治体が運用するのであれば、問題ない」といっています。

野田市の場合はこうだ。今年3月市議会で、野田市教育委員会が首長に対するチェック機能を果たしている(つまり、教育基本法にのっとり、執行とてきせつな距離をとっているという)ことを評価し、国の「制度を改正する」ことに反対と表明したという。次いで、6月の法改正を見越して首長の権限をおさえる仕組みを、市の「行政改革推進委員会」に諮問した。尊敬する。

脱原発をめざす首長会議のメンバー

 根本市長は「脱原発をめざす首長会議」のメンバーです。東海村の前村長もそうです。日本で初めての原発立地自治体となった東海村。福島原発事故の後、その時の村長・村上達也氏は、はっきりと「脱原発」を主張し,先導する立場をとりました。村上氏といい、根本氏といい、ぶれることなく自分の主張を発信する首長たちには〝脱帽”です。

また、根本市長は、「九条改正には反対」に反対し、無秩序の開発にも反対だ。時の政府の大きな流れに逆らうということです。

私たちは、一昨年10月、野田市の「コウノトリが舞う」平野構想を推進する現場も視察した。あの時は、忙しい公務の中にもかかわらず、われわれ市民派議員の集まりに、自ら説明役をかってでてくださった市長だった。

国の新制度には、無条件でしたがうのが自治体のほとんど。「異議」と唱える首長は数少ない。法律の範囲内でそれまでの制度を継承できる仕組みを研究するといい、さらに同志の自治体に呼び掛ける行動といい、うらやましい。


nice!(1)  コメント(0) 

給食に牛乳は要らない? [教育]

12月1日(月)

試験的に牛乳をやめた三条市

新潟県三条市で、試験的に4か月間(12月から来年3月いっぱい)、学校給食から牛乳をはずすということで、いよいよ今日から試みが始まった。

三条市の給食は、米飯を主としています。ですから、おかずもごはんに合う和風のものを提供しているそうです。

そこに、市長の「食育論」。つまり、和風の給食について、「和」は文化である。和文化の食事に牛乳は合わないという「食育」論を展開したんだそうです。

一方で、消費税のアップで、さらに高くなる給食費を低く抑える狙いもあるのだとか。

 生産地の北海道を除いて、全国の学校給食に使われる200mlの牛乳の単価は45円~46円程度。この部分を、ご飯を多くしたり、(カルシウムの多い)おかずを多くしたりして給食単価をおさえようというもの。消費税の10%アップ引き上げの日に備えるというのも、二次的にはあるらしいが、市長の主張は「和文化を大事にした食育」なのです。

そういった市長の思い入れもあり決められたものですが、いきなり牛乳をなくすのも問題が出そうなので、暫定期間で試行することになり、いよいよ今日から牛乳なしが始まった。

子どもたちの反応も様々ですが、大人たちの反応も様々。学校給食は、伸び盛りの子どもたちに十分なカロリーと栄養が確保されることが目的、牛乳の果たす役割は大きい、という人。「いや、無理やり飲む子もいる」という人。

「そもそも、給食のご飯が『和』文化といえるのか。そんなたいそうなもんじゃないだろう」というタレントの声に、(そうかも)とも思う。

栄養のバランスは家で?

栄養というものは、3食で摂るものだから、カルシュームが足りないなら家庭で摂ってほしい、という三条市の言い分もわかる。学校にカロリーバランスも主な栄養も、頼っているようじゃ家庭の役割は果たせないというのは納得する。

だけど、わたしが昔人間だからなのか、牛乳は給食についていてほしいと思う。おかずだって「和」風のものだけじゃ物足りない気がするし・・。たとえばハンバーグとか、カレーとかの時は、牛乳つけるとかして、給食費の高騰を抑えられるんじゃないかな。

いやっ、牛乳アレルギーの子どももいるかもしれない。だったら削ってもいいか・・。小1、少2のころの子どもには牛乳を飲むのだって大仕事かもしれない。成長期のカルシウムなんて家庭で用意したらいいのか、などなど考えてしまった。

ちなみに、三条市の学校給食に8000人分の牛乳を納入していた業者は、4か月で2200万円の売り上げがゼロになる。当然イタいと悄然とする。

三条市が、この4か月で、どんな課題を見つけ、どんな効果を見つけるのか、4か月後に興味をつなぐ。


nice!(2)  コメント(0) 

東大入ったら100万円のニンジン戦略 [教育]

11月18日(火)

ニンジン作戦で廃校を回避

 鹿児島県伊佐市の県立大口高校が、定員割れの状況を打破しようと、ニンジン作戦。東大、京大、早慶など難関校に受かれば100万円、その他の知名度の高い(九州では知られている程度の)有名大学に入ったら30万円あげますというものです。

 大口高校は定員360名のところ今267人、今年度は120名のところ61人しか集まらなかった。このままでは廃校!

 大口高校のある伊佐市は、頭脳の流出を防ぐ!?ためには、難関校の合格者を作ることだと奨励金を創設することにした。そのためには、教師陣も強化しなければ・・・と鹿児島市の予備校から講師を招き、土日に特別授業をやってもらおうと。

議会が補正予算を可決

奨励金、講師招聘のための5000万円を市議会が可決した、のだという。とんでもない議会だと思ったが、そう思わない人もいるんだろうなー。可決したんだから。

でも、いくら過疎の町の高校だからといって、教育に「人参」をぶら下げて何とかしようというのはダメでしょう。

 大口高校は、偏差値46くらい。今春、有名大学には、鹿児島大学に2人、山口県立大と、大分県立看護科学大にそれぞれ1人ずつ受かったという。これがヒントだった。これから奨励金の対象の大学を決定し、どんどん有名大学に合格してもらい、奨励金を支給したいという。初年度は約20人を見込んでいますと、伊佐市企画政策課はいう。(ホンキかいな)

また、教育の商品化

教育者にあるまじき考えではないか。教育委員会はどうした? 首長や企画政策課にやられちまったのか・・。

有名予備校の講師を呼び、土日に特別授業? 既存教師は無能呼ばわりではないか。面目丸つぶれで、口びる咬んでないか。きっと「心」を育てるいい先生かもしれない。

高校で流出しようが、大学で流出しようが、卒業して流出しようが、いずれ出ていくよ、こんな街。

人間を、入試のときの学力だけで、100万、30万、その他は0円と、ランク付け、それにどんな意味があるのでしょう。人格や得がたい個性、将来性などまったく無価値にしてしまう教育支援て、いかにも寒い。入試だけのテクより、素晴らしい能力を持ってる子はいっぱいいると思う。

2チャンネルではいろいろなこえがでていた。本当に頭にいいやつは100万にはつられないと思う、とか(ハハハ、本当だね) 鶴丸高校(鹿児島市の県立トップ高校)に入るには100万以上かけても入るよ、とか、ラサールに入るのはほとんど他県人(だって全寮制だもの) 

 熊本県の多良木高校は入学者に一律5万円を支給する対策で廃校を回避したという。この方がまだ、人間味がある。

どんな子を育てたいのか、伊佐市は。ニンジンだけ食べて、2度と帰ってこないサイボーグのような高校生に、補正予算もないもんだ。


nice!(1)  コメント(0) 

カラー通学路 [教育]

11月3日(月)

路側帯カラーに反対

兵庫県西宮市では、小学校の通学路に色を付けて区別する〈路側帯カラー〉に、景観重点地区の自治会が「景観を損なう」と過半数が反対し、計画に「待った」がかかったという。

子どもの安全と景観保全、真っ向から向き合うことになったのは初めてだと思いますが、カラー化は次善の策であることは間違いない。中には、肩幅より狭い30cmほど塗り分けただけというところもある。

細い道路に色分けすることに、一般住民は「どちらでもいい」「落ち着いた色にしてほしい」「幅全体を塗るのでなく線でもいいのでは」と、実はそれほど関心は高くない。

関西学院大学総合政策部の加藤教授(都市計画・環境デザイン)の話が東京新聞に載っている。「地元が市の取り組みに乗らないのも選択肢だ。地元なりに子供の安全への責任を取るという意識も高いということだろう。通学時間帯に地域の人が張り番に立つなど、通学路を守る方法はいろいろある。その手法を地元で考えていくことが重要だ

しかし、切実なのは、通学路が危険だと心配する保護者なのです。保護者の場合、とりあえずの対策だとなかなか納得できません。

たとえば

たとえば、須賀小中の体育館の裏側の道路。すぐ南側の道路には交通指導員が立つも、こっちは誰もいない。すぐ南側の道路の抜け道となって、通学時間には通勤車にも忙しい時間。勢い、通過も多くなる。

保護者の方の要請で、狭い道路ではありますが、グリーンベルト(通学路と言う区分け)化してもらいました。前よりずっといい。が、何しろ狭い道路をグリーンにしてもらったわけで、カラーの部分は相当狭い。スピードを出した車が子供の肩先を風を切って通過すると心配しています。

たしかに、グリーンに塗ったことで、「あっ、ここは通学路なんだ」という意識づけ、抑止力にはなっています。が、保護者の方は「まだ、心配なんです」と。

「ガードレールが一番安心なんですが・・・。でも、町にお金ないんでしょ。それに道路が狭いからガードレール付ける余裕ないですよね」と、先回り。

「そこで、お願いなんですが、通学に要する30分くらい、通行禁止の看板出してもらえないですか。これだと無理がないでしょ」とみんなで頭を突き合わせた結果を提案される。

警察、安心安全課、教育委員会と、またがる部署は広い。どういう方法があるのか・・。


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。