小さな命を守ろう [子育て支援]

2月1日(月)

小さな命をなぜ守れなかったのか

先週、3歳児が親(と、その同居者)による虐待で命を落とすという事件が相次いだ。3歳と言ったら、どんどん言葉を覚え、天真爛漫で、かぎりない才能と未来の幸せを約束されている年齢です。突然、数週間分、いや、数か月分も成長した言動を取ることもあり、お子さんのいる家庭では、成長に驚きと微笑みが絶えない時間でありましょう。「3歳はすぐすぎちゃうよ」と惜しまれる幸せに包まれた貴重な時間なのです。

それなのに、埼玉県狭山市、東京都大田区で相次いだ3歳児の虐待からの死亡事件。どちらも一人で育てていた母親が簡単に同居を許した交際相手による熾烈を極める暴力の繰り返しで、小さな命を絶ってしまった例です。

「3歳はすぐすぎてしまう」のではなく、もう、4歳も5歳の誕生日も絶対来ないのです。

しかも、この2つの家庭には、ほかに兄弟がいた。この子たちの心にも大きな傷と闇を残したことは、想像に難くない。

 母親を孤立させない

未婚で、あるいは離婚などで、ひとりで子供を育てる母親を一人にしない。誰かが見守ってあげなければならない。「負の連鎖」を起こしてしまう。こういった境遇に育った子供は、ひとりで生き抜く力が育たない。誰かに依存するか、誰かを傷つける生き方をしてしまいがちだ。

もっと、もっと、近所の力をはじめ、多くの「眼」が届かなくてはダメです。

公的機関はもっと強化して

近所の人から「子供の泣き声が聞こえる」「虐待が疑われる」という通報が、行政の担当課や警察のくらし安全課などに届く。こういった公的機関は、訪問する。しかし、目立ったあざなどもなく、親も「大丈夫」と言ったから、という例が多い。つまり、1度や2度訪問しているのです。

訪問しているにもかかわらず。悲惨な結末になる。「やることはやった」と、行政をはじめとした公的機関は言えるのだろうか。いや、十分じゃなかったのだ。訪問こそ、専門家がしっかりと見、対応すべきなのです。

狭山市の事件

狭山市の羽月ちゃんの事件では、羽月ちゃんは顔に大きなやけどを負って全身に無数のあざがある状態でした。死因は特定されないほど全身が憔悴し、弱っていた。東京大田区の礼人君事件と同じで、羽月ちゃんにも4歳の姉がいたが、ことらは虐待の対象とはなっていなかった。こういうことが盲点となっているかもしれない。

しかし、気づかなければならない着眼点はいっぱいある。だから、専門家が訪問しなけばならない。

〈狭山市の対応〉

〇4か月検診、1歳児検診の未受診 →職員が自宅を訪問。母親と面会。「養育環境に特に問題なし」と判断。

〇昨年11月の3歳児検診も未受診 →来月訪問する予定だった。

〈埼玉県警の対応〉

〇近所からの通報で、狭山署員が駆けつけて両容疑者に事情を聴いたが、羽月ちゃんの体に(外見で)外相が確認されなかったから、児童相談所(専門職がいる)に通告しなかった。

羽月ちゃん、礼人君ともに、しゃべらない子、笑わない子になっていた、と周りの人々は言っていたという。(どれだけ恐怖の中に居た課・・・) 訪問に、専門家が行っていたら、こういった微妙にして重大なことに気が付いたかもしれない。

小さな子へ、大きな大人が力まかせの暴力…。想像するだけで辛い。行政は「対応に間違いはなかった」という前に、もっともっと、こういった家庭に傾注し、専門家を含めた人員を割くべきでなないでしょうか。


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