「戦える国」・安保法制 [国会]

5月15日(金)

「戦える国に」する(?)安保法制

昨日、政府は臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使容認を主軸とする安全保障関連法案を閣議決定しました。

この関連法案について、今朝の新聞は、読売、産経が肯定的、東京、毎日、朝日が懸念、あるいは慎重にと、論調を(当然ながら)分けています。アメリカは、もちろん、今回の閣議決定を歓迎すると発表しています。

東京新聞は「問われる国民主権」とサブタイトルをつけました。閣議決定=国会で可決というシナリオがスムーズに進みそうな国会内の構成図。憲法を大きく揺るがす法改正に、「国民」が主権的にかかわれないということに、この国の現状が見える。でも、それを作り出したのは、主権者である(投票権のある)国民であるというのが、何とも微妙だ。

ある時事放談(じじ放談)

毎月のように、時事放談のようなお手紙をくださる方がいる。Uさんとしておきます。軽妙な語り口、英文、故事の名文をちりばめた「つれづれなるままに」の文章は、時にむずかしく、時に共感でき、楽しみになっています。

2日前にいただいたおたよりは、折も折、安倍政権のやりたい放題を皮肉いっぱいに批判し、同時に「どうなる、ニッポン」をなげいていた。安倍訪米からつづく、「戦う意欲あり」の国への敷石に一言、をご紹介します。

「…ところで、国会は山場の一つを迎えましたね。自公両党の手口を見ていますと、現在常態化している〝できちゃった結婚”と同じで、まず既成事実を作り、あとで法律を泥縄式に成立させる・・・。

戦後の総理大臣を数々見てきましたが、(小指の件)で失職した宇野氏は論外として、安倍氏ほど総理にふさわしくない人物は初めてでしょう。

このことは、今回の黒船屋のだんなとの一連のお話で日本国民のまえにはっきりさせてくれましたね。まるで、鴨がネギしょって勢いよく鴨鍋に飛び込んでしまったようなものでしょう。

誰でも知っている中国・戦国時代の「韓非子」に出てくる〝守株待兎”のごとく、待ってましたとばかりに黒船屋は、海自幹部を、多国籍軍の指揮官に発令し、自衛隊と安倍氏を(ヨイショ)していますね。これで、憲法9条の一角が〝できちゃった結婚”同様食い散らされました。

野党がどこまでわかり、阻止できますか!?

 ーー中略ーー 今年の予算に占めるアメリカへの思いやり予算は、当初予算で5700億、これはあくまで当初の予算。

今回のアメリカにおける安倍演説で、中国に触れなかったことにアメリカは少々不満だったようですが) いやな予感ですが、仮に日本と中国がドンパチを始めたら、アメリカは「わしゃ、知らん」と、自国の国益を考え、真っ先に手を引くでしょう。

米国の軍事会社の利益・継続をそっせんして担わされ、何かというと「中国脅威論」をぶち上げる安倍氏。

安倍氏の言う「積極的平和主義」は、戦争準備への道ではないでしょうか。法制度について、(自分が憲法)だといわんばかりの行動。これは国会の多数を良いことにして、つべこべ言うなということ。実際、今はつべこべ言えなくなっている。

舞い上がっている安倍氏に、次の言葉をプレゼントいたしましょうか。 

What goes up must come down と。

では、また。2015・5・12 」

ことのほか、黒船屋のやり方が嫌いなUさん。ある時は同感(かなり同感)しながら、時事放談の軽妙なお手紙を味わっています。

安倍総理の言う「切れ目のない安全保障」と称するものは、「平時から有事にいたる切れ目のない国民監視」とも一体化してくるのです。そのための特定秘密保護法の成立、マイナンバー法・個人情報保護法の改正案…と切れ目のない国会の動き。これらの動きを漫然と見ていると、とんでもなく、居心地の悪い国になるような気がします。

戦前、戦中を経て、戦争というものは正義も大儀もなく、庶民が苦しむだけだと、Uさんたち世代の信念ともいえる思い。こういった信念を貫く世代の声を聴かねばならないと思いますが、どうでしょう。


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