宮代町出身の「ギリジン」

9月27日(日)

「週刊文春」9月17日号。2週間も前に買った週刊誌。普段、週刊誌は買わないのですが、時間つぶしに買うときは「週刊文春」が多い。

この中の連載「家の履歴書」は必ず読む。有名人の子どものころ住んだ家の間取りなどが出ておもしろい。4畳半に5人が住んだ、なんて立身出世物語があったりして。

9月17日号の「いえの履歴書」は、若い人などのツイッターフォローがすごい〈お笑い芸人で、彫刻家・彫塑家で、俳優〉の通称「ギリジン」ことラーメンズの「片桐 仁」でした。

ラーメンズ: 多摩美術大学時代に片桐仁は小林賢太郎と「ラーメンズ」を組んだ。それぞれの活躍がはなばなしく、ラーメンズとしては最近めったに見られない。が、多方面で活躍している。42歳くらい

ナント! 片桐は宮代出身

週刊文春の「家の履歴書」は有名人の生い立ちから記事が始まる。「両親が社内恋愛で結婚し、会社があった大阪の岸和田市でうまれた。それから千葉のあやめ台の公団に引っ越し、幼稚園の年中まで住んで、その後、埼玉県宮代町に引っ越した」とある。

へぇー、宮代町。いつも読んでいる連載が、突然違った紙面になった。

「宮代町は田んぼばっかりの田舎です。僕が住んでいたのは「北団地」と呼ばれる、2階建ての家が5件くらいつながった長屋でした。間取りは4DK,1階に両親の寝室、オヤジの書斎。2階は2部屋あるんだけど、1歳年上のお姉ちゃんの部屋と、引っ越しと同時に移り住んできたおばあちゃんの部屋になった。僕は強制的に1階のオヤジの書斎に追いやられた」 面白い。あの北団地か・・。

「百間小学校までは、1.2㌔もあって、歩いて通うのが遠くて嫌だったなぁ。ちょうどその頃、機動戦士ガンダムの放映がスタートして〝ガンプラ”ブームが来たんです。勉強よりそっちの方が好きで、少ないおこずかいで、プラモデルを買って作るのが楽しみでした」

それから、宮代町の片桐少年は、東京・上野の西洋美術館に行ってゴッホの絵を見て衝撃を受けたり、本人は「暗黒時代」と呼ぶ中学校で体験するいじめのことも書いている。片桐少年は、前原中学、春日部高校と進んで、多摩美術大学に行く。そこで、相方の小林ケンタローと出合うんだけど・・・読み進める。

4ページびっしりと書かれた履歴の中の、宮代時代はちょっとだけだけど、知っている場所、学校名に、急に親近感が大きくなっていった。

あんまり、ご紹介しちゃうと「文春」さんに悪いから、ここでやめます。が、要するに、ある世代にはとても人気があり、メジャーなラーメンズの片桐仁が宮代町出身だということで、急に身近に感じたということです。

絵が大好きで、フリースクール発行の薄っぺらな冊子に連載漫画を描いているうちの長女は、以前から片桐を気に入っていた。中学時代にうけた(誰も気にしないが本人にとっては消してしまいたい傷跡の)いじめ、絵が好き、創作が好き、なども(勝手に言わせてもらうのですが)共通項なのか。

「へーぇ、片桐、宮代出身だったの?」と。

二女も「へーえ、宮代、有名人、いるじゃん!」と、この話我が家では少しウケた。

ある日の、小さな話ですけど。


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