戻らぬ住人 [地域発]
1月13日(火)
阪神淡路大震災から20年
17日で、阪神淡路大震災から20年になります。繁華街を中心にした復興の速さに日本の底力を見、心からエールを送ったものでした。
1995年1月17日午前5時47分に起きた淡路北部を震源とするマグニチュード7.3(震度7)の地震で、死者6434人、負傷者4万4000人、住宅の全壊10万5000棟、約14万4000が半壊しました。
そこから、素早い復興だった。
しかし、元そこに住んでいた人々には違和感があるという。地域の防災力が上がったけど、戻って住んでいる人は、実は多くない。一体感は失われました。
「復興したのは建物や道路。目に見えないものを失ったのではないだろうか」と住民は地域の変容ぶりを見て言う。
地区人口は震災前の85%の水準にとどまり、しかも当初8割の人たちが地域内での再建を望んだが、実際戻った世帯、事業者は3割に満たないそうです。半分以上が他地域からの転入者が占めている。
同様の区画整理事業は神戸市内11か所で実施されましたが、ほとんどの地区で人口は震災前の水準に戻ることはなかったといいます。
なぜか
行政主導の都市計画が決まったのは、1995年3月、震災から2か月後には動き出していました。市は住民を交えた「まちづくり協議会」を立ち上げましたが、分散して避難している住民の関心は集まらない。協議会には10人が参加しただけでした。
「論議をせかされ、できたのは条件闘争。行政は人が住めばいいのだろうが、誰のための復興だったのだろう」
多分、復興でできたのは、≪別の町≫だったのでしょう。
東日本大震災の被災地でも
1月13日の河北新報では、<移転希望少なく、阪神と同じ問題が起きている>と指摘する。石巻市でも、高台移転計画がありますが、移転希望者は少なく、復興事業後の世帯は中心部で1割、全体でも4割を切るとみられています。
さらに、「阪神淡路」の被災地は都市部とあって、ハードさえ整備すれば新住民(でも)流入が期待できた。東北の沿岸部が同じような求心力を持てるわけがない、と。
現行の復興施策には既存コミュニティー再生の視点が欠けている、と住民代表は言う。