女性参政権から70年 [男女共同参画]

4月8日(金)

女性参政権

女性が政治に参加できたのは、終戦の翌年1946年4月10日の総選挙からだった。今日の東京新聞「こちら特報部」から。

それまで、女性は人間として男性よりも価値がずっと下。物の数にも入っていなかった。女性には相続権もなく、長男は「かまどの灰まで俺のもの」といった時代だったという。元文科大臣で、ずっと「女性参政権」獲得に向けた活動をしてきた赤松良子氏の記事が載っていた。

戦後、GHQの要請を受け、旧労働省に婦人少年局が設けられ、女性差別が仕事場からなくなると思っていたが、とんでもない。男性と同じ仕事、経験はさせてもらえず、やる仕事は調査だけ。 

1982年、赤松氏が婦人少年局長に就任した。赤松氏を中心に「男女雇用機会均等法」が立案され、1985年成立した。だけど、そこからも大変だった。募集や採用、配置から定年まであらゆる差別を規制した初の法律は、努力義務だった。なかなか効力は出ない。そこから改正を重ね、差別禁止は企業の努力義務から「義務」になっていった。

政治が男だけではダメ

この記事のサブタイトルです。本当に、政治や商売が、男だけではダメだと思います。「決める場所」に女性を参加させてくれなければダメなんです。

女性自身の意識改革も、もちろん必要です。「女性参加」「女性を政治の場に」と、言われるけど、女性そのものが「勘違いしている」場合もないわけではない。

「ここで、女性の意見を」なんて求められて意見を言い、あるいは質問をして、「さすが、女性の意見は違う」なんておだてられているようじゃ、とても変革の時代はやってこない。

これまでの根強い慣習、因習を根本から打ち破るのに、単なる数合わせや、癒しの部分を請け負うのが女性の役割と、女性そのものが思っているようじゃ、変わるわけない。

変えるということは、闘うこと

変えるということは、「闘う」ことも意味する。「戦う」じゃない、「闘う」の方です。

女性が、適切に、ほどほどに意見を行ったり、状況を説明したりする分には、ご機嫌で聞いている男性たちも、雰囲気しだいではぶすっとご機嫌が悪くなる。

女性ならではの経験や、少々長くなる時系列説明を許すほど、心の底から変わっていない人もいるのだ。「早く結論を言えよ」なんて言い出す。

だんだん聞く耳を持たなくなる。「はい、はい、わかりました」。「もう、いいんじゃないの」と言い出す男性がいて、、それに呼応する人が出てくる。

お飾りの意見を言ってんじゃない。本気で意識を変えようといってんだ。多少時間がかかることくらい我慢してほしい。

ここから闘うことになる。闘うということは、往々にして、「嫌われる」ことにつながる。

女性の参政権だけでなく、何かを決める現場では、きれいごとだけではすまないこと、嫌われることをやってきた歴史のような気がする。

嫌われてナンボの世界

今年も、役所や企業では、職場がかわったり、新旧交代の季節を迎える。

私は、また自分の一言メッセージの番が回ってきたら、こういうだろう。「今まで、生意気なことや、いやなこといってきてすみませんでした。あえてそうしてきました。自分の仕事は、嫌われてナンボの世界、と思って提言や意見、やっていますから」と。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。