戦争は飢えること [国策]

8月14日(金)

70年談話、今日

安部総理は、今日閣議決定した「70年談話」を記者会見して発表するという。あれこれ不安視されてきた内容ですが、世論を気にして、どうやら〈心からのお詫び〉という文言は入れることになりそう。それにはほっとする。

しかし、国会での「戦争する国にするのか」には、相変わらず冷ややかに「戦争にはならないんですよ」と答弁するばかり。

法案を通したいからか、もともと(想像力欠如)からか、戦場、戦時下ではあらゆる想定外が起きることなどに思いが至らないのだ。それで「戦争にはならないんですよ」と(心の中では、何回言わせるんですか)と突き放す。

60%強が飢え死にだった

今日の新聞「発言」欄の投稿に「飢え死にした英霊、どこに?」と題する文がありました。「先の大戦の軍人、軍属の戦没者の60%強が餓死者だったそうだ。本当に戦陣で散った命は何人だったのだろう。食糧、医薬品、武器弾薬の補給もない中、それでも戦いを強い、幸福を認めなかった。飢え死にした御霊たちが靖国におわすだろうか」と。

『敗戦』記念日に、閣僚や国会議員は(できれば)(追及がなければ)靖国にまいりたいと思っているようだ。この人たちの言う「お国のために尊い命をささげた英霊」とは、どんな人たちのことを言うんだろう。

戦争映画に出てくるような高級士官?、戦争の最前線で敵弾に当たって死ぬ人?敵機に突っ込む特攻隊? 

食べる物が手に入らなくなり、着るものがなくなり、涼しい部屋、暖かい家がなくなり、人を疑い、人に遠慮しながら生きる、食べ物を求めながら弱っていく、そういう人たちの英霊か・・・。

本当に、日本は70年間、戦争を一切放棄して、ひたすら平和を築いてきた。日常が続いてきたことで、日常のなんとない幸せや、経済成長は普通にやってくるものだと思っている人が多い。

だけど、戦時下というのは、毎日が「非日常」だ。サッカーが得意だったイラクでは、サッカーグランドが爆撃でなくなった。食料品も来なくなった。冷蔵庫に入れるものがないから家電は用なしになった。学校が爆撃されて学校に行く必要がなくなった。害虫がはびこっても薬も売ってない。好きな食べ物はおろか、何日も食料の配給がない。

何気なく享受している「日常」があればこそ、できる、そこにある幸せがなくなる「非日常」、せめてこのくらいは想像して、日本の行き先を「他人任せ」にしない。

このくらいはやろうと思っています。

追記

夕方、6時に「安部談話」は発表された。過去の談話を引用したり、丁寧な言葉遣いはあった。安部さん、ほとんど暗記するくらい念を入れた長文。練りに練られたものは、いろんな人(安倍さんに近い人)の知恵を集めたでしょう。

でも、肝心なことが抜けている。【私はこう考える】という≪主語≫、だれを、どこをという目的語をぼかした美文だった。


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