mother’s day [歳時記]

5月10日(日)

の日

お花屋さんにはカーネーション。「母の日」の花、この花を嫌いな人はいないのでは。

花屋さんの店先で立ち止まってしまう。(いいのがあったら買おうかしら)、結局、いつも思うだけで立ち去る。

今日の新聞で、「母の日にひと言」というのがあって、いろんな人がいろんな言葉を発していた。

その中の「いつまでも45歳(だったかな)で若々しいお母さん、ありがとう。私は今60歳を過ぎました」というメッセージに目が留まる。

(そんなに若くみえるの? まさか)と思った。けど、すぐわかった。45歳で亡くなったお母さんは、60歳を過ぎたこの方にとって、ずっと若い姿で、やっぱり心のよりどころになる〈おかあさん〉なんだ、と。

そういうことなら、私もわかる。さしずめ私なら「いつまでも39歳で若いお母さん、ありがとう。私は60歳をだいぶ前に過ぎました」となるのかな。

関係ないのだけど、昨日の夜、母が夢に出てきました。夢に出てくるというのは、ほったらかしにされているので線香をあげてくれと、あの世で言っているのだと聞いたことがあります。(はい、心当たり、あります。ほったらかしにしました。)

で、今朝がた、私の大嫌いな「蚕」が出てきた夢です。私が小さいとき、家は養蚕をやっていて、祖母や母は、蚕が嫌でもやらなければならなかった。道楽者の祖父や父が好きなことをやっているかたわら、近所の人のお手伝いも含めて女の人たちが頑張ったのが、その頃でした。

母が出てきて、次の日に(関係あるのかな)蚕が出てきて悲鳴を上げて目が覚めたのは、なんだったのだろう。

夢に出てくると、線香を…なんてナンセンスな話だとは思うけど、若かった母がたまには懐かしんでくださいとあの世から訴え、蚕が出てきたのは、適当にドタバタやっている娘(私)を、懲らしめているのかな、と。

こんな年になっても、母は母でして、普段は思い出さないけど、苦しい時、行き詰ったときに出てくるんですねー。困った時の神頼み?に似ています。

※、39歳で死ぬ1か月前、母は(その前年に父が死んでいたので)、病院のベッドで、5人の子どもと握手した。一番上の私には「しっかりね」といい、一番下の妹には「まァちゃんがかわいそうだな~」といった。母の日に(だけは)、この言葉を思い出す。


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