輝く木々の緑と高層ビルの国② [イベント]
4月22日(火)
アルメニア・チャーチ
2日目は、朝9時からの教会挙式。アルメリア人が作ったという伝統的な教会で。蒸し暑いのにドアや窓は開け放している。牧師さんは、なんと昨日シンガポールレストランの帰りに運転して送ってくれたあの人だった。アイパッドをページめくりして、牧師の役を進行している。あまり慣れてないのが微笑ましい。
ティーセレモニー
教会で式を挙げたが、シンガポール的には、ティーセレモニーが正式なもの。いったんホテルに戻った日本人組9人(リッツカールトンに5人、マリナベイに4人。翌日はこれが入れ替わる)は、それぞれ準備。
ひざまづいて
場所は、これも由緒ある場所。1870年代の重厚な建物。正式なパーティーで使う場所らしい。先方(新郎側)のおばあちゃんやはり伝統的な服装で、その他は(男性は正装、女性は伝統的な服装か、イブニングの正装に)いろいろ。
こちらは、親族は和服にしようということで、新婦の母親(私の妹)、新婦の姉、新婦の叔父の連れ合い(おばあちゃん、叔父夫婦は銚子市に住んでいる)と、この人たちの和服を仕切るおばあちゃんが大はりきり。
それぞれの和服の柄から着せるところまで一切の仕事を自分でやりきった。おまけに披露宴で着る新婦の着物(京都の老舗に特注)、新郎(シンガポール人に明治から受け継いだものを着せた)の羽織袴まで用意した。
この80歳代後半のおばあちゃんに5年ぶりに会った私は「ああ、年を取ったなー」と思ったけど、どうしてどうして、着物の手配、着付けに、ゴッドマザーは一挙に若返ったのでした。※草履をホテルに忘れたー! 取りに行ってー、と父親や叔父はホテルと会場の間を行ったり来たりに駆り出されたけど・・・。
結婚式の正式な作法は、新郎新婦がひざまづいて、杯にお茶を注ぎ、親族にあいさつをするもの。まず、それぞれのおばあちゃんが盃を受ける。写真は伝統的な衣装に身を包んだ新郎の祖母。彼女も80歳代後半ですが、シンガポールの方のゴッドマザーは、一族の尊敬と愛情を集めている存在。
この後、新婦の祖母(和服に着替えると見違える、さすが!!)、新郎の両親、新婦の両親へのお茶のセレモニーは続く。われわれのような親族は先方の親族を含めて40人ほどが参加。
写真は新婦の両親へお茶をささげてあいさつしているところ。私の妹も神妙な顔↓
セレモニーが終わって、↓それぞれのゴッドマザーをかこんで談笑する新郎新婦
親戚の人たちは、お茶を飲んだ後、新郎新婦に(新婦だけの場合アリ)にアクセサリーなどをプレゼントして、お祝いの心を表現する。私たち日本人組は、この時、いわゆるご祝儀袋を出すのですが、さまにならない。
披露宴の人たち
正式なティーセレモニーのあとは、披露宴。遠い親戚、新郎・新婦の職場(「SITI BANK」)の人たち、友達など150人以上が集まった。披露宴が始まる7時までのアバウトな待ち時間に、席順を確かめた私。↓ ティーセレモニーから着替えた人もいるが、日本人組はそのまま。
陽気なおばさん
わたしと、同じく日本から参上した末妹に、話しかけてきた新郎の叔母さん(ゴッドマザーは7人の息子がいる)の一人・ロザリンさんは大の日本好き。年齢も私と一つ違いだそうで、一瞬でなかよしになってしまった。
彼女は何回か日本に来ているそうで、新宿が好き。ローマ字で書かれた「こんにちわ、赤ちゃん」を示し、知っているかという。「もちろん知っている」というと、いっしょに歌おう、と。
日本人がいたら情愛を示そうと、どうやらパーティーの前から歌詞のペーパーを用意していたらしい。連れ合いの叔父さんは、東大に留学していた時期もあり、日本語が少し話せた。
待ち時間のアバウトな時間は、彼女のおかげで面白く過ごせた。仲良くなった私たちはシンガーズだと茶化された。妹は調子に乗って「彼女(私)は歌手になりたかったくらい昔は歌がうまかった」とみんなに紹介した。(冗談じゃありませんよ。骨髄の病気で飲んでいる薬のおかげですっかり声をやられた私は、カラオケも遠慮するくらいなのに・・)
ひかえめにしていようと親戚のおばさん(私と末妹)はおとなしかったのですが、このロザリンとは羽目を外してしまった私でした。ロザリンとはメールアドレスを交換した。電話番号を交換しようといわれたけど、留守が多いのでメルアドにした。
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