I am KENJI

1月28日(水)

I am KENJI

世界中の人たちが、祈るように「I am KENJI」(わたしたち、ひとりひとりが後藤健二だ)「彼を生きて返してください」と訴えています。

私などだって、決してこの人質問題に無関心ではない。何とかできないものか日本中の人々が気をもんでいるし、私も同じです。しかし、わが身はあまりにも非力で小さい。

そういう人たちが、せめてできる行動としての「I am KENJI」。

安倍総理の招いた事態

起こってしまってから攻めても仕方ないが、きっかけを与えてしまった責任は日本の外交戦略にある。安倍総理の招いた(想定できた)事態といえる。

 昨年8月には湯川さんがイスラム国の人質に、10月末には、湯川さんを救出に行った後藤さんがとらえられてしまった。人質をもっている組織はいかようにもカードを切れる。慎重に言葉を選ばなければならないことは、政府の要人なら想像できたはずではないか。しかし今回、安倍総理は、イスラム国の言葉を借りるなら〈得意そうに〉「イスラム国と闘っている周辺の国への支援に2億ドルを提供する」といった。

 これまで日本が、中東地域やアフガニスタン、アフリカにおける紛争地域に対して行ってきたことは、難民救済、医療チームの派遣など、直接紛争相手を刺激する方法ではなかったはずだ。

それが、一気に、今回はイスラム国に対する空爆などを実施している(イスラムと敵対している)有志連合国を支援するためにお金を出すと表明した。安倍氏の基本姿勢、本懐を世界に示したことで、これまでとはっきり違っていた。

 人質の映像が映し出され、ついでその人と思われる人質の一人が殺された事態に、「テロには屈しない」「人命第一」と言うばかり。いまさら「イスラム国を敵対したつもりはない」のような言葉は、国民の多くは納得できないはず。

国と国との、慎重な対応にしか、われわれ非力な国民はゆだねるところはない。政府に頼るしかない。だから、「積極的平和主義」をうたい、進める安倍総理にお願いする。世界中で行動する善意の日本国民を窮地に陥らせる、不用意な言葉はやめてほしい。軍事力強化でも集団的自衛権でも、命が刻まれている日本人は救えない。

 今回の2億ドルの支援も、(事件が起こらず)何事もなくアメリカはじめ連合する国々に感謝されたら、支持率はさらに上がっただろう。集団的自衛権行使にも突き進みやすくなってだろう。その目算あっての宣言だったのだろうが、政治的発言とは、紙一重の危ない橋を渡るに等しい。

「得意げに」とみられても仕方ない宣言であり、その結果がこの事態だ。

日本は、戦争の犠牲になっている女性や子供、負傷者への救済、支援を基本とすべきだ。皮肉にも、そういうことを地道にやってきた後藤健二さんが、命の〈時間〉を刻まれていることを直視すべきだ。

私のように非力な人間は、「I am KENJI」と訴えるしかできない。


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