どこが事務局?新教育委員会制度 [議会]
11月30日(月)
一般質問1日目。私の質問は明日なので、ひたすら拝聴している。その中で気になったこと。
新教育委員会制度
H27年4月からスタートした新教育委員会制度について。
宮代町のスタートは、教育長の任期の関係から、実際にはH28・4月からスタートする。今はその前哨段階。I議員の質問から、オタオタぶりが明らかになった。
「綜合会議」を主催するなど首長の権限が一段と強くなった新教育委員会制度。私は事務局はどこがになうのか、と昨年6月議会で質問していた。答弁では、当時の総務政策課だということでした。
今は機構改革で、総務課と企画財政課に分かれている。新教育委員会(つまり町長部局でやること)を所管するのは企画財政課。事務局をになっていくことになります。
ところが、今日の一般質問では、質問に具体的に応えられるほど、あらたな事務局が仕事の内容を把握していなかった。それが随所に表れて、質問に「あれ、どこが答弁するの?」「こっち?」「そっちでしょ」という場面がたびたび。そのたびに「暫時休憩」することになった。
思えば、企画財政も大変だ。シンクタンクに近い部署ではありますが、およそ教育部局とは遠い。町長は教育の中立を守るとは言っているが、はてさて始まってみるとどうなるか。
また、チェック機能を期待したい教育委員会メンバーに、これまで以上に「ホウ・レン・ソウ」つまり相談、連絡、報告が行われるかどうかもしっかりとみていかなければならない。
宮代町土地利用計画
中心市街地に横たわる閉店通り、空き家問題。これらが放置された現況で、あらたに市街化調整区域の開発はままならぬ、という(県の意向)は道理でわかります。
でも、あまり縛りをかけちゃうとそれでなくとも狭い宮代町で、人口増、定住促進の受け皿はどこにするの?
そういう質問は、どこにでもある。今後都市マスタープランの中でとか、第4次総合振興計画の中で、というのは簡単ですが、具体的な絵が描けないのは事実。
かつて、宮代町は、バブルの終わりごろ(H7年から9年ごろ)、こういった上意計画を作成する前に、宮代町の土地をどういう風に活用するかグランドデザインを描くのが先ではないかと、「土地利用計画」を先行させた経緯があります。
私は、この頃住民として、この「土地利用計画」の策定委員会にかかわったことがあるのですが、はて、さて、この頃の事情を知っている職員さんも少なくなっているような感じ、がする。
とりあえず。宮代町の「土地利用計画」を洗い直してみたらどうだろう。ざっくりとでもいい。
あれから20年近く過ぎている。どんな街にしたいのか。グランドデザインの無い、総合計画や都市マス、も何となく(手ごたえ)(あるべき姿)の無いものになりそう。