お芋ほり [歳時記]

11月4日(水)

さあ、始めるよ

毎年、恒例のお芋ほり。今年で19回目だそうです。私が所属している「交流みやしろ」は、今年も国納保育園のちびっこたちをお招きして芋ほりを実施しました。

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とれた、取れた、サツマイモのお山ができました。

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運動会 [歳時記]

10月17日(土)

町立保育園運動会

宮代町立のみやしろ保育園(六花隣接の保育園)、国納保育園は、合同で運動会をやります。今年は雨のため、「ぐるる」の総合体育館が運動会会場になりました。

げんきな体操から、運動会スタート! オレンジ帽子がみやしろ保育園。水色帽子が国納保育園。

運動会1.jpgけっこう広いです。おうちの方も総出で応援。

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運動会3.jpgアンパンマンの歌に合わせたダンスはお父さんやお母さんと一緒です。お面は、手作り。よく見ると、目が離れていたり、口が曲がっていたりで、個性あふれるアンパンマンになっていました。

私は、越谷での集会があったので、来賓参加競技に参加してから退出。

今日も街宣カーが

駅に向かう時、後ろの方で街宣カーの声が聞こえ、近づいてくる。このところ、この議員は毎日のように街宣カーを回す。用事の無い限り、というのが適当か・・・。

町民の方は、どう受け取るのか。「多くの町民は杉戸町との合併を望んでいます。なのに宮代町議会は請願に反対しました。」というアナウンスを・・・。

 この頃の議員たちの話題。「来年2月の議員選挙まで、合併、合併で突っ走る人と、エアコン、エアコンで突っ走る人と、選挙モード全開だなーー」

「劇場型」選挙だ。「この町は取り残され、消滅する」「エアコンなしで子供がかわいそうだ」・・。センセーショナルな言葉が飛ぶ。

ある宗教も、選挙モード全開だ。写真入りの立て看板があちこちに立てかけられた。日本全国の自治体で、この宗教の議員がいる議会があるのかしら。無いとしたら、宮代町が一番乗りをねらうの?

いずれにしても、政治やまちづくりは、一つや二つの要素で成り立ってはいない。たくさんの施策、政策をブラッシュアップしていくしかないはずだけど・・・。


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リンゴが1個5000円だった頃 [歳時記]

8月20日(木)

初ものと終いもの

先日、もう旬はすぎたであろうスイカを買いました。道端の農産物直売所で、中型スイカは500円。スーパーで買うよりかなり安い。東武動物公園北側ゲートを出たところ、帰り客が車を止めて買っていました。

カット売りがあまり好きでない私は、小さいサイズのスイカを買います。したがって切ってみなければ、中身の熟度などはわからない。(まだ、台所にごろっところがしている状態です)

そして、昨日は、早生ものの林檎を1個だけ買いました。230円。まだ結構高い。いや、相当高い。リンゴもスイカも、私なりの思い出があります。誰にも、一つや二つ、好きな果物にまつわる小さな思い出があるのではないでしょうか。

リンゴが5000円だったころ

昨日の新聞に、戦中「主食優先」という国策で切り倒されたリンゴの木のことが1面で紹介されていました。

流行歌は、その時代の世相や人々の本音を映し出す。

1944年の晩秋、青森の「食糧増産隊」の青年たちによって、丹精込めて育てられた林檎の木々が切られた。2週間で3600株が切られた。

太平洋戦争の戦況は悪化し、国民の食糧はなくなっていった。1941年には林檎の木を新しく植えることが禁じられ、1943年には「林檎園耕作転換令」で、芋などへの生産転換と切り倒しの命令が出た。

「林檎を作るやつは国賊だ」と、大政翼賛会が叫んでいたという。地元の警官は火の見やぐらに上り、双眼鏡を使い、農家が林檎の作業をしていないか監視していた。

1942年には、21万トンだったリンゴは、終戦の年には1割にも満たない1万8000トンに激減、リンゴ農家は壊滅にひんしていた。

苗から育てなおし

詩人ノサトウハチローが「リンゴの唄」を作り、終戦の年の暮からヒットした。

[るんるん]リンゴは何にも言わないけれど、リーンゴの気持ちはよーわかる~ あの歌詞は、そういう状況から生まれたのだった。

実は、「リンゴの唄」は、戦時中に生まれたそうだ。だけど、軍部が「軟弱な歌だ」と、歌うのを禁じた。

戦後何もなくなった焼け野原に、それまで勇ましいだけの軍歌に飽き飽きしていた人々は、可憐で希望にあふれた「リンゴの唄」に自分の気持ちを同化させた。

大戦中、「贅沢品だ」と生産を禁じられた林檎の生産が、一からはじめられた。

「リンゴの唄」をうたった並木路子が、かごに入れたリンゴをかごから出して公会場の観客に配ると、もらった幸運な客は、その年の幸運をつかんだような気持ちになり、もらえなかった人は、明らかに肩を落としたという。

国民はリンゴが食べられる時代が戻ってきたことを心から喜び、立ち直っていったのでしょう。

当時、リンゴは5円。今のお金に換算すると5000円にもなるという。戦時下、強制的な生産抑制で、極端な品不足だったから。

ーーーーー

私が小さな子どもだったころ(昭和30年ごろ)、毎年冬になると、大きなリンゴ箱(木箱)に入ったリンゴが、国鉄・栗橋駅留めで送られてきた。上野の親戚が毎年のように、送ってきたものだった。

あのリンゴは、戦時中疎開させてもらったお礼みたいな気持だと、大人たちのお茶飲み話で、聞きかじった記憶がある。大きな木箱のリンゴは、その親戚の大伯父が亡くなるまで続いたような気がする。当時の銘柄「国光」、大きくてしっかりした味のリンゴだった。幼児の歯でかぶりつくのには、多少無理があった。

――出かけます


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今日から8月 [歳時記]

8月1日(土)

恒例(好例)のカレンダー

この頃、月が替わる時、楽しみにしているSさん作成のカレンダー。いつも複数の作品が送られてくるのですが、今月はコレをチョイス。文芸作品です。※Sさんは時々ちょっとエッチな楽しい水着作品なども発信しますが・・・(鈴木さんの真骨頂は、むしろこちらかも)

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mother’s day [歳時記]

5月10日(日)

の日

お花屋さんにはカーネーション。「母の日」の花、この花を嫌いな人はいないのでは。

花屋さんの店先で立ち止まってしまう。(いいのがあったら買おうかしら)、結局、いつも思うだけで立ち去る。

今日の新聞で、「母の日にひと言」というのがあって、いろんな人がいろんな言葉を発していた。

その中の「いつまでも45歳(だったかな)で若々しいお母さん、ありがとう。私は今60歳を過ぎました」というメッセージに目が留まる。

(そんなに若くみえるの? まさか)と思った。けど、すぐわかった。45歳で亡くなったお母さんは、60歳を過ぎたこの方にとって、ずっと若い姿で、やっぱり心のよりどころになる〈おかあさん〉なんだ、と。

そういうことなら、私もわかる。さしずめ私なら「いつまでも39歳で若いお母さん、ありがとう。私は60歳をだいぶ前に過ぎました」となるのかな。

関係ないのだけど、昨日の夜、母が夢に出てきました。夢に出てくるというのは、ほったらかしにされているので線香をあげてくれと、あの世で言っているのだと聞いたことがあります。(はい、心当たり、あります。ほったらかしにしました。)

で、今朝がた、私の大嫌いな「蚕」が出てきた夢です。私が小さいとき、家は養蚕をやっていて、祖母や母は、蚕が嫌でもやらなければならなかった。道楽者の祖父や父が好きなことをやっているかたわら、近所の人のお手伝いも含めて女の人たちが頑張ったのが、その頃でした。

母が出てきて、次の日に(関係あるのかな)蚕が出てきて悲鳴を上げて目が覚めたのは、なんだったのだろう。

夢に出てくると、線香を…なんてナンセンスな話だとは思うけど、若かった母がたまには懐かしんでくださいとあの世から訴え、蚕が出てきたのは、適当にドタバタやっている娘(私)を、懲らしめているのかな、と。

こんな年になっても、母は母でして、普段は思い出さないけど、苦しい時、行き詰ったときに出てくるんですねー。困った時の神頼み?に似ています。

※、39歳で死ぬ1か月前、母は(その前年に父が死んでいたので)、病院のベッドで、5人の子どもと握手した。一番上の私には「しっかりね」といい、一番下の妹には「まァちゃんがかわいそうだな~」といった。母の日に(だけは)、この言葉を思い出す。


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初たけのこゲット [歳時記]

4月24日(金)

季節の味・風景

一昨日夕方、外回り中の私に電話があり、「玄関のところに、タケノコ置いてきたよ。食べて」と。

私にとって、「竹の子」は特別の〈季節もの〉。うれしいです。

筍(たけのこ)の味が、特に大好きというのでもない、お店に行けば1年中(ボイルした筍)が売っている。だけど、タケノコをもらうとすごくうれしい。何なんでしょう、この感情は。

街中の、竹林のあるところを通るとき、必ず、目がタケノコを探している。2週間前はあまり見かけなかったのに、一気に頭を出してきた。「あっ、竹の子!」と思い周りを見ると、あっちにもこっちにもニョキニョキ。

ニョキニョキを見て、地下の茎系の健全さに感激していると、2,3日中には、ぐんぐん伸びて姿を変える。時には1日のうちに数十㎝も伸びるのではと、その生命力に圧倒されるのです。破竹の勢いとかいうのは簡単ですが、みずみずしい生命力の美しさといったら、言葉に表すことが難しい。

それで、ボキャブラリ―の乏しい私は、「わー、すごい」としばし見とれて、たけのこを「食べて」といただくと「わー、うれしい」と、いうだけ。(竹林の持ち主によっては「あんなもの、めずらしくもないでしょ」という。とんでもない! 美しいです。貴重です!)

二十四節季の「穀雨」。本当に一雨ごとに大地が栄養を取りこんで生命を膨らませているよう。その象徴が「竹の子」のような気がする。

たけのこご飯は、ふろくです。多分、瑞々しい生命力を見るのが好きなんです。「自然の恩恵」。

で、いただいた3本の筍は、即、茹でられ、即、たけのこご飯になりまして、残りは水に浸して冷蔵庫の中。何でも、冷凍にすると、竹の子は、(ダメのこ)になっちゃうそうで・・・。煮物,汁もので味わいましょうか。


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桜前線スピード違反 [歳時記]

4月7日(火)

桜前線スピード違反

さくらの開花を待ちわびて、お花見やイベントを計画しているのは、どこも同じ。

しかし、東北では、例年より速くすすむ桜前線に気をもんでいるそうです。

一度決まったイベント実施日を変更するか・・。客足への影響を見越し、一部では会期の前倒しを検討しています。

〇〇〇 以下、河北新報より引用 〇〇〇

3月31日に桜が開花した白石市の益岡公園では4日、「白石城さくらまつり」が始まった。白石城管理事務所では「シダレザクラは5分咲き、見ごろといっていい。開花はもう4、5日遅いと思っていたので、売店の仕入れの想定が狂ってしまった」と複雑な表情だ。

北上市でも15日開会の「北上展勝地さくらまつり」の準備がすすむ。担当者は「黄金週間に見ごろを迎えてほしかったが厳しい。自然相手ではそう都合よくいかない」とため息をついている。

弘前市では弘前公園で開かれる「弘前さくらまつり」に向け、毎週月曜日に開花状況をウェブサイトで公開する。開花予想日は18日で、まつり初日の23日には満開の見通し。主催者側は、会期の前倒しを考えている。公園緑地課は「弘前城のお堀に花びらが浮かぶ花筏(はないかだ)は、むしろ会期の終盤が見ごろだ」と、PRに余念がない。

ーー引用ここまでーー

今日から「冬」なみ気温

しかし、天気予報では、今日から花冷え。低めの日が3日ほど続くようです。スピード違反気味の桜が足踏みする気配濃厚です。「花もち」は長い方がよろしいようで・・。そう考えると、今日からの寒さ、OKです。

選挙カーにはきつい寒さかな。ウグイス嬢だけのっている選挙カーは多分窓を開けないで走っているから寒さは大丈夫。だけど、候補者が乗っているときは窓は全開。相当寒いのです。ひざ掛け、カイロは必需品。

今日は、サポートしている「選対」に行ってみようと思います。あいている時間は今日の午後しかない。

 昨日の新聞では定員2名の片隅に食い込めるかボーダーライン上、との報道。選挙は、はじめの派手さではない。最初地味でも、じりじりと盛り上がっていく選挙が、実は強い。そういう選挙をいくつも見てきた。後半戦が勝負です。

とはいっても、時間がないわたし。3日から、やっと会報「視点225号」を配りはじめました。3月は議会に集中していたため、会報発行はまるまる休み。4月になって自分の会報配布、昨日から「議会だより」の編集委員会、とぎっしりと詰まっています。

雨や寒さは、むしろ望むところです。今日はポスティング休みー! 後ろめたい気持ちなしで、選挙の手伝いに行けますから。


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寒空のさくら市 [歳時記]

4月4日(土)

寒空の下、さくら市

満開の桜でありましたが、今年の桜市は、あいにくの曇り空、気温も低い。時々あるんですよね、こういう気象状況の下でのさくら市。昨年は確か、晴れてあったかかったのに。

風にひらひらと花びらが散ってきました。もう、終わりだなー。

先週の土曜日が、たしか一分咲きだった。咲きはじめの日からずいぶん経っているような気がします。たった1週間くらいなのに、この時期、色々なことがありすぎるから、たっぷりの時間を感じる。一時桜を忘れて、また「おおー、そうだ、花見、花見」と気を取り直して、花を見、また忙しさにかまけて、桜なんてどうでもよくなってしまう。

すっかり花弁が散り終わってしまうと、「もっとよく桜をみておくんだった」と、毎年のように思うことありませんか。

あと、10日もすると、八重桜、これはこれでいいもんです。進修館前の八重桜が爛漫に咲くまでのカウントダウン、始めました。[soon]


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さくら開花宣言 [歳時記]

3月26日(木)

宣言

 冬型配置から抜け出た今日、待ちに待った桜の開花。私がひそかに≪標本木>にしていた笠原落とし沿いの桜に、1輪、また1輪と開いた桜。つぼみの濃いピンク色に比べたら、開いた花弁の、風にふるえる白さがなんとも心細い。

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 これが3、4日したら、圧倒的なチェリーブロッサムになるんですねー。あの圧倒的な桜の波を想うとわくわくします。いいことがありそうな気がします。

笠原落とし沿いには、桜の木オーナーさんたちの記念プレートを付けた木が並ぶ。いつもは通り過ぎてしまうプレートですが、そっと読んでみると、持ち主さん(?)の思いが込められた桜なのだ。

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「富士山頂浅間神社で結婚しました!」「二女の誕生の日に」「銀婚式を迎えた記念に」 みんな素晴らしい記念日があったんですね。

宮代町が〝桜オーナー制度”で、川沿いの桜のオーナーを募集したのは、平成8年~10年くらい。あの時定年退職した方は今75歳くらい。きっと散歩しながら、今年もこの桜を見ていることでしょう。


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卒業式の「さくら茶」 [歳時記]

3月15日(日)

卒業式のさくら

14日は、宮代町内の3中学校で卒業式。私は、百間中学校へ。来賓枠で出席する議員たちは最寄りの中学校に出向くのですが、その結果、百間中学校には、議員の半分7名が集まることになった。

毎年のことなので、卒業式の様子は(感動的でしたが)省略。今回は、式が始まる前に来賓(全部で50人ほど)が集まる待合室で、出される「さくら茶」について。

お茶といっても、お茶ではない。八重桜の花の塩漬けに熱湯を注いだものです。でも、これがしみじみする。熱湯を注いだおかげで、塩漬けの花がお茶碗の中で開き、桜のいい香りがする。「ああ、今年も卒業の季節がやってきた」と思う瞬間です。

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昨日は、遅れてはいけないと思い(実は時間を読み違えた)一番最初に到着してしまった。誰もいない部屋で、就けてもらったばかりのストーブのそばで、大好きな「さくら茶」を味わった。

感極まる涙

卒業生の中に、涙をこらえている子がいた。ちょっと前より涙をこらえる子は少ないかもしれない。男子、女子同じくらい、招待された我々の席から見ると、男女とも5,6人の子が、感動や別れの涙を拭いていた。

式辞を述べる校長先生、愛情いっぱい、感情豊かな校長先生は今年も、長い式辞の途中で何度も何度も言葉に詰まった。


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