国歌歌えないのは代表じゃない?

7月4日(月)

バングラディッシュの、IS国によるテロは、悲惨すぎて理不尽すぎて、言葉もない。バングラのために全力を注いできた人が過酷な運命にあうなんて・・・。惜しい人材がなくなった。いたたまれない。

リオのオリンピックへの危惧

ブラジルの政情も決してよくない。テロの危険ももちろんあるが、競技場やインフラも、現時点で出来上がっていない。きれいだとおもっていた南米の海がひどく汚れている。物価も高騰している。世界中のアスリート、お客様を受け入れる準備ができているとは、とても思えない。ひどい状況、アクシデントを覚悟でいかなければならないか

国歌を歌えない人は・・

それでもタイムリミットが刻まれてもうすぐだ。昨日3日、リオオリンピック、パラリンピックの壮行会が行われたというニュース。

ここで、はっきり口を開けて国歌を歌わなかった選手たちに、森喜朗・オリンピック組織委員会の会長がまたもや苦言を呈したらしい。「口をもぐもぐさせているだけではダメ。大きな口を開けて。大きな声で」と。「国家をうたえないような選手は日本の代表じゃない」とまで言った。

血のにじむような毎日の練習をこなし、やっとつかんだ代表の座。それだけでもすごい。計り知れないようなプレッシャーとも戦っているでしょう。

そんなすごい人たちに、あいさつで「歌えないような人は代表じゃない」なんて、森さん、何様? 幼稚園の幼児に言って聞かせるような小言、やめてもらいたい。もっと大きなミッションをもっている人たちだ、選手たちは。


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50年前の7月2日

7月2日(土)

ビートルズがやってきた

50年前の7月1日、私は

武道館の「ビートルズ」東京公演の会場にいた。チケットを買えるとも、親が買ってくれるとも思っていなかった私に、偶然「行けなくなったから、買わないか」という(多分)友達がいた(らしい)。

当時、埼玉と東京のコンサート現場は、感覚的には今ほど近くなかった。電車に乗って、それも夜開演の絶叫コンサートに行くなんて許してもらえるわけなかった。でも、相当行きたかった田舎の少女は、思い切って父親に頼んだのだと思う。(記憶が鮮明でない)で、拍子抜けするくらいたやすく、「ゆずってやる」というチケットを手に入れた。

「武道館の周りには、右翼が『ケトウを神聖な武道館から叩き出せ』と街宣している。十分気を付けるように」と念を押された田舎むすめは、場違いな場所に行って、それでも〈あっという間〉の時間を共有していた。

50年前のことを、懐かしく思い出した。


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見せしめ自治体からの脱却・・夕張 [地域発]

7月1日(金)

夕張破綻から10年

夕張市の財政が破たんし、自治体の倒産、いわゆる「財政再建団体」赤字団体として、きびしいスタートを切ってから6月20日で10年になりました。

メロン城だとか、夕張映画祭だとか、大型観光移設だとかで有名だった旧石炭の町夕張市が何で、こんなことになったんだろうと、当時我々は、その教訓を学ぶとともに、経過を知ることになった。実質収入(市税8億円)の市が、353億円の巨額赤字を抱えての倒産です。全国の人々は、「わが町もそうなったらどうしよう」と震え上がりました。

「夕張になるぞ~」

夕張市は〈見せしめのまち〉になった。何かというと住民は「人口が減っている。夕張になるぞ」「税収がない。夕張になるぞ」「合併をしないと、夕張になるぞー」「年寄ばかりになっちゃた。夕張みたいだ」と、いう。

行政は行政で、住民が「もっとサービスを充実させてくれ」「高齢者や子育てにやさしい施策を」と要求すると、「財政が厳しいんですよ。夕張になったら大変ですから」とバリアをはる。

財政を知っている人ならわかる

実は、そう簡単に「夕張になる」わけないのです。自治体財政の仕組みを少し勉強した人なら、夕張がどういうマジックを使って、国などの公金を使い、施設をバンバン作り、議会の予算、決算のチェックを逃れて累積赤字をほったらかしにっしてきたかわかります。

単年度決算、出納整理期間という地方公共団体会計特有の盲点を突き、長期借金をいったん別に置いておき、翌日諸収入などの形で戻す、業界用語で言う「ジャンプ」をくりかえすなど・・。巧妙に予算決算をごまかしてきたことは、役所職員でも、議会でも、よーく勉強すればからくりは知っていたはず。(いや、議会は不勉強だった。ふしあなで、見破れなかったらしいが)

 職員も担当以外は無頓着で気にもしていなかった。所詮は人から集めたお金というわけか・・・。

夕張の近隣自治体は、少なくとも「夕張市のなれの果て」が近いことを知っていた。

その反動で、議会の力をアップすべくお隣の町議会が全国で初めて「議会基本条例」作成に取り組んだのは、逆のいみですが「夕張効果」のひとつでした。

私は、10年前の当時、全国組織の議員勉強会などでよく取り入れられた「夕張の破たん」を研究しに出かけていたから、けっして簡単に、わが宮代町が「夕張になる」なんて思わなかった。また、内容、仕掛けも知らずに、不用意に「夕張になると大変だから」という、職員や議員のしたり顔を、いやだなーと思っていたことを、よく思い出します。(私は、このころ町長戦に敗れて、一番勉強会に出かけていたころでした)

不可能な返済計画

さて、その夕張市ですが、当時の返済計画のすごさといったら・・。353億円の借金を18年間で返す計画を立てました。ある意味、壮大な「実証実験」「人体実験」ともいえる数字でした。

まずやったことは人件費の削減。260人いた職員を100人に減らしました。ということになっていますが、実は、給料体制の厳しさにやめていった職員が後を絶たなかったとみるべきです。給料削減昇給の見通しも立たない、仕事の厳しさは十分想像できる。これで残ると決心することだけでも大変でした。

能なしのレッテルを貼られた議会も18人の議員を9人に減らし、報酬も40パーセントカットしました。

それでも住民の心細さと比べたら、仕方ありません。住民は、何の罪もないのに、住民税などは上げられ、施設は減らされ、施設の使用料は倍に値上げされ、水道料金なども1,7倍にあげられるという負担に耐えられるか・・。

高齢者はほかに行くところもないです。どんなに苦しくてもこの町に残る以外すべのない人も多かった。若い世代は、後ろ髪惹かれる思いはあったにせよ、この町を出ていき、若い世代は30%減りました。

借金返済を優先させたあまり、必要な施策が何もできない町。この10年の夕張市のご苦労は大変なことの連続だったでしょう。

でも、今でもこのご苦労に耐えているのは、どうしてか?

国が応援した旧炭鉱の町

自分のまちに愛想を尽かして出て行った人も多かった。しかし、全国の人が「何かをしてあげたい」と注目したのも夕張だった。東京都は職員を長い間派遣し、手伝った。寒い冬の高齢者の送迎ボランティアもいた。

夕張は大丈夫か!? みんな気にしました。

10年を経た夕張はまだ厳しいけど、「夕張になるぞー」はやめましょう。実質的には借金を返しつつ市民の夢を盛り込んだ計画を立てられるところまで来た夕張市です。

「夕張みたいに、ネバーギブアップで頑張るぞ」といわれてもいいくらいにガンバっているまちです。

埼玉県うまれの夕張市長

現在、夕張市長を務めているのは、埼玉県生まれの35歳。東京都庁の職員でした。08年から夕張市に派遣。10年位は都庁を退職し、11年夕張市長に当選。現在2期目に入りました。。夕罰主導の仕組みができれば、《見せしめ》から卒業できると、、市長にとっても覚悟の年です。


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