医療ミス [医療]
12月30日(水)
銀行のATMで
午後、銀行のATMで、「記帳」していた時、隣りのATMから声が。「加納さん、更新していませんね」。それだけでわかった。ブログのことだ。ここ数日更新していないし、第一、更新にも(ネタに)力が入っていない。(それを言われると弱い・・・)
今はただただ、会報「視点」を配っているだけなんですよ。お正月も返上です。
12月中は体調が思わしくなく、ほとんど時間が取れなかった。そのツケが回ってきていて、会報配布に集中するしかなかった。
しかし、そういわれると、(やっぱりブログも)という気になりました。世の中はあまりいいことがおこっていないけど。
名古屋大・肺がん見逃し事例
ちょっと前の報道です(12 /22 )、検査のため、泌尿器科に通院して半年に1回CT検査を受けていた患者の肺がんを、名古屋大学病院が3年にわたって見逃し、治療が遅れて死亡した、という事件がありました。
これなどは、医療ミスを大学が認め、遺族に謝罪し補償もする事例ですから救われますが、多くの場合、却下されると思われます。
亡くなった40代の男性は、再発を何より恐れ、気にしておられた。そのため、別の病院で腎臓がんの手術を受けたにもかかわらず、名古屋大病院を自ら希望し、将来の他の器官への転移の有無を調べていたそうです。
だから、半年に一度、名大病院においてCT検査を受けていましたが、主治医、放射線医ともに、肺の異常に気付かなかったというのです。
男性が2012年5月に肺に痛みを感じ、別の病院で検査を受け肺がんが判明しました。しかし、4期にまで悪化しており14年3月に死亡している。
男性は、半年に1回CT検査を受けており、計10回受けていました。その中で実は、2008年には異常があり、2009年5月には、明らかに癌の可能性に気付くことができた。当時、手術していれば〈5年生存率〉は82%。まったく違う状況になったかもしれないのだ。
調査委員会は、見落としの原因を「主治医が、CT画像の診断を放射線医に任せていた」「放射線医は腎臓がんの転移にとらわれていて(他の離れた臓器を見ていなかった」とし、要するに、それぞれが、総合的に個人の生命にかかわっていなかったことが明らかになった。
実はよくあること
町医者は町医者で、待合室いっぱいに押し掛ける患者をさばくのに精いっぱいの努力をしており、他の要因を疑うことに気付かなかった、などもあると思う。その中で
最近、医療事件の相談の中に肺がんの見落としについての相談が増えている印象を受けます、とある弁護士がいう。
「特に、胸部レントゲンで撮影で肺に陰影が観察されたものの、精密検査を受けるように指示されずに放置された結果、翌年の健康診断の際には病期が進行した状態で発見される例が目立つように思われます」
肺がんの見落としと聞くと、完全な医療過誤であり、医療機関に対する損害賠償も容易であるようなイメージをもたれる方も多いですが、撮影されたレントゲン画像を精査する際、医師はどの程度の注意義務を負うのか、仮に見落とし時点で治療が行われ始めているとステージの進行を止めることができたのか、など複雑な因果関係の問題も存在するため、普通は困難を極めることになるそうです。
名大の肺がん見落とし事件は、10枚のCT画像、13人の医師がかかわったということで、ミスを認めざるを得なかった、という数少ない事例に他ならない。
でも、普通は責めても仕方ない、とあきらめることになります。結局は自己責任なのです。
つまり、医師や医療機関を信用、信頼せずに、(念には念を入れて)検査をやって「自分の身は自分で守る」必要があるということです。
裁判になっても
裁判になっても、肺がんの見落としが約1年も遅れたため、患者の病期(ステージ)が1期から4期まで悪化したとしても、こういった事案で医師の肺がん見落としの過失は争えない。
いっぽうで、患者の病期(ステージ)の進展に関しての損害という範囲で争えるというのです。病気の進み方で、生存率が、まったく違った数字になってくることを考えると、確かにそうかもしれません。しかし、医師の見落としの程度がおおきければ大きいほど、当時の資料が残らないため(?)結果的に患者の立証責任が重くなるという矛盾もあるのだそうだ。
今年は、群馬医大の肝臓手術などでなんと64例の不透明な事件があった、など医療ミスのニュースが目立った年。医療というある意味〈大権力〉を相手にするのは大変だ。並大抵のことでは解明できない。
「うっかりしていた」でも「常にあらゆる用心をしていた」でも、人間には運・不運はある。
新しい年は、元日から穏やかになりそうです。来年は元気いっぱい、希望をもって始めたいと思います。
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