ある地域の文化祭 [地域発]

11月8日(日)

宮代台文化祭

 11月5日から今日8日まで、久喜市に隣接した宮代台自治会では、恒例の文化祭が開催されています。〝恒例の”と申し上げるのは、それなりのわけがありまして、何と言っても歴史が長い。

 宮代町で、はじめての大型新興団地は、東京勤務族のベッドタウン、ふるさとを全国に持つサラリーマンがすむ「第2のふるさと」「終(つい)の住まい」に着地した人たちの地域でもあったと思います。

 土地の人から見れば新参者の人たちは、下水処理場問題で結束し、衛生組合からのダイオキシン問題で結束を深めていくかたわら、それぞれの特技を生かした文化を持ち寄る「地域文化祭」に花を咲かせた人たちでもあると、ひそかに尊敬、この頃では敬愛申し上げている人たちです。

 とにかくグレードが高い。絵画から短歌・俳句、工芸、書、盆栽、生け花,etc,etc。最終日には、団地お抱えバンドで今や町の軽音楽をひっぱる大御所フルトネーズの演奏、ちょっとおしゃれをした紳士淑女の社交ダンス、フォークダンス、民舞、詩吟・・etc,etc。

町の文化祭が終わった直後に文化祭をスタートさせるのは、町への出し物にも協力してきたからだ。

 しかし、この頃は高齢化のため、どっちにも(花を添える)というのもしんどくなってきた(と、会員は言う)。もう、町の文化祭出品はひかえて、地元の文化祭を盛り上げようと、こっちにちからをいれているのさ、と。

文化祭の屋台骨を組み立てた大道具のkさん(サラリーマン時代はNHKの大道具・装置などを職としていた)も亡くなった、必ず出品していたKさんもなくなっていた(5日はじめて知った)、最終日には昔取った杵柄で、ダンスを楽しんていたUさんも夏の終わりに静かに終息していた。

そういうわけで、確かに出品数は少し減っていた。集会所前庭のフリーマーケット、小物やさん、お菓子の模擬店、お花屋さんも減っていた。おいしいコーヒーを出すので有名な「よしずカフェ」も、午後3時までだという。

 だけど、グレードの高さは保っていた。いや、よりグレードアップした作品が、そこには並んでいた。あんまり素晴らしいのでみんなご紹介したいのですが、著作権、肖像権はこっちにあるからね、なんて冗談言われそうだから、ちょっとだけ掲載させていただきます。

宮代台文化祭2.jpg

宮代台文化祭1.jpg

2番穂を活用して、天日干しの稲を再現したパフォーマンス生け花。「うちの家庭菜園で出来た冬瓜も添えて」と、全員参加が微笑ましい。

101歳の青柳さんの〈書〉、お題は「夢」

 青柳さんのお母様は、2年前の夏、終戦の日「戦没者慰霊祭」で代表して天皇皇后に拝謁した方。今年もお元気で「書」を出品していた。お題は「夢」。品のあるのびやかな字に、お人柄がしのばれます。

 5日にお邪魔した時の報告です。庭の〝よしず張りのカフェテラス”の下の木洩れ陽、紅葉した葉っぱがひらひら、ああ、風流[時計]。おいしいコーヒーでした。

ここにも、(みんなが主役)の風景がありました。拍手!!

追記:私の住む学園台や、宮代台には、高度成長時代に全国から東京近辺に職業を求めた人が集まったので、実にさまざまな苗字が並ぶ。「これ、何と読むの?」と悩むような苗字にも出あう。これ、この世代の特徴で、面白いですよね。

それと比べて、今開発中の区画区整理地やミニ団地には、それほど変わった苗字がないような気がする。親世代が町内や近隣自治体にすむ世代が「近居」の住まいを求めて移り住むからでは、というのは私だけの分析でしょうか。


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