リンゴが1個5000円だった頃 [歳時記]

8月20日(木)

初ものと終いもの

先日、もう旬はすぎたであろうスイカを買いました。道端の農産物直売所で、中型スイカは500円。スーパーで買うよりかなり安い。東武動物公園北側ゲートを出たところ、帰り客が車を止めて買っていました。

カット売りがあまり好きでない私は、小さいサイズのスイカを買います。したがって切ってみなければ、中身の熟度などはわからない。(まだ、台所にごろっところがしている状態です)

そして、昨日は、早生ものの林檎を1個だけ買いました。230円。まだ結構高い。いや、相当高い。リンゴもスイカも、私なりの思い出があります。誰にも、一つや二つ、好きな果物にまつわる小さな思い出があるのではないでしょうか。

リンゴが5000円だったころ

昨日の新聞に、戦中「主食優先」という国策で切り倒されたリンゴの木のことが1面で紹介されていました。

流行歌は、その時代の世相や人々の本音を映し出す。

1944年の晩秋、青森の「食糧増産隊」の青年たちによって、丹精込めて育てられた林檎の木々が切られた。2週間で3600株が切られた。

太平洋戦争の戦況は悪化し、国民の食糧はなくなっていった。1941年には林檎の木を新しく植えることが禁じられ、1943年には「林檎園耕作転換令」で、芋などへの生産転換と切り倒しの命令が出た。

「林檎を作るやつは国賊だ」と、大政翼賛会が叫んでいたという。地元の警官は火の見やぐらに上り、双眼鏡を使い、農家が林檎の作業をしていないか監視していた。

1942年には、21万トンだったリンゴは、終戦の年には1割にも満たない1万8000トンに激減、リンゴ農家は壊滅にひんしていた。

苗から育てなおし

詩人ノサトウハチローが「リンゴの唄」を作り、終戦の年の暮からヒットした。

[るんるん]リンゴは何にも言わないけれど、リーンゴの気持ちはよーわかる~ あの歌詞は、そういう状況から生まれたのだった。

実は、「リンゴの唄」は、戦時中に生まれたそうだ。だけど、軍部が「軟弱な歌だ」と、歌うのを禁じた。

戦後何もなくなった焼け野原に、それまで勇ましいだけの軍歌に飽き飽きしていた人々は、可憐で希望にあふれた「リンゴの唄」に自分の気持ちを同化させた。

大戦中、「贅沢品だ」と生産を禁じられた林檎の生産が、一からはじめられた。

「リンゴの唄」をうたった並木路子が、かごに入れたリンゴをかごから出して公会場の観客に配ると、もらった幸運な客は、その年の幸運をつかんだような気持ちになり、もらえなかった人は、明らかに肩を落としたという。

国民はリンゴが食べられる時代が戻ってきたことを心から喜び、立ち直っていったのでしょう。

当時、リンゴは5円。今のお金に換算すると5000円にもなるという。戦時下、強制的な生産抑制で、極端な品不足だったから。

ーーーーー

私が小さな子どもだったころ(昭和30年ごろ)、毎年冬になると、大きなリンゴ箱(木箱)に入ったリンゴが、国鉄・栗橋駅留めで送られてきた。上野の親戚が毎年のように、送ってきたものだった。

あのリンゴは、戦時中疎開させてもらったお礼みたいな気持だと、大人たちのお茶飲み話で、聞きかじった記憶がある。大きな木箱のリンゴは、その親戚の大伯父が亡くなるまで続いたような気がする。当時の銘柄「国光」、大きくてしっかりした味のリンゴだった。幼児の歯でかぶりつくのには、多少無理があった。

――出かけます


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なんとなく受け入れ?マイナンバー [国策]

8月19日(水)

マイナンバー、前例ない作業

10月5日から、国民全部に12ケタの個人番号が発送されます。もう秒読みに入った感じです。実際に発送する作業は、市町村から委託を受けた「地方公共団体情報システム機構」がやりますし、配達は郵便局です。

だから、自治体だけが緊張の中にあるわけでもなく、忙しいわけでもない。しかし、単なる業務ではなく個人情報という重要なものを扱う仕組みに突入する主体は、国および固有の個人情報にかかわる地方自治体ですから、役所、担当課はドキドキしているかもしれません。

通知は10月5日から発送が始まります。世帯主あてに発送されるものなので、全国5400世帯分が一斉に発送されます。

年賀状などは、1世帯に100通も配達されるのだから、何ともない作業だろうと思うのは、間違いです。年賀状はただ配達すればいいというもの(あろうことか、配達に飽きた配達員が山林に捨ててもわからなかったということもありました)ですが、重要書類である個人番号は、配達確認が絶対必要な書類です。

受け取り拒否だったり、説明が届いてなかったり、住所が違っていたり、といっぺんで済む作業でないことは今からわかっている。

2%くらいの未着が出、その対応が予想されるわけです。たとえば、宮代町の場合、現在14,150世帯くらい。この2%ほどで未着が生じ、戻ってくると、これは「・・機構」の仕事ではなく、自治体の作業となる。

14,150世帯の2%、283世帯分のやり直し作業は面倒になるでしょう。

もっと神経を使うのは、DVなどで姿を隠している人の対応。元の住所であるところに届く個人番号。これは絶対に世帯主に現住所を知られないで、今いるところに届けられなくてはならない。

姿を隠している人の、事前申し出は、8月24日から9月25日までに受け付けるという。ここでの作業は、念には念を入れて、慎重になされなければならない。

それにしても、マイナンバー制度、一体だれのために有益なの?


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プレミアム商品券不正購入 [地域発]

8月18日(火)

市議会議員が不正購入

茨城県常陸太田市で、市議(8/15で辞職)が、知人や親族、家族の名義を使い75万円を使いプレミアム商品券を手に入れたことがわかりました。

常陸太田市の場合、プレミア部分は2割、つまり1万円で1万2000円分の買い物ができる。一人5冊までが上限なので、5万円×25人分の名義をつかい75万円(90万円の商品券)を購入したわけです。

まず、かつての職場である市の職員に50万円を渡し、購入窓口に並ばせ、家族、親族、知人の名義で10人分50冊の商品券をゲットしました。

次に、これとは別に、市議の家族5人が、それぞれの名義を使い5人分25冊を買っていた。合計で25人分75万円(90万円分)を手に入れることができたということでした。

ところが、です。こうやってなりふり構わず手に入れた商品券を、市議の妻が、さっそく自動車整備業者に持ち込んだ。

整備業者は(おかしい)ということで、不正が明らかになったようです。

市議会議員、大失敗です。考えてみたらセコイ話じゃーないですか。たった15万円トクするために元後輩、親族、家族総動員で、手に入れたプレミアム商品券。

この市議61歳、2年前は同市の職員だった。早期退職して市議になったのが2013年。こんなセコイ話で、議員としての生命を終了したとは情けない。

プレミアム狂想曲、なんでこんなものに惑わされるのか・・ほんとわかりません。

「視点にあんなこと書かないでくれ」

昨晩は、「TMOみやしろ」(るーばん)の問題で、臨時説明会がありました。この問題は微妙なところでもありますので、今はお知らせできません。が、散会になったあと、近くの居酒屋で、参加した人8人ほどでアルコール入りの懇談。

話が、プレミアム商品券のことになった。商工会の人が言う。「加納さん、あんなこと視点に書かないでくれよ」と。(えーっ、そんな困るようなこと書いたっけ?)

会報「視点228号」の内容は、長蛇の列ができた。自治体職員、担当課主導でやったところが多い中、宮代町は商工会に事業を委託、商工会は「セキ薬品」に大分世話になった、というものだった、、、、けど。それが、なにか?

「商工会が頑張ったんだよ。セキ薬品が手伝ったの。あれじゃーそうじゃないみたいじゃないの」ということをおっしゃりたいみたい。「ああいう書き方をすると、みんなそう思うでしょう。」「視点の責任大きいよ」ということをおっしゃる。

そう?そんなにすごいこと書かなかったよー。今書いている「視点229号」も、プレミアム商品券の後日談をちょこっと乗せた。一応、読み直してみよう・・・・。

一方で、昨晩、同じ席で、「加納さん、視点でサ、なんであんなあたりさわりのない話しか書かないの。私はこう思うって書かなければつまんないよ」ともいわれる。???

結局、自分に関係ないことでは過激に面白いネタを書いてほしいし、自分に関係あることでは、ちょっとした表現も(けしからん)になるんじゃないの?

だから「わたしね、過去に視点に書いた内容で、散々やっつけられたの。レッテル貼られるとはがせないもんですよー。視点は情報提供が一番の役目です。それよりすこーしだけ強く自分の意思を書いているのがブログかな。どっちみち、リスク高い」なんて冗談交じりにちゃかした。


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夏休み、夏休み明け [子育て支援]

8月16日(日)

ライブラリーシアターは、大人ばかり

金曜日には、ライブラリーシアター。ぼやっとしていて、この日が図書館ライブラリーシアターの日だと忘れていました。今月の出し物は「スタンド バイ ミー」。

30年以上前に観た記憶がある。サウンドトラックはいまや、名曲中の名曲、しょっちゅう聞くが、あらすじは、だんだんおぼろげになっています。

しかし、少年の冒険心、仲間を守ろうとする勇気、大人社会の貧富など、今にも通じるだろうと思います。

夏休み中なので、子供たちが多く来て観ているか、と思っていました。が、映画が終わってホール内を見渡すと、やっぱりいつもの中高年層がほとんど。

少年時代をしみじみ懐かしむのは、大人、かもしれない・・。

夏休みになったばかりのころは、進修館、子ども広場等に小学生の姿を見ましたが、このごろはどこに行ってしまったのか、子どものかたまりを見ない。

まぁ、暑さもあるから、家でまったりするのも、冷房の効いた塾でがんばるのもいいでしょう。

夏休み明け

今日の東京新聞「時代を読む」というコラムに目が留まりました。

子供の自殺は、学校の長期休み明け、特に夏休み明けに集中しており、9月1日は突出して多い。内閣府が18歳以下の自殺について、過去のデータを「日別」に集計した結果わかったものだという。

「学校に行きたくない。行かなければならない」。その葛藤が子供を絶望に追いやり、自殺へと追い込む最大のきっかけだと。「これほどクリアに示されたのは初めて」と、コラムを担当している貴戸 理恵氏は言う。

オーストラリアでは、子どもに関わる(ボランティアを含め)全ての人々が「子供の安全環境を守る研修」を受けるそうだ。研修の趣旨は「個人の不完全さを知って、子どもの情報を共有し、他者や他機関と連携するやり方を学ぶこと」です。これはコラムの記事です。そう、「完全」を目指していないのがミソです。

先月、岩手県であった痛ましい子どもの自殺。先生とかわされた「生活記録ノート」にSOSが出ていたのに、個人(先生)の価値観や経験則があったのは確かでしょう。誰も個人攻撃などできないし、してはいけない。ここで示されたように、「個」の能力など本当に小さなものだ。

「大人の個人の価値観や経験が、被害にあっている子どもへの理解に大きく影響する。「個」が集まって、いくつもの小問題を解く作業を通じて、自分の傾向を知ることができるのだ。

確かに、『自分の傾向』は、自分だけで知ることはできない。

大人の多くは、「そんなわけがない」「たいしたことはない」と、大人の法則で考える傾向がある。大人が自分の(不完全)に気付き、受け入れないことには、陥りやすい罠から子どもを救えない。

大人にとってはちっぽけなことが、子どもにとっては、命にかかわる問題になるということの、自戒や自覚の上に立ち、あと2週間残すところとなった夏休みに、立ち会おうじじゃないか。

コラムは次の言葉で結んでいます。「子供が命を懸けていかなければならない場所なんて、絶対にない」


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戦争は飢えること [国策]

8月14日(金)

70年談話、今日

安部総理は、今日閣議決定した「70年談話」を記者会見して発表するという。あれこれ不安視されてきた内容ですが、世論を気にして、どうやら〈心からのお詫び〉という文言は入れることになりそう。それにはほっとする。

しかし、国会での「戦争する国にするのか」には、相変わらず冷ややかに「戦争にはならないんですよ」と答弁するばかり。

法案を通したいからか、もともと(想像力欠如)からか、戦場、戦時下ではあらゆる想定外が起きることなどに思いが至らないのだ。それで「戦争にはならないんですよ」と(心の中では、何回言わせるんですか)と突き放す。

60%強が飢え死にだった

今日の新聞「発言」欄の投稿に「飢え死にした英霊、どこに?」と題する文がありました。「先の大戦の軍人、軍属の戦没者の60%強が餓死者だったそうだ。本当に戦陣で散った命は何人だったのだろう。食糧、医薬品、武器弾薬の補給もない中、それでも戦いを強い、幸福を認めなかった。飢え死にした御霊たちが靖国におわすだろうか」と。

『敗戦』記念日に、閣僚や国会議員は(できれば)(追及がなければ)靖国にまいりたいと思っているようだ。この人たちの言う「お国のために尊い命をささげた英霊」とは、どんな人たちのことを言うんだろう。

戦争映画に出てくるような高級士官?、戦争の最前線で敵弾に当たって死ぬ人?敵機に突っ込む特攻隊? 

食べる物が手に入らなくなり、着るものがなくなり、涼しい部屋、暖かい家がなくなり、人を疑い、人に遠慮しながら生きる、食べ物を求めながら弱っていく、そういう人たちの英霊か・・・。

本当に、日本は70年間、戦争を一切放棄して、ひたすら平和を築いてきた。日常が続いてきたことで、日常のなんとない幸せや、経済成長は普通にやってくるものだと思っている人が多い。

だけど、戦時下というのは、毎日が「非日常」だ。サッカーが得意だったイラクでは、サッカーグランドが爆撃でなくなった。食料品も来なくなった。冷蔵庫に入れるものがないから家電は用なしになった。学校が爆撃されて学校に行く必要がなくなった。害虫がはびこっても薬も売ってない。好きな食べ物はおろか、何日も食料の配給がない。

何気なく享受している「日常」があればこそ、できる、そこにある幸せがなくなる「非日常」、せめてこのくらいは想像して、日本の行き先を「他人任せ」にしない。

このくらいはやろうと思っています。

追記

夕方、6時に「安部談話」は発表された。過去の談話を引用したり、丁寧な言葉遣いはあった。安部さん、ほとんど暗記するくらい念を入れた長文。練りに練られたものは、いろんな人(安倍さんに近い人)の知恵を集めたでしょう。

でも、肝心なことが抜けている。【私はこう考える】という≪主語≫、だれを、どこをという目的語をぼかした美文だった。


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100歳のジャーナリストが語る戦争 [国策]

8月13日(木)

100歳の元従軍記者

今朝のテレビ。朝起きてから、テレビ朝日をずっとつけている。9時過ぎから画面に出てきて語っておられる、元朝日新聞、従軍記者だった100歳のジャーナリスト・むのたけじ氏に注目しました。

むの氏は、100歳。第2次世界大戦のとき、従軍記者として戦地を転々とした。そこで見たこと、体験したことは、戦争という状況が作り出すむごたらしさだけど、率直に語っておられた。略奪あり、強姦あり、焼き打ちありの真実。戦時中は「殺さなければ殺されるという切羽詰まった状況にいる」「戦時中にほんの少しだけある人情に花が咲いた話なんて、あだ花だ。真実はもっと違う」と。

「むのさんがとらえる戦争は」という問いに「人間の罪の中で、もっとも残酷で、もっともつまらない犯罪が戦争だ」と答えていた。どんな理屈をつけようと、益になる戦争はない。

戦争のなかで、真実を伝えられなかった、戦争を止められなかったという自責の念から、むの氏は、終戦の8月15日に朝日新聞を辞めた。地方に下り、ジャーナリストを続けているという。

情報を隠すのが戦争だ

戦争に突入する時、報道の中にいる誰一人として、戦争になるようだ、とかいつどんな開戦になるか、なんて誰も知らなかった。戦争は情報を秘密にするところから始まる。情報や作戦は、ごく一握りの人しか知らない。漏れたら戦争にならないからだ。

情報統制

国民に知らしむるべきことから隠す。戦争時には必ず情報の統制がおこなわれる。メディアもそうしなければならない。

国民が知りえるようなことは、漏れる。

かつて、戦争に突入する時、国民のだれも真実を知らなかったし、戦争が終わる寸前まで真実は伝えられなかった。

今の日本は、まるで【戦争前夜】だ。

70年間も平和に、戦争にかかわらないで暮らしてこれた日本。これを根底から崩すような道を進んでいくことは絶対あってはならない。反省することは自虐ではない。

今、憲法の解釈をゆがめたり、「特定秘密保護法」の制定などは、国民の前から情報を隠すための法が進んでいることで、「戦争前夜のようだ」

100歳のジャーナリストは、しっかりとした歴史認識をし、怜悧な分析をする。歴史に立ち会ってきたジャーナリストの精神の若さはどうだ。

「戦争に行きたくない」という自分中心、極端な利己的考えが蔓延したのは戦後教育のせいだ、などとツイッターでつぶやく政権政党の若者。

100歳は、まだまだ「真実を伝えること」を止めないだろう。


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PCなおりました! [日常]

 8月12日

おもいがけず、はやく

思いがけず速く、パソコン操作をやっている自分、信じられないくらいです。昨日まで使っていたパソコンは、ぶっ壊れたようです。今は二女およびその連れ合いが昨晩遅くまでかかってセットしてくれたノートパソコンでブログ更新しています。

今朝、せんげん台駅で二女と7時半待ち合わせ。セットしてくれたパソコンを受け取り、家で電源をつなぎ、インターネットに接続した。[ひらめき]『やったー!!』と、画面に出てくる文字を見つめて、涙を流さんばかり、です。[わーい(嬉しい顔)][グッド(上向き矢印)]

二度と起動しなかったパソコン

昨日は一日中パニックでした。【ああああ】と押してもいない文字が出、消そうと思ってもロックがかかったように消えない!あせりにあせって(ああ、どうしよう)

とりあえず一度シャットダウンして、もう一度立ち上げればいいかも…と電源を切る。少し時間をおいて電源を入れたら、これがうんともスンとも言わなくなってしまった。つまり、パソコンはどこにも明かりがともらず、画面はなにをやっても真っ暗!

パソコンについているステッカーを頼りにNEC故障センター、購入したヤマダ電機に問い合わせ、電話の向こうの指示通りにやってみた。ダメだった。

本当に壊れてしまった・・・・[がく~(落胆した顔)]。「ああああ」と、打ってもいないのに出てきた文字は、酷使され続けたパソコンの断末魔だったのか。

ヤマダ電機の言うとおり、持ち込みの修理に出すことにしました。「ちょうどお盆に入るので、2週間くらいかかるかも」というアルバイト店員の声にもうつろにうなずく。

いつものことだけど、自分の無能さに落ち込むことしきり。2週間なんてブランクは避けたい。新しいパソコンを買って帰ろうか。「メカ音痴の分はお金で解決する」と言っている私ですが、買って帰ってもセットもできない。第一、安いパソコンは外国製で、それなりに故障に弱いというではないか・・。

ここで、二女に電話した。「パソコンなんて買うことない。うちにノートパソコンで使わないのがある。夜何とかする」と厳しいお言葉。「わかった・・」しゅんとして言う。

そうだ、二女の夫はIT関係の仕事をしていたんだった。夜まで待とう・・ということになった。この年になって、パソコンのことでは、また子供の世話になる。情けない。


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パソコン故障 [日常]

8月11日(火)

パソコンが壊れたみたいです。すいませんがしばらくお休みします。


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「私は署名できません」と [議会]

8月11日(火)

「私は請願に署名できません」

昨日3時、お約束通り、進修館2Fに行きました。「エアコン設置」の請願に向けた署名集めの方、お二人が先にいらしていて(すみません、)お待たせしたのは当方でした。

お二人は、大変誠実に「加納さんに紹介議員になっていただけないかと。いや、署名だけでも。そして議会では賛同していただけないかとお願いに上がりました」とおっしゃる。

目的や思いなどを伺い、書面を読んだ。何度か読んだものでしたが。(結論を早く申し上げなければ)と思い、切りだした。

「結論から言いますが、申し訳ありません。私は署名もしませんし、紹介議員にもなりません。また、請願として議会に上程されたとき、今回は賛成の立場に立たないと思っています」と端的に言いました。

「この暑さですから、エアコンを設置してあげたいというみなさんの思いはよくわかります。暑い中、署名を集めていらっしゃる方々には敬意を表します。頭が下がります」

「賛成しない理由は、猛暑と言われる日は、夏休みに入る7月20日以降に記録されるのがほとんど。今年はカレンダーの関係で7月18日から夏休みでしたが。7月中の何日か、9月から10日くらいは暑い日があると思う。環境を学習するにおいて、快適な生活は、どこかで環境保護と正反対の作業の上に成り立っている。子供の健康は十分配慮してあげなければならない。一方で、環境に対応できる体作りは、子どもの頃にすることも大事 〇最後に、今回これが一番こだわっている点ですが、当初予算で否決のあと、27年度中はじっくり研究するという姿勢が、執行にも議会にも必要だと思う。議会の可否がテクニックに左右されている。」

以上の理由を言って、「それでも、2000人、3000人という署名は十分な説得力があります。大変なご努力だと思います。今回は賛成多数で請願が採択されるかもしれません。反対は、私一人かもしれません。採択されたらそれに従うのが民主主義です」と付け加えて申し上げた。

せっかくお会いする時間をつくっていただいたのに、はっきりと反対の意志をお伝えしたのは、申し訳なかったと思います。でも、お二人は「わかりました」と。気持ちよく当方の気持ちを理解してくださった。

失礼する前に「私は賛同できませんが、他の人に『署名などしないように』などというネガティブ運動は一切しませんから」とも言いました。

私は今回、所属する会派の賛否も聞いていません。所属する「政策会議みやしろ」は、もともとそういう会派です。

さて、昨日は、学園台「お喋りサロン」で、懐メロで大いに盛り上がりました。が、ここでは、もう一つの署名活動「杉戸町との合併」のことで、聞かれました。これも個人の思い、考えで行動するしかない、とお答えしました。

追記:

「TMO宮代」臨時株主総会のお知らせハガキが届いた。議題は 1、るーばんMIYASHIRO建物登記変更の経緯について 2、現在での財務状況について  です。

多くの町民株主は、この表題で何を感じ、何人出席するか。


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国の決算、返納金など [国会]

8月10日(月)

承認するの? 国の決算って

国の決算は法案と違って、衆議院で可決して、参議院に送って可決して…というものではない。(厳密には決算に関する「議決案」というのをつくって賛否は問うようだ)。しかも否決されたからと言って誰も困らない。「否決されちゃったよ」というだけだそうです。(河野太郎衆議院議員のブログからその様子がわかりました。)

しかも、決算委員会の質疑の多くは、決算とは関係ない質問が多い。しかも、他の委員会と出席大臣の取り合いになって、負けて他にユズルのだそうだ。

そのうちに予算概要が出て、予算審議が始まる。だから決算委員会では、大臣は出席が難しいから、副大臣対応で決算の審議をしようとするが予算委員会優勢でそちらに慎重に対応するため、副大臣もそちらにでる。

そうこうしているうちに予算が成立して予算委員会に大臣の取り合いに負ける。それでも財務大臣のの趣旨説明と会計監査院長からの検査報告を皮切りに総括質疑を終わる。

で、実は、24年度、25年度の決算は今でも終わってなく、承認は受けてないようです。

予算92兆円余の決算

26年度の予算額は、92兆6115億円でした。当初予算と補正予算後と比べると、税収は2兆2447億円増、税外収入は5570億円増、新発国債は2兆円少なくて済み、差し引き合計で、8017億円の歳入増だったそうです。

歳出では、不用額が1兆4118億円。歳入の増と合わせると、2兆2135億円。そこから地方交付金財源増6364億円を引いた額が、剰余金1兆5770億円。この剰余金の2分の1以上が国債の償還に充てられるのだそうです。

国税は、所得税とか酒税とか相続税とか消費税とか、関税とか増となり、電源促進税とか、航空機燃料税とかたばこ税などが減額(減額の方は少ない)。

返納金30710億円

税外収入は、返納金3071億円。これはおもに生活保護の費用が予定より少なく自治体から戻ってきたものだそうです。

不用額のうち1兆62億円は、社会保障費(誠意活保護や介護保険)が多かった。

税外収入の、返納金ですが、自治体などが「タナボタ」式に国からもらった「交付金」「補助金」が適正に使われなかったゆえの返納金も多くはないけどあるらしい。

宮代町の引きずった補助金事業

現時点で、多くは言えないけど、宮代町でも、補助金で始めた(公共事業→民間へ移行)ものが、事実上あえなく破綻した。このたび発覚し、町は(全員協議会で)返納を迫られる場合もあり得る、という。

私は、この事業のことで、これまでたびたび質問していた。5年前の株主総会の質問で「(国への)事業の報告義務は6年で終了というが、もう縛りはないということか」と質問した。社長の答弁は「そうだ」という。ちなみに、この総会に、町からも担当課職員や町首脳(町長or副町長)が出席しているが、無言の傍観者だった。

ところが、このたびの不祥事→破たん、という事態の説明で、けっして「縛り」から解放されているのではないことが分かった。町は(国の補助金事業は)30年は縛りがあるから今回の事態で補助金の返納という事態も考えられる、という。

この《民間がやっている公共事業》の毎年の株主総会に、町担当課および町首脳は出席していた。これまで出席はしても発言なしだった株主(999万円の出資者)=宮代町。

いきなり、「縛りはなくなった」は「国からもらった金は返納しなければならない事態」に変わり、「町は関係ない」から「町の呼びかけで臨時株主総会、その内容を議会に説明する」に変わった。

約10年以上「われ関せず」を貫いた宮代町、いきなり「後始末」の表舞台に出てくることになったか。

言えることは、全国の自治体が「タナボタ」でもらう補助金、交付金事業では、ほとんど総括がなされていない、ということ。

申請して、もらうまでを受け持った自治体の責任は、無いのか、あるのか・・・。7月28日に開かれた「議会全員協議会」では、2週間以内に臨時株主総会を開くといっていたが、まだ、私ほか株主には、その開催の案内通知は届いていない。

追記[電話][電話]

エアコン設置で、折り入ってのお願いが」と

たった今、家電が鳴る。「エアコン設置の運動をしている」〇〇さん。「議員さん、一人ひとりにお願いに上がっている。説明したい」と。

戸別に、個別に議会以外の場所での「お願い」に、議員が弱いのは、百も承知の上での説明行動でしょう。〇〇さん、今日の午後3時に会うことにはしましたが、正直、この問題へとへと[もうやだ~(悲しい顔)]、です。


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