点滅している商店街街路灯 [まちづくり]

1月22日(木)

街路灯いっそのこと消しちゃおう

地元学園台(旧)商店街の街路灯(宣伝灯)問題は、しばらく動きがなかった。今後どうする、の話し合い(と言っても出席するのは3,4人)も、すっかり沈黙したように開かれない。

 相談していた町の担当課(産業観光課、町民生活課)も、ほとほと手を焼き、「会合に出席する人が正味の賛同者ということではないの?」という。確かに、そういわれてみるとそうかもしれない。

シャッターを閉ざしてしまった旧商店街の街路灯26基を、ただいま営業中の5、6軒の力で灯しつづけるのは到底無理な話だ。主に年間の電気料に使っている貯金もどんどん減っていく。

3,4か月ぶりになろうか。「会合を開くので出席してください」との連絡がありました。場所は仲間内の喫茶店。3日前のことだ。

 この間、さらに賛同者は減り、ボロボロと脱退者が出ているという。最後の会合で、例えば、とりあえず14軒で灯しつづけようと意思確認したところで、一人の脱退者が出れば「実は、私もやめたい」ということになる。ひとり減れば維持費(電気料)の1件当たりの按分金額も即座に違ってくる。軒数が少なければ少ないほど、まともに打撃になる。前回の会合で仮に「年会費1万円で何とか・・」とした金額は、3人の脱退で1.5倍にもなる。(それじゃー、うちは無理だ・・)と連鎖を呼ぶ。

人が聞けば、なぜ、決まった内容でできないの?と思うかもしれないが、余力のない組織とはそういう雪崩を起こしやすいもんなんです。

全ての灯を消そう

会計兼代表をがんばってやってくださっているHさんが、「もうほとんどないよ、金が。今月でなくなる」という。出席者「えーっ、早く言ってよ!」「だから俺、言ったんだよ」と責めモード。

 話はどんどん後ろ向きになる。会合に出てこない人はそもそも続ける気力がない。何度も話し合ってきた。町にも相談した。「やる気(覚悟)はあるのか」と反対に訊ねられたが、周りの人を見ると即答できない。ここにいる人たちで(5人で)灯しつづける余力が、いや、その前に灯す意義があるだろうか。

 とうとう資金がなくなる今月いっぱいで全部の街路灯を消そう、ということになった。「県道沿いが真っ暗だよ」「いや、現実を見なければだめだよ」「町は、防犯上、防犯灯は設置するよといっているんだからサ」と。

それで、決まった。「もう、消そう」 肩を落としながらも、長い葛藤に決着がついた(すっきり感)も漂った。

 私は「確認しますよ。スズラン会(街路灯がスズランの形)は解散。街路灯は全部消す。そして撤去。撤去費用はそれぞれ個人負担。あとは町に全部ゆだねて防犯灯をつけてもらう。これでいいですね」みんなうなずく。

 わたし「わかりました。今まで補助金などでお世話になった町、地元自治会に連絡しましょう。」

わたし続けて言う「その前に、今集まっている少なくとも5軒の方は、営業中ですよね。それに後継者のいる人も多い。防犯灯は設置してもらっても、個人としてはそれぞれ今までの街路灯を活かす、という、つまりベストミックスの方法はないかを、産業観光課に相談してみますよ」と、この部分を提案して請け負った。≪消す≫ことが決まった後の、ベストミックス。ダメ元という気軽さで当たってみよう。

規模縮小でつけよう

ところが、昨日夕、また、首がつながった街路灯。少なくとも今灯している14灯の続投はできないか、継続案が浮上した。あいかわらず、消す・消さないの議論は点滅している。しかし、まだ灯しつづける。風前のともしび、とはこのことだよね。がんばれ、学園台のともしび。


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